第3話 女神カナエの出来上がるまで 2

底なしの水溜りに沈んだ私の腕を、しっかりと掴む者が有った。

そしてそのままズルズルと引かれていく。


「グワップッ。」


はあ、はあ、はあ。

あー、息が出来る。助かった。

それにしても体中泥でべとべとで、眼も開かず何も見えない。

まあ、とにかく私は生きているようだ。


「おい、大丈夫か。」


良かった。誰かが私を見つけてくれたんだ。

何というラッキー。

私は目の周りの泥をぬぐい、何とか目を開けた。

目の前には、中世の狩人みたいな恰好をした男性がいた。

RPGのコスプレ?コミケでもあったかな?

とにかくお礼だお礼。


「ありがとうございました。何が何だか分からないまま水溜りに沈んで、

もう本当に死ぬかと思っちゃいました。」


「分らないまま?お前何処から来たんだ。

この底無し沼は危険だと小さな子供だって知ってるぞ。」


そんな、道路のど真ん中に、そんな有名な底なし沼が有る訳ないだろ。


「あの‥。」


一連の事を説明しようと思って、初めて回りの様子に気が付いた。


「ここ何処?」


「だから底なし沼。」


おかしい、絶対おかしい。


「おかしいです!ここ何処ですか!?

私、ついさっきまで駅の近くにいたんです!ガード下で、近くにビルがあって、

地面だって、こんな草原じゃなくアスファルトで!」


「ちょっと待て、少し落ち着け、どうもお前の言っている言葉が分からない。

いや、言葉は分かるが、理解できない言葉が混ざっていて、

いまいち意味が分からない。」


「だから、私がぬかるみに嵌ったのはこんな場所ではなく、

もっと街中で、あ―――。つまり私がいたところと全然景色が違うんです!!!」


「分かった、分かった。とにかくちょっと落ち着け。

そんなに興奮していては、説明しようにも混乱してしまうだろう。」


そう言って、自分のリュックから布を取り出し、私の顔の泥をぬぐってくれた。


「お前、今の自分の格好が想像つくか?泥だらけでかなりひどいぞ。

この先に俺の家があるから来い。

さっぱりして落ち着いてから、ゆっくり話してみろ。」


男はそう言うと、私の手を掴みスタスタと歩きだした。


それから10分も歩いただろうか。

森の中には不釣り合いの、ちょっと立派な屋敷が目の前に姿を現した。


「フヮーッ立派のお家ですね…。」


「俺の隠れ家だ。

で、お前汚れすぎだから、そこの小川で軽く泥を落としてきてくれないか。

そのままだと、家の中が悲惨な事になる。」


まあそりゃそうだな。

こんな泥だらけの格好で屋敷の中歩いたら、

そこらじゅう泥だらけになってしまうわな。

仕方ない、行ってくるか。


男が言った通り、そこには綺麗な水が流れる小川が有った。

とても透明で冷たそうに見えたが、私は躊躇せず小川の中に飛び込んだ。

透き通っていた水は、見る間に泥水になり流れていく。


「ひゃあ、ずいぶん汚れていたな。

まあ仕方ないか、頭の上まで泥の中に浸かっていた筈だからな。」


小川に座り込み、顔から、手や足などを擦っていたが、

全身泥だらけだから、埒が明かない。

だんだん水の冷たさにも慣れたし、いっそ面倒くさいと、

仰向けに水の中に寝っ転がった。

その状態のままであちこちゴシゴシと擦る。


「いったい何やってるんだ。」


頭の上で声がした。


「え――。言われたとおりに泥落としているんだけど。」


上から私の顔を覗き込む男を見て行った。


「変わったやつだなお前は、ほら、もういいからこれで体を拭け。」


そう言うと、大きな布を私に差し出す。

でも、まだ泥は落ちてないですよ。

体を動かすたびに、水は濁るんだもの。


「そこまで落ちたなら、目をつぶる。

第一、全身綺麗にするなら、裸にならなきゃ出来ないだろう。」


ごもっともです。

私は体を起こすと川から出ようとすると、急に男が焦った声を出した。


「ちょ、ちょっと待て、お前なんてかっこしているんだ。ドレスはどうした。」


え、結婚式でもあるまいし、ドレスなんて着てるわけないじゃない。


「下着で沼に入ったのか。汚れる事を覚悟していたのか?」


何言ってるんだ、この服が下着だと?

失礼な奴だな。

そりゃ、見るも無残になってはいるけど、下ろし立てのブランドもんだぞ。

私は薄いチェリーピンクのワンピースのすそを広げ、見下ろした。

いや、今は薄汚れた泥色だけどさ。


「これが下着に見えるの?

立派なワンピースじゃん。

あ~~お気に入りだったのになぁ、絶対このシミ落ちないよ。

ショック――。」


「どう見ても下着だろうが、ほらさっさとこれで体を隠せ、

いくら人目が少ないといえども慎みを持て!」


「わるかったわね、貧相な体を披露しちゃって。」


「そう言う意味ではない。膨れるな。」


男は立ち上がった私を、器用に布で包んだ。


それから私は男の後に付いて屋敷に入って行った。

屋敷の床は絨毯ではなく助かった。

体を洗ったとはいえ、まだあちこち泥がこびりついているし、

落ちる雫も濁っている。

絨毯では無いとはいえ、汚したらまずいと思い、必死に布を体に巻き付ける。


それから連れて行かれた部屋のドアを開けた途端、

中から押し寄せる沢山の水蒸気。


「あ、お風呂。」


「あぁ、お前が泳いでいる間に湯を用意させた。」


泳いでいた訳じゃ無いです~。

あなたが泥を落とせと言ったから、落としていただけです~。

でもお風呂は凄く嬉しい。



「替えの湯も今用意させている。ゆっくり汚れを落とせ。」


「ありがとうございます。早速お言葉に甘えさせていただきます。」


兄さん、意外といい人ですね。

いや、考えてみると、最初からいい人だったかもしれない。


「一人でできるか?

もし何だったらメイドを呼ぶが。」


できるわい!

いい香りの石鹸を贅沢に使わせてもらって、体を洗う。

何度も何度も洗って濯いでを繰り返し、ようやく髪からも泥水が出なくなった。

まあこのぐらいでいいだろう。そう思い湯殿から出ると一人の女の人が控えていた。

おっと、私マッパだわ。いくら相手が女性でもかなり恥ずかしい。

しかし、彼女は顔色を一つ変えず私を見てにっこり笑った。


「さ、体をお拭きしましょうねお嬢様。」


お嬢様だって、今までそんなの一度も言われた事ないよ。

体を拭き、椅子に座らされ髪を乾かす。

さすがに恥ずかしいから、布を1枚巻かせてもらった。


「私はメイド頭のマリアーヌと申します。

あの沼に落ちるとは大変な目に合われましたね。

大丈夫でございますか?」


あの男はどういう説明をしたんだろう?


「ああ、髪もこんなにパサパサになってしまって、ちゃんとお手入れしなくては。」


そうなのよね、泥パックってのも有るけど、普通の泥って肌や髪を痛めるのよね。

マリアーヌさんは、オイルを使って髪をつやっつやっにしてくれ、

腕や足までクリームを塗り込み、マッサージまでしてくれた。

一応断ったんだよ。そこまでしてくれなくても自分でやるって。

でも私の仕事ですからって、譲ってくれなかったんだよ。

すると私の髪はいつものふわふわに戻っていた。

マリアーヌさんが声を掛けると、他のメイドさんが服を持って現れた。

どこから取り寄せたのか、あいつが言っていたワンピースのような下着や

コルセット、その他もろもろ一式と、ドレスが用意してあった。

かなりの時間を要して身支度を整えた私の着ているのは、やっぱりドレスだ。

ドレスだよ。どう見てもドレスって言うやつだよね。

そういえばマリアーヌさんのお仕着せも簡素ではあるがドレスだ。

でも私が今着ているのは本物のドレスなんだよ。

ピンクのフリフリのドレスなんだよ。

何度も言うけれど、絶対にドレスなんだ。


ここは一体どこだ。誰か説明してくれ。

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