第3話 どちらが正解
寝たきりになって、静かに逝くのか、苦しい思いをして、のたうち回っても頑張るのが良いのか。
どちらが正解なのかは、筆者にもわかりません。
そんなの人それぞれじゃんと言われるでしょう。
その通りですね。
明日がなくなっているのは、どちらも同じですので、あきらめが良いか悪いかの違いでしょう。
それぞれの価値観の問題ですので、どちらが正解などということは、言えません。
ただ、あきらめられる方が、圧倒的に多いと感じています。
ご家族や介助される方の負担を減らし、休憩してもらうためのレスパイト入院という制度があります。
このレスパイト入院の病棟を見てみると、ほとんどの患者さんが寝たきりで過ごしておられます。
食事の時間に、配膳の台車には、かなりの確率で流動食が乗っています。
中には、病名の確定から、すぐの患者さんもおられます。
また、何回目のレスパイト入院だと思えるほどの回数を利用しておられる患者さんもおられます。
病気にもよると思います。
もちろん、人それぞれです。
それでも、差があり過ぎです。
早い方は、1年から2年で寝たきりになられます。
それどころではなく。2年もすると、お亡くなりになる方もおられます。
もちろん、お亡くなりになられた方が、すべて、あきらめが良かったとは言えません。
病気の進行も体質や体調によっては、早く進行してしまいます。
また、何年も長期の闘病を余儀なくされる場合もあります。
筆者は、どちらかと言えば、長期闘病の方が苦しいと考えるようになりました。
徐々に動けなくなり、次は、何が出来なくなるのかという恐怖に怯えながらの生活になります。
ベッドに寝ているだけの人生って、皆さんには想像できますか。
首も動きませんので、テレビも見られません。
目は見えますが、視界に入るのは、天井と壁の上の方だけです。
ラジオも、スイッチを押してもらって、はじめて聞くことができます。
ただし。選局はできません。
という生活を想像してみて下さい。
たぶん、多くの人は恐怖を感じられると思われます。
普通は、健康で楽しく生活したいでしょう。
神経難病の患者さんは、それができません。
寝たきりは、避けても、車イスでしょう。
病気の場合、それが寿命と思われる患者さんもおられます。
筆者は、長い闘病をしておりますが、修行が足りないからお迎えが来ないと考えております。
南無阿弥陀佛を唱える回数が足りないのではないかと。
もしくは、死神に嫌われているのかもしれません。
筆者の病気は、球脊髄性筋萎縮症(SBMA)と言う病気です。
足の筋肉から萎縮が始まり、約15年で車イス生活になります。
最終的には、全身が動かなくなっていく病気です。
球という病名の始まりの通り、球麻痺、喉の筋肉が麻痺するようになりますので、誤嚥したり、呼吸器疾患が死因になります。
筆者は、この病気を1999年に認定されました。
発症は、もっと昔ですが、認定からでも22年になりますね。
当然、完全な車イス生活です。
尿は、工夫して、車イスに座ったまま行えます。
外出時は、100円均一ショップのボトルを移動用尿器にしております。
そう、工夫次第では、かなり進行した重症の難病患者でも、外出すら出来るのです。
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