1-5 〈帝国〉最東端の街
東の地平線に黒い影が浮かぶ。
ポツリと浮かぶ古い城は色のないツタに覆われていた。城頭に翻る黒竜旗は、城の佇まいと同じようにどこか色褪せて見えた。
〈
サコーはのどかな辺境だった。二百年前、大いなる災厄が大陸を蹂躙したときこそ〈帝国〉東部の防波堤として栄えたが、その後は戦略的価値を喪失。長らく大きな戦闘とは無縁だったゆえか、他の〈帝国〉主要都市と比べて戦争の面影は少なかった。
ただ、先の
夕方。休息と情報収集を兼ね、二人は酒場に足を運んだ。田舎の酒場らしく、場は寂れ、空気はどこか荒んでいた。
酒を注文し、ささやかな祝杯を挙げた。これまでの二人の旅路を思い出し、そして飲み合った。
場末の酒場と思っていたが、酔いが回れば関係なかった。気がつけば互いに饒舌になり、無意識のうちに周囲に幸せを振り撒いていた。
いいことでもあったのかと訊ねてきた店主に、エミリーは上機嫌で「二人で東へ旅に出る」と答えた。
「はぁ? こっから国境越えて東に行くだぁ? 何考えてんだあんたら?」
エミリーの答えに酒場の店主は本気で呆れた。無邪気に答えたエミリーは途端に不機嫌になった。連れ合いの態度の豹変に、ミッコの酔いも途端に醒めた。
「……別に何しに行こうとこっちの勝手でしょ?」
「何しに行くのか知らねぇが、冒険者気分なら止めときな。東に夢なんてねぇよ。ま、〈
「〈
「ここらじゃ〈
エミリーの皮肉に対する酒場の店主の口調は重く、その目も険しかったが、エミリーはいまいち理解できていないようだった。
「この前も
「でも〈
「確かに、
酒場の店主の口調はまるで自らが見てきたかのような口調だった。エミリーは酒場の親父ごときが何を偉そうに語るのかといった表情だったが、一方でミッコはその情報を注意深く聞いていた。ここから東はミッコも土地を知らない。その土地の空気感というものは、その土地に暮らす者でなければわからない。
「今の東部は大陸のどこよりもきな臭い。〈教会〉との戦争が終わってから、〈
酒場の店主の口調はきつく、ほとんど忠告に近いものだった。しかしエミリーは意固地になっているのか、不機嫌そうな顔でそっぽを向いていた。
話し疲れたのか、酒場の店主は自分の店の棚から酒瓶を取り出すと、それをぐびぐびと飲み干した。中身を空にして心地よくなったのか、険しかった目はもう蕩けていた。
「まぁ越境自体は簡単だよ。でもやっぱり二人だけで行くのはおすすめしないね」
先ほどまでとは打って変わって、ほろ酔い気分で店主が喋る。
「うまく話をつけて軍の哨戒部隊に同行できれば、それが一番安全だ。いくら
店主は帝国軍哨戒部隊への同行を提案してきたが、ミッコは軍と話す気は毛頭なかった。かつては帝国軍に騎兵として在籍していたし、東部方面軍に知り合いがいないわけでもないが、今はもう退役しているし、そもそも関わりを持ちたくもなかった。
「軍と話をつけるのが面倒なら、隊商に護衛としてついていくのが手っ取り早いかもな。今なら赤の親父が取引で来てる。雇ってもらえりゃ、奴らの本拠地のイズマッシュまでは三食付きで進めるよ」
「赤の親父って?」
「〈
まともな奴隷商人と聞いて、エミリーは首を傾げていた。恐らくエミリーにとって、人身売買を率先する奴隷商人などは唾棄すべき下賤という認識なのだろう。一方でミッコは戦場で多くの奴隷を見てきた。良し悪しは別として、彼らはすでに大陸の社会に組み込まれている。
〈
「赤兎旗……、赤いウサギの紋章を探しな。何か
酒場の親父に正体を見透かされていたことにミッコは居心地の悪さを感じた。そもそも話自体もこちらの思惑を読んでいるかのように進んでいる。先ほどからミッコは会話を横で聞いているだけで、口を開いてはいないにも関わらずである。
居心地の悪さを誤魔化すように、ミッコは杯をあおった。その横で、エミリーは自分が噂話に全く登場しないことに腹を立てていた。
二人は飲むだけ飲むと酒場を出た。その間も、噂は勝手に独り歩きしていた。
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