第2話 居場所
そうして、難病患者は寝たきりになっていきます。
しかし、なぜか脳に障害は出ませんので、患者は我慢するようになります。
普通、患者が、健常者を思いやるなどということはおかしいのかもしれません。
しかし、患者からすれば、介助してくれる家族に対する後ろめたさがあるものですから、ベッドに放置されても当然ぐらいに考えるようになっていきます。
すると、家族は、それで良いものと思い込んでしまいます。
そうなると、家族団欒にすら入れなくなります。
寝室から出して、リビングに連れて行くという作業が、大変に思えるようになります。
そうして、難病患者の居場所がなくなっていきます。
難病患者は、家族への負担が大きくなることから、居場所がなくなっても、仕方がないという感じではなく、何かを言いたくても、しゃべれなくなっているのです。
したがって、誰にも気づかれることもなく寂しい思いをしているのです。
コミュニケーションが取れなくなるということは、それほどつらいとは思いませんでした。
寝たきりですから、食事なんて無理です。
お腹にペグと呼ばれる、チューブの接続口を取り付けて。ペグから胃に直接流し入れるチューブを通しておきます。
そして、決まった時間に、外部のチューブを接続して流動食を流し入れるのです。
もちろん、味覚はありませんので、味や匂いは関係ないでしょう。
実際には、ヨーグルトのような味と匂いはありますが、患者にはわかりません。
この頃には、既に排泄も、トイレでは、出来なくなっています。
場合によっては、呼吸も自発的には出来なくなって、人工呼吸器を取り付けている可能性もあります。
それでも、脳はまだしっかり働いていますので、自身の症状をはっきり理解できているのです。
そうなると、もう本人には生きる気力は、あるはずもなく。
未来などということは、考えられるわけはありません。
神経難病の患者は、発症して、病名を教えられると同時に、自身がどうなるのかまで知ることになります。
神経難病の患者は、この時点から、あきらめて、いかに苦しまずに最後が向かえられるかと考える人と、少しでも周囲の人に負担をかけずに最後を向かえようとする人の2手に分かれます。
どちらも、結果は同じですが、存命中の楽しみは、違うようです。
神経難病の多くは、原因不明で、治療方法もありません。
つまり、死に方を考えることが残りの人生になります。
発症してしまえば、すぐに自殺できるほどの体力や筋力はなくなります。
安楽死は、日本人には高い壁があります。
あきらめて、寝たきりから静かに逝くのか。
長い期間、のたうち回っても、ある程度の動きを保って逝くのかに分かれます。
どちらにしても、未来はありません。
明日はどっちだと探してみても、明日がないので、苦しいのです。
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