4-5 生と死
小さな風が唸り、猛る。
狼のトーテムへ──ミッコを先頭に、七騎は
「トニは
ヤリが叫び、ユッカとトニがそれぞれに駆け出す。
まずは混乱を煽る。すぐに、けたたましい馬の嘶きと馬蹄が、悲鳴にも似た人の叫び声が渦巻く風に響き渡る。
場は混乱の極みに陥っていた。
血眼になってエミリーを探す狩者たちはみな血塗れだった。それはミッコも同様だった。
向かって来る者は全員殺した。老兵だろうが少年兵だろうが女だろうが、
俺は殺すことしかできない──サーベルで肉を切り裂くたび、ミッコはそれを自覚した。
背中越しにハンターが指を差していた。その指先の方向には狼のトーテムがあった。ミッコはハンターの指先に従い駆けた。周囲の喧騒は消え、風の声だけが聞こえた。いつの間にかヤリやウィルバート・ソドーたちとは離れていた。
ハンターが指し示す方向には一際立派な幕舎があり、武装した者たちが集まっていた。ミッコは迷わずその人垣に突っ込んだ。パーシファルの馬体で人垣を吹っ飛ばし、何人か馬蹄で踏み潰してなお、残った者たちは武器を手に立ち向かってきた。ミッコは馬から降りると、メイジを兄のハンターに預けた。どれほどの人数がいただろうか、ミッコは向かって来る者たちを皆殺しにした。
折り重なる死体を蹴り飛ばし、ミッコは幕舎に押し入った。
幕舎の中には古今東西のあらゆる武具が飾られていた。ここはフーの幕舎なのだろう。ミッコは奪われたウォーピックと黒塗りの弓を見て思った。
そして、そのおびただしい武具の飾りつけの中に、女がいた──獣の骨で組まれた頭冠、いくえにも結われた金色の髪、ゆったりとした白いローブ、きめ細やかな石の宝飾品──その姿は騎馬民の貴婦人のように見えた。
深緑の瞳と視線が交わった。見慣れぬ姿だが、見間違えようもなかった。それはエミリーだった。
エミリーはいた。生きていた。
エミリーがミッコの失われた左目を覗いた。深緑の瞳は、まるで幽霊でも見たかのような表情をしていた。
ミッコは引き寄せられるようにエミリーに近づいたが、その前を老人と老婆が塞いだ。二人とも、老いてなお一目で手練れとわかる圧を放っていた。
瞬時に、硬直する糸が張り詰める。ほんの少しの間合い。動けば、血が流れる。
「ミッコ! 取って!」
その硬直を破り、叫ぶエミリーがウォーピックを放り投げた。ミッコはそれを手に取ると、流れのまま老人を打ち倒し、そしてエミリーを押さえつけようとした老婆の頭を砕いた。
引き寄せられるままミッコはエミリーを抱き締めようとし、躊躇った。ミッコの手は血塗れだった。沈黙に耐え切れず何かを言おうとし、そして言葉に詰まった。だがミッコが逡巡している間にエミリーは出立の準備を始めていた。エミリーはミッコの得物である黒塗りの弓を取ると、自らは
エミリーはずっと険しい顔をしていた。馴染みのない騎馬民の装束のせいだろうか、その動きも依然と違いどこか重たかった。
「ミッコ。ちょっとだけ付いてきて」
エミリーの指先がミッコの血濡れた手を握った。手を引かれるまま、ミッコはエミリーに続いた。
幕舎の裏口から出る。粉雪が喧噪に舞い、視界を白く濁らせる。
向かった先の幕舎の隙間からは、かすかな笑い声が聞こえた。
中に入ると裸の女がいた。知った顔だった。女は赤の親父の三姉妹の三女、旅の始めのころ、ミッコとエミリーと共に旅をしたアリアンナだった。
一目見た瞬間にどうにもできないことを悟った。アリアンナは廃人と化していた。冬だというのに衣服ははだけており、手で隠されていたが下腹部は失禁で濡れているようだった。半開きの口元からは笑い声が漏れ、その目は虚空を彷徨っていた。
ミッコは共に東の地平線を歩んだ旅路を思い出した。アリアンナは奴隷商人であり決して善人ではなかった。しかしこれほど惨い仕打ちを受けるほどの悪人でもなかった。
人は人を踏み躙る。際限なく。理由などない。それが人だ──。
「ごめんなさい」
エミリーはアリアンナを抱くと、その胸に短剣を刺した。アリアンナの笑い声はすぐに消えてなくなった。
「行こう」
血の滲む指先がミッコの手を握った。揺るぎないその力に、ミッコはまた引かれるままに続いた。
外に出ると、ミッコは指笛でパーシファルを呼んだ。小走りでやってくるパーシファルの背には子供たちが乗っていた。ハンターとメイジを見ると、エミリーの目尻はようやく下がった。
野営地は依然として喧噪に包まれているが、死体の山を恐れてか、狼のトーテムの周辺は例外的に人がいなかった。
「おいミッコ! ご令嬢は見つかったのか!?」
遠くからヤリの声が聞こえた。背後にはウィルバート・ソドーもいた。
かつて駆け落ち同然で出奔した娘と、それを追って〈教会〉を発った父は、もはや見知らぬものとなった東の地で再会した。その瞬間、ミッコと再会しても揺らぐことのなかったエミリーの目が初めて揺らいだ。エミリーは信じられないといった顔をして震えていた。そんな娘を父親は一度抱き締めた。しかしウィルバート・ソドーは驚くこともなく、すぐに剣を抜いていた。
「おい見ろよ! ゲーフェンバウアーが来たぞ!」
ヤリの声に振り返ると、
怖いほど出来過ぎな結果だった。かつてミッコは何もかもをフーに奪われた。しかし今、その多くは奪い返すことができた。
「よし、ズラかるぞ! 火を放て!」
ヤリが叫び、火を放つ。ミッコも松明を放り、篝火を蹴り飛ばす。冬の風に煽られる炎は次々とテントに燃え移り、瞬く間に野営地に燃え広がっていった。
炎を背に、ミッコたち八騎と子供二人は野営地から駆け出した。追手の尾行を振り切るため、とにかく遠くまで駆け続けた。
振り返ると、狼のトーテムは見えなくなっていた。しかし地平線はずっと燃えていた。
しばらくの間、ミッコたちは何をするでもなくそれを眺めていた。流れ吹く風にはまだ戦いの音が響いていた。暮れていく虚ろな冬の色は、確かな血に染まっていた。
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