第4話(※R15)
「…でも、よく今まで生きててくれた」
「…は?」
さすがに、意味を分かりかねたミハエルが拍子抜けした声を出す。
オリバーは、辛いことを話してくれてありがとうと、ひたすらミハエルの髪を撫で続けていた。
あの収容所にミハエルが赴任してきた当初、最初は敵だと目をぎらつかせていたオリバーを相手に、鞭打ちを命じられていた自軍を欺くために、芝居というよりも茶番を打ったミハエルが、思いもよらなかったとオリバーの反応にクスクスと笑った。
執務室へ連行されて行われた、その茶番劇の後で、ミハエルはオリバーに紅茶を差し出した。
毒など入れていないとカップを交換して飲んで見せたミハエルが、穏やかに笑った時の事を、今でも覚えている。
名ばかりの尋問はいっこうに進まず、指し向かいで何を話すでもなく紅茶を飲むだけの緩やかな時間。収容地で、捕虜と士官が過ごした時間。
「あの日々の中で、私と君は敵だった。でも確かに、私は君に恋をした」
祖国が勝利し、ミハエルが捕虜になった時。いつか、そう遠くない日にミハエルは処刑される。そう思った瞬間、オリバーの中に一つ、確かな想いがあった。
それは、ミハエルの処刑を回避したいという想い。
方法を模索する中で処刑の命は下り、手荒い方法を取ることになった。
ロバートには見透かされていたようだが…。
「少佐、私は君を飼いたいわけじゃない。嫌なら、出て行って構わない。私が出て行ってもいい。…だけど、生きると約束して欲しい。生きて、いつか君の国に戻って、キリル君に会って欲しい。…彼と、約束をしたんだ」
キリルがミハエルを案じていたこと、ロバートが助けてくれたこと、キリルが時間を稼ぐためにロバートと共に留まっていること、君を助けて欲しいと請われ、自分はミハエルを必ず助けるとキリルに約束をしたことを伝えた。
「…でも、それだけじゃない。…君に生きて欲しい。…生きて、幸せになって欲しいと思ったんだ。…もし、許されるのなら…」
もし、願うことが許されるのなら…
『共に生き、幸せにしたいと思った。』
オリバーは出かかった言葉を飲み込む。
ミハエルは光も差さない極寒の独房で、オリバーが自分に言った言葉を思い出す。
あの時と同じように、ミハエルはオリバーの髪を撫で、今度は愛児に問うように、優しく問いかけた。
「…続きを聞かせてくれませんか?」
もし、叶うのであれば、貴方は何を願うのか。
明確な感情はあるのに、言葉に出来ずに流れる涙と嗚咽を伴いながら、たどたどしく続けられる言葉。
「……もし…もし、叶うのであれば…貴方と、共に生きたい……レオーノフ少佐、貴方を、…貴方を幸せにしたい…」
泣きながら紡がれた言葉に返された微笑み。
そこには自嘲も、諦めもなく、純粋に自分に微笑んでくれているのだと思える笑みがあった。
「ノア中尉、…私は、もう少佐ではありませんよ」
「それを言うなら、私も中尉ではないよ?」
「…そうですね…。それなら、一つ教えて頂きたいのですが…」
「なんだい?」
「…私は、これから共に生きて行く相手を何と御呼びすれば?」
その問いに、目の周りを赤くしたオリバーが眩しいぐらいの笑顔で答えた。
「オリバー。オリバーと呼んで欲しい! !私も聞いていいかい?」
オリバーの問いを先に捉えたミハエルが、淡く優しい微笑みのまま答えた。
「ミーシャと」
それは、幼き日の愛称。遠い日々に家族や友人が呼んだ、親愛を込めた呼び名。そう呼ばれることを望んだ。
そう言うと、オリバーは嬉しそうにミハエルを抱きしめ、その髪を撫でながら何度も何度も「ミーシャ、ミーシャ」とその名を呼び、何度かに一度、ミハエルが「オリバー」と呼び返すと、心底嬉しいと言わんばかりに、「そうだよ!もう一度!!」と飽きることがないと言わんばかりに彼の、ミハエルの名を呼んでいた。
「オリバー」
家の補修をしていたオリバーを呼ぶ声。
名を呼ばれるたびに込み上げる嬉しさ。
「なんだい、ミーシャ」
夕食ができたと続いてきた声。
最初は身動きもままならないミハエルをオリバーはかいがいしく介抱した。
恐縮するミハエルに早く良くなるようにと言い聞かせ、そこまでしなくてもいいと言うミハエルの口元までスープを運んだ。照れくさそうに食事を口にしてくれることが、一緒に生きると選択してくれたことが、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
二ヶ月が経った今、ミハエルは自力で立ち歩き、食事の支度を引き受けてくれている。
暖炉の前で、二人で一緒に、彼の作ってくれた食事を摂り、同じベッドで眠る。
彼を抱き締めたい衝動に駆られ、なんとか踏みとどまる。彼に欲望のままに手を伸ばした人間と一緒になりたくないと強く思った。
なのに、朝目覚めてみると、いつの間にか彼を抱き締めていた自分に気がついて、慌てて離れたことがあったり、夜中に隣で眠るミハエルの唇にそっと触れてみて、はっとして手を引っ込め、ミハエルに背を向けて無理やり眠りについたり。
そんなことを繰り返し、葛藤を続けていたある日の夜。
夜中に目が覚めて、隣で眠るミハエルを見た。すると、眠っているとばかり思っていたミハエルと目があった。
「…ね、眠れないのか?」
自分の欲望を見抜かれたのではないかという不安を隠すように、苦し紛れにそう聞くと、ミハエルが少しだけ笑って言った。
「…いいですよ」
「えっ?」
何を指しての「いい」か、そんなことは聞くまでもないだろう。しかし、まだオリバーには躊躇いがあった。
正直、すごく、したい。
だが、彼に欲望だけで触れた人間たちの話を聞いてから、自分もそうなりたくない、そう思われたくないという思いは強い。
しかし…
「…私という人間を、穢いと思わないのであれば…貴方の望むように…」
思うわけがない。彼より美しい人を、自分は知らない。
その言葉を聴いた瞬間、ミハエルに口付けていた。
「…んっ…ふ…」
夢中で貪っていた唇から、苦しげな吐息が漏れる。
「夢中になりすぎた!!」
オリバーがそう言って詫びると、上気した頬をそのままに、ミハエルが笑い、今度はミハエルから口付けてきた。
ミハエルが寝巻き代わりに着ているブラウスのボタンを探るようにしながら外し、肌理の細かい肌に手を滑らせる。
そのうちにミハエルもオリバーの着ているシャツに手を入れてお互いの肌の感触を楽しみはじめた。
「あっ…」
まだ反応していなかったミハエルの中心を握り、優しく上下に扱いてやると、とろとろと蜜があふれてくる。
「あっ…そん…な」
もっと、もっと、気持ちよくしてあげたい。愛し合うという行為がどんなに素晴らしく、そして気持ちが良いか知ってほしい。自分が、他の誰でもなく自分がそれを、ミハエルに与えているのだと分かってほしい。
首筋を吸い、鎖骨へ唇を合わせる。色づいた胸の突起を舐め、片手でもう一つの突起を刺激する。
「あぁっ…」
ミハエルの声を同時にオリバーの愛撫が止まる。どうしたのかとオリバーの顔を見ると、何故かつらそうな顔をしていた。
「…?オリバー?」
「…すまない…」
何のことかと疑問符を浮かべていると、オリバーが左胸、乳首の下辺りを撫でた。銃傷、弾丸の跡だ。
「…残ってしまうかもしれない」
雪のように白い肌に残る、痛々しい痕。
しかし、ミハエルはクスっと小さく笑って言った。
「残るかもしれませんね。…貴方が助けてくれた痕」
「ミーシャ…」
「…これがなければ、私の「今」はありません」
そう言って、痕を愛おしそうに撫でた。その手を追うように、オリバーも笑ってその痕に口付け、軽く音を立てて吸った。
自分に手を伸ばしてきた輩は己が満足するためにだけ、ミハエルを欲望のままに自分だけのものにと望んだ者は、手練手管でミハエルを落そうともがいた。そんな連中に比べれば、荒々しいオリバーの愛撫は児戯に等しい。だけど、…
「あっ、あ…ん…っき、気持ちいい…オリバーぁ…っ」
求める誠実さが伝わってくる。それに呼応するように身体が鋭敏に反応する。気持ちよくて堪らない。
「あぁ、ミーシャ、さっき気持ちいいって!!」
「ばかっ」
締め付けが一層強くなって、ミハエルの腰がビクンと大きく跳ねた腹のあたりに熱いものを感じたのと、ミハエルの中に自分が放ったのはほぼ同時だ。
「っく…ぅ」
トロンとした目で自分を見つめるミハエルに口づけて、髪を撫でる。
ミハエルが何かを確認するかのように、自分の白い腹を手で数回撫で、それに誘われるように、オリバーもミハエルの腹を撫でた。そこに、自分が放ったという事実に酷く満足感と幸福感を覚え、それはミハエルも同じであるようだ。
「…愛してるよ、可愛いミーシャ」
その言葉に帰ってきたのは言葉ではなく、首に絡まる白い腕と、重ねられた唇だった。
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