4-7 道なき道
白んでいく冬の風は厳しかった。〈
これまでの旅路はどこまでも行っても殺伐としていた。しかし今は少しだけ穏やかな時間が流れていた。
笑顔の中心にはエミリーがいた。ミッコやウィルバート・ソドーだけでなく、誰もがエミリーとの出会いを喜んでいた。
ウィルバート・ソドーの部下の一人、老練の騎士ボックスフォードの目には涙が浮かんでいた。どれだけ涙を流そうとも、幼少のころのエミリーの思い出を語る言葉は溢れて止まらなかった。
ミッコのことを終始小馬鹿にしていたスペンサーは、エミリーの前では寡黙な態度であり、エミリーがどれだけ和やかに話しかけようとも、あくまで主従の関係を守ろうとしていた。彼はたぶんエミリーのことが好きなのだろうと思った。それは恋愛というよりは崇拝に近いように見えた。
エミリーとは初対面のヤリもどういうわけかやたら喜んでいたし、疲れ切っていたわりに妙に饒舌だった。ユッカやトニに至っては人目も憚らず大泣きしていた。
エミリーを囲む輪の中にはハンターとメイジもいた。フーに捕らわれ苦難を共にしたであろう兄と妹は、以前よりもさらにエミリーに懐いていた。
あの戦いのあと、一緒に付いてきたハンターとメイジの後ろにはいつの間にか
日増しに冬が厳しくなっても笑顔は絶えなかった。それはエミリーも同じだった。
何日もの間、ミッコとウィルバート・ソドーの二人はその輪から距離を置いていた。どういう顔をして話せばいいかわからないでいるミッコはともかく、父親であるウィルバート・ソドーが娘と距離を置く理由はよくわからなかった。
八騎と二人の兄妹とそれに続く群れは西へ移動していた。群れを先導するヤリやウィルバート・ソドーたちは国へ帰るための帰途についている。それに続く難民たちは単独では生きていけないので、とりあえずハンターとメイジの伝手を頼って付いてきているという状態である。
ヤリは難民の世話をする気など毛頭なく、捨て置きたいという感情を隠そうともしなかったが、そのたびにウィルバート・ソドーが頭を下げた。エミリーも難民たちを見捨てられないからだろうが、弱き者を守ろうとするウィルバート・ソドーはやはり騎士然とした男だった。相談ののち、とりあえず近場の
西への旅の道中、エミリーは笑顔こそあったが、体調はよさそうではなかった。ある日、エミリーは野営地からこそこそ離れると、腹を抱えながら嘔吐した。
突然のことにミッコが戸惑っていると、ウィルバート・ソドーが現れてエミリーを介抱した。しばらくして落ち着くと、エミリーは「ありがとう」と言ったが、言葉は重苦しかった。
気まずそうに目を逸らすエミリーをウィルバート・ソドーが見る。騎馬民の装束はやはり見慣れないのだろうか、二人の間には少しだけ距離がある。
少しの沈黙のあと、エミリーがまず口を開く。
「ごめんなさいお父様。勝手なことをして……。こんなところまで来てもらって……」
「謝ることはない。俺はお前に会いたかっただけだ。それに勝手なのは俺も同じだ」
ウィルバート・ソドーが俯くエミリーの肩を抱き寄せる。
「俺はずっと戦ってきた。神のために、国のために、騎士団のために。〈帝国〉の野望を挫き、〈教会〉の国体を守る。それこそが正義であり、自らに課せられた使命なのだと信じて。そうしてお前以外の家族を失った。そして戦争が終わり、〈帝国〉との和睦が成立したあとも、俺はまた大陸の平和のために家族を使った。お前の思いも聞かず、ストロムブラード家との政略結婚を進めた」
二人は泣いていた。一語一語をかみ締める父親の胸元で、娘は顔を埋めている。
「許してくれとは言わない。ただ、謝らせてくれ」
全てを捨てて出奔した娘を追い、同じく全てを捨ててそれを追ってきたであろう父親の思いがそこにはあった。
「俺たちは国に帰る。一緒に来てもいいし、そいつとの旅を続けるのならそうしなさい。決めるのはすぐでなくてもいい。考える時間はたくさんある」
優しく肩を抱くウィルバート・ソドーの胸元でエミリーは何か言おうとしていたが、言葉は嗚咽となるばかりだった。エミリーの泣き声はほとんど慟哭していた。
「お前はもう自分の人生を歩き出した。俺はそばにいることしかできない。だからこの先の生き方もお前が決めなさい」
そう言って、ウィルバート・ソドーはエミリーの頭を撫でた。
深々と雪が降り続く中を静かな風が流れ吹く。
しばらくしてエミリーが泣き止んだ。ところなく立っていたミッコはウィルバート・ソドーに頭を下げた。
「すいません、お父さん」
「黙ってろ」
謝るミッコに対し、ウィルバート・ソドーは語気を荒げた。
「お前と話しに来たのではない」
ウィルバート・ソドーは吐き捨てると野営地へ戻っていった。ウィルバート・ソドーは最後までミッコに一瞥すらくれなかった。
ウィルバート・ソドーが離れると、ミッコとエミリーは二人だけになった。
馬を曳きながら野営地に戻った。何かを察しているのか、ゲーフェンバウアーとパーシファルは二頭とも静かにしている。
「お父様のことはごめんね。気を悪くしないで」
「いいよ。原因は俺だし」
二人になっても会話は少なく、お互いの笑顔もぎこちなかった。
「その服、着心地どう?」
何気なしに、ミッコはエミリーの着ているゆったりとした白いローブを見た。
「悪くないよ。いいものらしいし。そっちは?」
エミリーに指摘され、ミッコは自分が着ている服が変わっていることを思い出した。
「動きやすくはないけど、ないよりは気持ちマシかな」
ミッコの格好を見ながらエミリーが微笑む。
「この地方の昔の鎧? あんまり似合ってないね」
「それ、他のやつにも言われた」
二人は同時に笑った。笑い合った。
いろんなことが起こり、いろんなことを経験した。わずかな時の中で、出会い、別れた。それでも二人は生きてまた出会い、今を生きている。
もう出会ったときのように笑い合うことはできないのかもしれない。しかし今、少なくともミッコの心は安らかだった。
久しぶりに訪れた二人だけの時間にミッコは懐かしさを覚えた。そのときだった。突如、予期せぬ方向から風が吹いた。
西から東へ──真正面から吹き荒ぶ、冬の暴風──その風の先に、ミッコは信じられないものを見た。
はっきりと目が合った。西の地平線上にはフーがいた。かつて二度刃を交えた狼王の遺児は、傷つき、血塗れになり、ボロボロになってなお、偃月刀を手に馬上に君臨していた。
なぜもう会うことはないと思っていたのだろうか? なぜ命運は決したと思っていたのだろうか? なぜ奴は死んだと思っていたのだろうか?
目で見たものだけが真実だ──昔、どこかの誰かがそんなことを言っていたような気がした。
そしてまた風が吹いた──来た、風が──フーとわずかに残ったその騎馬隊は、狙い定めた獲物に向かい突っ込んできた。
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