1-2 二人だけの夜空
西の地平線に陽が落ち、夜風が薄闇を吹き抜ける。
ミッコとエミリーは街道から少し離れた地平線の岩陰に身を隠し、野宿することにした。追跡者とも言えぬチンピラどもとの駆け引きで時間を浪費したこともあって、目的の宿場町には到着できなかった。
二人と二頭が焚き火を囲む。小さな火の粉が風に舞い、夜のどこかに消えていく。
宿営地を決めると、まず馬に水と餌を与えて休ませ、それから夕食を取った。ミッコがウサギを捌き、エミリーが炙った肉を香辛料で味付けした。肉を頬張ると、肉汁の中にほのかな刺激と香りが漂った。食べ終えると、エミリーは「買っておいてよかったでしょ」と微笑んだ。
夕食を終え、いつでも就寝できる準備を整えると、ミッコは羊皮紙の地図を、エミリーは一冊の本を開いた。軍を退役する際にアルバレスとともに恩給として贈られた大陸の地図と、大陸の東の果てを旅したとされるロマニア・シルヴェストルの大衆小説、〈遥かなる地平線〉。それぞれを照らし合わせ、二人は語り合った。まだ見ぬ世界を辿る旅路はいつの日も盛り上がった。
ミッコがまだ幼かった頃、部族の大人たちは戦いのたびに『遥かなる地平線に血の雨を』と雄叫びを上げていた。それは先祖たる〈
ミッコは〈帝国〉で生まれ、エミリーは〈教会〉で生まれた。ミッコは帝国軍の兵士で、エミリーは〈教会〉の貴族だった。ミッコは〈
温かな火の色とともに、夜が更けていく。
一通り語り終えると、エミリーは夜空を見に行こうとミッコを誘った。
手を取り、夜の闇へと足を踏み出す。焚き火の明かりが小さくなり、馬の鼻息も聞こえなくなる。やがて風の音さえもが消え、夜の闇が全てを支配する。
体が夜に溶けていく。しかしその感覚は不思議と心地よかった。確かに繋がる手の温もりは、闇の深ささえも忘れさせてくれた。
体が夜に溶け、徐々に目が慣れていく。そしてどこまでも広がる星空が夜闇の向こうに現れる。
「凄い……。夜空がこんなに大きいなんて……」
「まぁ田舎だからな」
「……もう少しロマンティックなこと言えないの?」
「……わかったよ。じゃあやろうぜ」
「はぁ!? そういう雰囲気じゃないでしょ!? それにこんな場所でなんて嫌よ!」
ミッコは服を脱ぎつつエミリーの頬にキスをしたが、にべもなく拒絶された。
「何だよ……。せっかくの二人旅なんだから、二人だけの時間を楽しもうぜ」
「もちろんよ。だから今は二人でこの景色を楽しむの。ほら、早く服着て」
エミリーが取り合ってくれないのでミッコは渋々服を着直したが、抗議も兼ねて上半身は裸のままで横に座った。
空を見上げながら、ミッコはエミリーの肩に手をやった。そのとき、血の臭いが鼻先を撫でた。指先にまで刻まれた騎馬民の男子の証たる
思い出したくもない記憶が甦る──この体には、大陸の東を破壊し尽くした〈
それでも温もりには抗えなかった。
「よかったのか? 俺なんかについて来て?」
静寂の中、ミッコはエミリーに訊ねた。
「今さら何言ってるのよ? 約束したでしょ? 二人で新しい故郷を見つけるって」
ミッコの心配をよそにエミリーはあっけらかんとしていた。夜に溶けるエミリーの横顔にははっきりとした意志が見えた。
戦争で多くを失くした──初めての夜、そう言った自分を思い出しミッコは自嘲した。あの夜、二人は体を重ね、思いをぶつけ合った。そして共に旅立つことを決めた。
「それに国に帰ったって……。もう何も残ってないじゃない……」
星の光が夜に揺らめく。エミリーの瞳に映る星空が、うっすらと滲む。
「みんないなくなっちゃったんだよ……。国のためとか、家のためとか、神のためとか都合よく利用されて……。そんなところにずっと縛られたまま生きるなんて……」
旅を始め、もう三か月ほどが経過していた。思い出される日々はあっという間だった。
あの夜のあと、二人は駆け落ちした。当時十八歳だったエミリーは父親の決めた縁談を反故にし、当時二十一歳だったミッコは新任の上官の婚約者を奪って軍を辞めた。
「……エミリー。俺たちはずっと一緒だ」
ミッコはエミリーの体を抱き寄せた。そして唇を交わし、そのまま夜に落ちた。
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