第2話

 だれが俺みたく聞いてるかもわからないので自己紹介をしておく。俺の名前は伊田池薫いたち かおる。普通の高校生だ。一年生。まあ、強いていうならば無気力系ツッコミ男子といったところか。ちなみに身長は一七一センチだ。

 先に言っておく。俺は人の心が読める。正確に言えば聞こえてくる。こんだけ生きてきてきたら普通の声と心の声の聞き分けはできるし、心の声に対して耳を塞ぐことだってできる。昔は辛かったが今ではもう慣れたものだ。

 さて、入学して一ヶ月が経とうとしている。ある程度の交友関係を広げつつ、ただし広げすぎないような生活を続けていたわけだが、どうやらその穏やかな日々が続くということはないらしい。

 つい昨日のことだ。

 授業が始まる前、自分の席でぼやっとしていると、とある心の声が聞こえた。

『窓開けてくれないかな〜』

 はっきりとした心の声だった。それなりに長く生きてきたがここまで鮮明な心の声の持ち主は一人しか知らない。大抵はボソボソ話すような、靄がかかっているような、そんな程度なのだ。

 それに加えてその声の主は、普段から心の声がダダ漏れだ。

 ほんと頼むからしっかり心に留めておけよ。蛇口壊れてんのかよ。開放的かよ。沖縄の伝統的な住居かよ。台風来ても安心だなこん畜生。

 欲望むき出しのその声に呆れてそちらを向いた。教室の中心に女子が三人ほど集まって話していた。声の主はそのうちの一人、栗鼠心葉くりね ここは。俗に言う小動物系ポジティブ変人女子といったところで、先日引っ越してきたお向かいさんだ。多分だが、二〇センチ定規一本分くらい背が違う。

 栗鼠と目があった。不思議そうに首を傾げている。

『開けてくれないかな〜』

 ……こいつ、それしか考えてねぇ。

 仕方なく俺は窓を開けることにした。窓を開けるともう一言聞こえてきた。

『廊下も開けてくれると嬉しいけど』

 俺はもう、何も考えないことにした。

 廊下の窓を開け、ようやく自分の席に着いた。また声が聞こえてきた。

『もしかして私、操れちゃう?』

 そのとき俺は思った。こいつダメだ、と。

 その感想は次の授業が始まる前に確実なものとなった。

 というのもそのとき黒板が消されずに残っていて、俺はそれを休んだ友人のために写していた。そして声が聞こえたのだ。しかし、俺に対してではない。文脈的に週番に向けていったものだろう。

『週番の人〜!早く消さないと始まっちゃうよ〜!』

 いや無邪気かよ!

 俺は思わず机を叩いた。想像よりも音が出て恐る恐る振り返った。また目があってしまった。声が聞こえる。

『仕方ない。伊田池くんでいいから黒板を消して〜!』

 おい、仕方ないってなんだよ仕方ないって。

“仕方なく”俺は黒板を消し始めた。ノートは後で自分のを写せばいいと思った。途中で週番が交代してくれて、俺はノート写しに戻れた。不穏な一言が聞こえた。

『やっぱり私、操れる!』

 俺はそっと、心の耳を塞いだ。

 次の日、つまり今日。事態は想像以上に悪化していた。やつが、栗鼠が、そのポジティブさゆえに重篤な妄想を患ってしまった。しかも全部俺に丸聞こえときた。何か自己紹介を心の中でし始めたかと思えば、人を操れるだの心を操れるだの俺しか操れないだの。挙げ句の果て、私の物語が始まるのだ!なんて言い出した。

 俺は頭を抱えた。なんの間違いもなく俺が悪いだろう。律儀に、というか安易に人様の願いを叶えたもんだからこんなことになってしまった。どうしたものか。なぜか今後も栗鼠に付き合っていかなくてはならない気がした。

 そんなこんなで穏やかな日々は終わりを告げそうだった。

 俺は栗鼠を見た。頬づえをついて満足そうな顔をしている。……多分、あいつの人生は充足していると思う。彼女の友達と思われる女子と目があった。栗鼠の声の通りなら恐らく柊橙子ひいらぎ とうこといったか。彼女は不思議そうにこちらを見つめてニコッと微笑んだ。俺は会釈をして正面に向き直した。

 だれが俺の心を聞いているかわからない。だが、そいつに俺の苦労を知らせてやろうという意味で、半ば実況的に俺の日々を心の中でつぶやいていこうと思う。人の心と少年少女を巡るこの生活を、彼女に取られてなるものか。

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