第2話 女神カナエの出来上がるまで 1

茉莉香先輩が行方不明になった。

嘘よね…、ジョークだよね………。



先輩と給湯室で話した次の日、私は本を貸してもらえるのが楽しみで、

電車を1本早くし、会社の入り口で茉莉香先輩を待ち伏せした。

しかし、いつまでたっても茉莉香先輩は現れない。


「遅っいなぁ、行き違いになったのかなぁ。」


いつまで経っても現れない人を諦め社内に入る。

それからひと仕事終えた後、茉莉香先輩の部署に向かった。

すると向こうから、都築課長が怖い顔をしてこちらに歩いてくる。


「課長、お疲れ様です…。あの~。」


「茉莉香を知らないか?」


どうやら先輩を探しているようだ。


「いえ、こちらでは見かけませんでしたよ。

私もちょっと先輩に用事が有って

そちらに行くところだったんです。

それじゃあ先輩トイレにでも行ったんですかねぇ。」


「茉莉香が行方不明なんだ。

会社にも来ていないし、いくら電話をかけても通じない。」


「そんな馬鹿な!」


茉莉香先輩が無断欠勤なんて、そんな無責任な事する訳ない。

しかし都築課長の顔が、それは冗談でないことを物語っていた。

それから私達はすぐにタクシーで、茉莉香先輩のアパートに向かった。

大家に訳を話して、鍵を開けてもらう。

もし、中で茉莉香先輩が倒れていたらどうしよう。

私は恐る恐る中をのぞく。


「茉莉香!」


私を押しのけ課長が部屋の中に飛び込んだ。

そして次々と部屋のドアを開け、中を確認していく。

でも、どこにも先輩はいない。


それから先輩の実家に連絡を取った。

あちらに帰っている様子はない。

警察にも連絡をした。

すぐ、数人の警察官が来て、部屋の状況確認や私達への聞き取りが始まった。

分かった事は、先輩が昨日着ていた服が無い事。

つまり、先輩は昨日ここに帰っていないのではないのか?

何かしらの事件に巻きこまれている可能性も含め、

会社からここまでの足取りの確認も行われた。

途中にある防犯カメラなどが調べられた。

先輩の乗り降りする駅の、すぐ近くのコンビニの店員さんの証言で、

あの日先輩は、ここで買い物をした事が分かった。

そして、帰り道のガードの入り口に設置されている防犯カメラにも、

茉莉香先輩の姿が映っていた。

しかし、その後は、いくら調べても、先輩の姿が無い。

ここから先のカメラに写っていないなら、

もしかして、ここから回り道したのかもと、

違う方角のカメラを調べても茉莉香先輩の姿は無かった。

つまり茉莉香先輩は、あの日ガード付近から、

忽然と姿を消してしまったとしか思えないのだ。

人がそんなに簡単に消えるわけが無いと、

事件性を考え、同時期にカメラに写っていた車まで調べたが、

一向に手掛かりはつかめなかった。



そんなこんなで、先輩が行方不明になってから2か月が過ぎた。

警察も動いているようだが、手掛かりは一向にないようだ。

都築課長は、時間が空けば先輩を探し回っているらしい。

先輩に似た人を見たと、北海道支社の同僚から情報があれば、

週末に北海道まで探しに行ってしまい、

あきらめた様子で、また月曜に出社してくる。

日に日に弱っていくようで、見ているほうもつらい。


「課長、ちゃんとご飯食べてますか?」


「ほっておいてくれ!」


ほおっておける訳ないじゃん。

私だって茉莉香先輩の事、すごく心配してるんだ。

でも、私達がしっかりしてなきゃだめだよ。

もし万が一、先輩が助けを必要とした時、私達が動けなかったら困るじゃん。

仕方がないから課長に差し入れをしたり、

無理やり課長の家へ押しかけ、夕食を作ったりした。

陰でこそこそ言う人もいたが、そんな事へっちゃら。

私にやましい気持ちはない。

ただ、先輩の大事な人が、壊れていくのを見たくないだけなんだ。


私自身も、時間が空けば先輩が行きそうな所を回ってみた。

図書館や、お気に入りだと言っていた公園。

ある日ふと気が向いて、先輩の住んでいたアパートに行ってみた。

今はもう、先輩の家族の手で引き払っていたアパートには、

すでに違う人が住んでいるようだ。

それに気づかず、明かりが灯っているのを見て、

思わず部屋の前まで走り、呼び鈴を鳴らそうとした。

しかし、表札に別人の名前が書かれているのを見て、

ものすごくがっかりしたっけ。

そして無駄だと分っていても、今日も先輩の住んでいたマンションに来てしまった。

もしかして、もう引き払われたと知らず、先輩戻って来てるかもしれないから。

そして違うと分っていても、また表札を確認してしまう。

確認をして、ため息をついて、そのまま帰路に就く。


今日もそのパターン。

先輩に会いたい。

どこにいるの先輩。

そう思いながら駅へと向かう。

すると帰り道の歩道に、大きな水溜まりが有った。


「あっれー、来る時にはこんなの無かったのに。」


今日はずっと晴れていた。

それならなぜここに、こんなものが出来ているんだ?

これの存在がひどく気になる。

その辺に落ちていた棒で、水たまりをつついてみる。

コツコツと音がし、水深にしたら1センチも無いようだ。


「浅いじゃん。つまらな~い。」


いや、深いより浅い方が助かるけれどさ。


「しょうがないなー、お気に入りのパンプスなんだけど、

ほかの道に迂回してたら電車に乗り遅れちゃうしな。」


この水溜まりは浅い。

靴が汚れちゃうけど仕方がない。

覚悟を決めた私はバシャバシャと水たまりに入って行った。

ところが途中から、ズブズブと足が沈みだし、身動きが取れなくなってしまう。


「やばっ!目測を誤った?

いや、それどころじゃ無いな、何これ底なし沼か!?」


何とか足を引き抜こうとあがいてみるが、沈んでいく足の速度は一向に衰えず、

すでに膝の上まで水溜まりの中に浸かっていた。

さすがの私も焦る。


「おーい!誰か―!誰かいませんかー!」


うん、いないね。

まいったな、冷静に考えようとしても、足はどんどん沈んでいく。

このスピードで沈み続ければ、あと20分ほどで体全部が沈むな。

なんてのんきに考えられるのは、

いくら何でも、そこまで沈む筈が無いと思っていたから。

考える事は、この姿で電車に乗りたく無いと思っていたから。


「何とか早めにここを抜け出さなきゃ。

さてどうするかな……。」

このバックのショルダーを、どこかに引っ掛けてずり上がれないかな、

そう思い周囲を見渡す。

しかし、適した場所は見当たらない。

まいったな。これは本当にまずい状態なんじゃないか?

そう思う間も体はどんどん沈んでいく。

すでに胸あたりまで水たまりの中に沈んでいた。


「誰かー!助けて―!誰かいないの――!」


私はなりふり構わず叫ぶ。

でも気づいてくれる人がいないのか、助けにはだれ一人来なかった。

おかしい。

いくら夜とはいえ、ここは駅に続く道。

近くには飲み屋やコンビニなどの施設も有る。

そして、終電にはまだ間がある時間帯。

なのになぜ人っ子一人通らないんだ?

この状態になってからかなり時間がたった筈だ。

このガードの向こうはオフィス街だよ。

残業を終えたサラリーマンとか通ったっていいだろう。

それなのに人っ子一人通らない。

静かすぎる。

今まで気が付かなかったが、

ガード下なのに、電車の音を始め町の喧騒が一切無く、ものすごく静かだ。

そして私はふと気が付いた。


「ここって、先輩がいなくなったガード下だ………。

まさか先輩も、この底なし沼に沈んだからいなくなったって可能性が…。」


そんな荒唐無稽な考え、私自身がこんな目にあってなかったら、

笑い飛ばしていたかもしれない。


「ちょ、ちょっと待って。

まさかこの下に、茉莉香先輩いないよねえ。」


ちょっと怖いぞ。

しかしその可能性は、今の時点でかなり高いのでは……。


「だったら、私も、ここに沈めば、先輩に会えるのかな。」


ばかばかしい考えかもしれない。

でも、このままでは死ぬかもと思い始めた私にとって、

それはこの絶望的な状況の、ひとつの慰めであった。

もしかしたら先輩にもう一度会えるかも知れない……。

そう考え私の意識は、その数分後にフェードアウトした。

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