4-4 奇貨

 夜明けの風が哭き、地平線の白が赤く染まっていく。


 戦いが始まった。雪深まる地平線の一角にて、赤兎旗を中心とした地域社会コミュニティ・コサックの軍勢と、狼のトーテムを掲げる戦狼たちストレートエッジ・コサックの軍勢がぶつかり合う。

 始まる前から結果は見えていた。戦力は総勢三万ほどを擁する地域社会コミュニティ側が圧倒している。歩兵、騎兵、砲兵など複合兵種を揃える地域社会コミュニティ側に対し、戦狼たちストレートエッジ側の兵力は約三千、それもほぼ騎兵のみである。戦士一人一人の能力は狼王の遺児フーを始め戦狼たちストレートエッジが圧倒しているだろうが、アンナリーゼ率いる地域社会コミュニティの軍勢は極めて組織化されている。どれだけ個の武勇が優れていようとも、組織化された軍隊の前にそれが勝ることはない。それはフーの直系の祖先であり、全ての騎馬民の始祖たる〈東の覇王プレスター・ジョン〉が、大陸のあらゆる猛者──騎士、戦士、王、そして英雄……──を屠り尽くした二百年前の時点ですでに証明している。


 戦場からそれほど離れていない後方に戦狼たちストレートエッジの野営地はあった。野営地に残るのは守兵、兵士たちの家族、そして牢車に詰め込まれた捕虜と奴隷であるが、設営されたテントの規模に対し残る人間は少なかった。戦力になりそうな者はほとんど駆り出したのだろう。百騎にも満たない守兵も大半は少年兵か老兵で、中には女さえいた。

 主力の出払った戦狼たちストレートエッジの野営地を前にして、ミッコはすぐにでも駆け出し、エミリーを探しに行きたかった。しかしヤリにはまだ待てと窘められた。戦いはまだ始まったばかりである。会戦が佳境に入るそのとき、いよいよフーの身動きが取れなくなったときでなければ、確実に追手がかかる。追手がかかれば、土地勘のないこちらが不利になるのは明らかである。


 狩りは大詰めを迎えている。些細な迷い、認識の誤り、判断の遅れは、狩りの失敗を意味する。

 ここに至るまでの道中、エミリーらしき人影はいた。遠目でしか確認できていないが、金色の髪をした女は、黒馬に乗っていた。しかしその服装は見慣れぬ騎馬民の平服であった。そしてその影は常に狼王の遺児フーのすぐ横にあった。


 ミッコたちは地平線の影に潜み、待った。


 風の声が聞こえてくる──戦いの音が、死の音色が、戦場を静かに物語る。


 会戦の状況に目と耳を配りつつ、ミッコたちは待った。しかしミッコたちが動く前に、戦狼たちストレートエッジの野営地に動きが生じた。


 小さな人影が二つ、野営地から飛び出す。

 ミッコは遠眼鏡越しにそれを見た──小さな子供の影──見覚えのある人影だった。それはデグチャレフ村で出会ったハンターとメイジだった。

 ハンターは妹のメイジの手を引いて懸命に走っていたが、しかしすぐに守兵に捕まってしまった。

 逃げる二人に縄がかけられる。三騎のうちの一騎が二人を縛り上げ、引きずり倒す。それでもなおハンターは妹を守るように抵抗していたが、縄は二人を引き剝がし、そして痛めつけるように引きずり回し始める。

「あらら、捕まっちまった」

 状況を見守るヤリは無感情だった。その横で、ミッコはパーシファルに飛び乗っていた。

「おい待てミッコ!」

「うるせぇ!」

 ミッコは前しか見ていなかった。怒鳴るヤリに怒鳴り返し、ミッコは駆け出した。


 馬腹を蹴り、加速する。歩を刻むたび、冬の風が吹き荒ぶ。

 パーシファルはやはり非凡な馬だった。問題は、乗り手がそれについていけるかどうかであった。視界の左半分は黒く塗り潰されている。体は動かせるとはいえ、傷は癒えてはいない。今までと同じ感覚では戦えない。

 ミッコは右目で獲物を狙いつつ、矢をつがえ、放った。矢は相手から逸れた。もう一度放ったが、当たらなかった。

 矢が飛び交う。瞬きの間に、飛び来る矢が数を増していく。敵の矢には力があった。体を掠める矢風は、鋭かった。

 

 ミッコは弓をしまい、サーベルを抜いた。そして突っ込んだ。

 互いの視線が交わる。鉄が触れ合い、火花を散らし、肉を裂く。返り血が風を濡らし、雪を赤く染める。

 ミッコは一騎を切り伏せると、勢いのままに反転し、さらにもう一人を、そしてハンターとメイジを縛り上げていた三人目を続け様に切った。

「じっとしてろ! 縄を切る!」

 ミッコは二人を縛っていた縄を切ると、メイジを胸に抱え、ハンターを背に乗せた。

「しっかり掴まってろよ!」

 言葉が通じているかどうかは考えなかった。相変わらずハンターの言葉はわからなかったし、メイジは疲労のせいかほとんど虫の息である。しかし、鎧の帯紐を握るハンターの手と、胸元にしがみ付くメイジの手には力があった。


 今は互いが互いを信じるしかない──ミッコは馬腹を蹴ると、狼のトーテムを目指し駆け出した。


 駆けるミッコを取り囲むように、戦狼たちストレートエッジの新手が迫る。当初、三騎しかいなかった敵の数は増え続けて、今や三十騎ほどになっている。

 相手が何人いようが構わなかった。ミッコは駆け、サーベルを振るった。子供を二人連れた状態では思うように戦えないが、どうせ何もかもが場当たり的である。即席の主従、即席の武装、即席の協力……。今はこれで戦うしかない。やり切るしかない。

 また、矢が飛び来る。その矢の射手たちに向かい、別の矢が風を切る。ヤリの毒矢が敵を射抜く。ヤリ、ユッカ、トニの三人を前衛に、ウィルバート・ソドー、スペンサー、ボックスフォードの三人が続く。騎射に続き、一体となった六騎の刃が敵の群れを貫く。


 切り結ぶたび、巻き上がる血飛沫がその色を濃くしていく。


 予め立てていた作戦では、数的不利を偽装し、相手を攪乱するような戦い方を想定していた。今、作戦は崩壊している。それでも、勢いはある。流れはミッコたちが握っている。数的不利は覆しようもないが、しかし三十騎以上の敵を前にしても怯む者はいない。たった七騎の群れは、しかしまだ誰一人として欠けていない。

「ミッコ! このまま突っ込むぞ!」

 群れの指揮官であるヤリはほとんどやけくそになっていたが、しかしそのサーベルの切っ先に迷いはなかった。

「奇貨を逃すな! このままエミリーを見つけ出す!」

 ウィルバート・ソドーはやはり誰よりも燃えていた。その檄に背を押され、ミッコは狼のトーテムの立つ野営地に切り込んだ。

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