1-4 戦狼たちとの戦い
春の旅路を重ねるたび、東の地平線がその色を失っていく。
〈帝国〉最東端の街に近づきつつあったある日、ミッコとエミリーは物資の補給のため交易所に立ち寄った。農民、商人、狩人、騎馬民など多くの人々が行き交う交易所は〈帝国〉北東部の辺境にしては活気があった。くたびれた木造の砦には〈帝国〉の黒竜旗が翻り、少数だが駐屯する部隊もあった。
交易所に到着すると、まずは
そうして二人が他愛のない話をしていたそのとき、突然、空のどこかで風が哭いた。
矢が空を裂き、地に降り注ぐ。無数の悲鳴とともに、強風が吹き荒れる。
「〈
誰かが発したその言葉で空気が凍る。群衆は騒然となり、交易所は瞬く間に狂乱の渦に陥った。
ミッコもその目ではっきりと見た。騎馬民由来の古き弓馬の術を用いる、狼のトーテムを掲げた戦士たち──〈
馬のつなぎ紐を解きながら、どうするべきかとミッコは迷った。鬨の声からしても敵は五十名足らずで、包囲にもまだ無数の穴がある。しかし包囲を突破したところで、〈
戦うか、それとも逃げるか──しかしその一瞬の逡巡の間に、戦況はもう傾いていた。
駆け回る
「野蛮人め! 無抵抗の民を殺すなんて!」
エミリーは憤慨し、
早々に抵抗を諦め命乞いをする集団もあった。集団には女や子供もいた。しかしそれを取り囲んだ
一連の様を見たエミリーは青褪めていた。恐らくは、そこで彼らの本質を理解したのだろう──敵は会話ができない野蛮人ではない。彼らにとっては暴力こそが会話なのである──つまり、殺さなければ殺される。
「撃ち続けろエミリー! 弾があるうちは敵は近づいてこない!」
恐怖に慄くエミリーをミッコは励ました。ミッコは落ちていたマスケット銃を拾うと、火薬を入れ、弾を装填し、引き金を引いた。弾は当たらなかったが、しかし激発する音は風を裂き鳴り響いた。
その音で我に返ったのか、エミリーも自らのマスケット銃を手に続いた。流れるような手捌きで装填され、発射された一発は、見事に敵の馬を撃ち抜いた。
ミッコはエミリーの様子に安堵した──弾が当たらずとも、手元の火は射手の心を支える。それはなけなしの勇気でしかないが、しかし戦場では最も必要な力でもある。
ただ、二人がいくら抗っても、流れはすでに覆せぬ一線を越えていた。
一方的とはいかないまでも、戦況の優劣ははっきりしていた。交易所を守備する〈帝国〉の東部方面軍の兵士らは懸命に戦っていたが、しかし一人十殺を実行する
混乱の中、群れが後ずさる。ミッコとエミリーも互いの人馬を守るのが精一杯で、じりじりと後退を余儀なくされる。
群衆が交易所最奥の砦に殺到する。抗戦する帝国軍兵士と逃げ惑う群衆、そしてそれらを追い立てる
もはや逃げ場はない──その様子を見てミッコは覚悟を決めた。
これ以上の後退はできないし、しても道はない。馬は群衆の中で棒立ちとなり、やがて屍の中で身動きが取れなくなり、最後は何もできずに死ぬ──ならば死地に活路を求めるしかない。
「エミリー。また俺について来てくれるか?」
「どうする気なの?」
「狼のトーテムがあっただろ。それが敵の旗印だ。斬り込んで、それを討ち取る」
「正気なの!? ここから敵の中に突っ込むつもり!?」
「
エミリーは呆気に取られていたが、ミッコの言葉に迷いはなかった。先の〈帝国〉と〈教会〉との戦争には〈
ミッコは軍にいた頃を思い出した。こんなとき、騎兵隊の男たちは必ず前に進んだ。それは文字通り血路であり、当然死ぬ者もいたが、しかしみな戦って死ねた。そして戦った者は生き延びることができた。
「前みたいにアルバレスに身を任せてついて来てくれるだけでいい。それで俺は戦える」
「……わかった。後ろは任せて」
エミリーは最初こそ困惑していたが、今はもう迷いは見られなかった。深緑の瞳に宿る意志ははっきりと燃えていた。この短時間でエミリーは立派に戦えることを証明した。ミッコにとってそれは嬉しい誤算だった。
二人の心は決まった。ミッコは黒い
「安心しろよ。俺のそばが一番安全だ」
ミッコは黒塗りの弓に矢をつがえると、覚悟の言葉とともにゲーフェンバウアーの馬腹を蹴った。久しぶりの窮地に興奮しているのか、長く戦場を共にしてきた黒馬の踏み出す一歩は力に溢れていた。
燃え盛る炎の中、できる限り音を殺し駆ける。まず一人、死角からの一矢で仕留める。勢いを緩めず、続けて矢を放つ。荷駄やあばら家の影に隠れながら、一人、さらにもう一人と、
敵が異変を察知する。大陸共通語とも東の古語とも違う言葉が連呼され、何名かが武器を振り上げ向かってくる。
ミッコが新たな獲物に狙いを定め矢を放ったそのとき、一発の銃声が風を切り裂く。ミッコの放った矢が敵を射抜き、エミリーの放った銃弾が別の敵を撃ち抜く。群れを貫く連撃に、敵の動きが一瞬だけ戸惑いを見せる。
「押し通る!」
ミッコは一喝し、敵味方全ての注意を自らに向けた。そして一瞬の間隙を逃さず、敵中に斬り込んだ。
狼のトーテムを目指し駆ける。弓に替え、ウォーピックを手に取る。
二騎が風となり、群れを薙ぐ。
蹴散らした先で、敵と目が合う──顔面にまで禍々しい
最初の一撃で勝負を決める──手綱でそれを伝える前に、ゲーフェンバウアーはすでに必殺の間合いを計っていた。ミッコは馬に拍車を入れ、先に敵の懐に踏み込んだ。そして疾駆の勢いのままウォーピックを振り抜いた。
敵の群れを駆け抜ける。馬首を返し、背後を振り返る。エミリーはぴったりと後ろについて来ていた。外傷はなく、人馬は血を浴びることもなかったようだった。
敵の追手はいなかった。背後では、地に落ちた強敵がもがき苦しんでいた。首の皮一枚で敵は生きていたが、風はもうほとんど止んでいた。ミッコは先ほど討った敵に近づき、馬を降りた。そして返り血を浴びながら傷口に手を突っ込むと、力任せにその首をねじ切った。
血の雨が降り、戦いは終わった。ミッコに向かってくる者はいなかった。討ち取った首を掲げるまでもなく、残った
風が哭き止み、そして静寂が地を吹き抜ける。
「……ちょっとやり過ぎじゃない?」
「でも一瞬で終わっただろ?」
首を見せびらかしつつミッコは笑ったが、エミリーの顔は引き攣っていた。
ミッコは我に返り、討ち取った首を投げ捨てた。そして過度に残忍な場面を見せてしまったことをエミリーに謝った。久しぶりの戦とはいえ、戦い方を考える余裕はあった。にも関わらず、軍の教練で培った技ではなく、部族に伝わる昔ながらの殺し方をしてしまった。あろうことか、晴れやかな気分に酔ってすらいた。
「……相手はイカレた狂人どもだ。どうなろうと自業自得だよ」
拙い言い訳とともにミッコは自嘲したが、エミリーはただ笑って受け流してくれた。
エミリーは水筒の水に布切れをひたすと、それでミッコの顔の血を拭ってくれた。戦いのあと、布の冷たさは気持ちよく、触れる手の温もりは心地よかった。
「ごめんな。無茶なことして」
「いいのよ。無事だったんだから……」
ポツリと呟いたエミリーの目には涙が滲んでいた。
「ついて来てくれてありがとう、エミリー」
「こちらこそありがとう、ミッコ。これで私もちゃんと戦えるって証明できたでしょ?」
誇らしげに涙を流すエミリーの肩をミッコは抱いた。触れた頬からは女と汗と火薬の臭いがした。旅の帽子からなびく金色の毛先は、硝煙に塗れてなお鮮やかな色をしていた。
血を帯びた風が二人の間を吹き抜ける。しかし今、二人は確かに笑顔だった。
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