◇人魚としての邂逅 その3
いつの日か、「彼女に会って、礼が言いたい」とセアンが口にしていたことを思い出す。私だって、自分が人魚だと言えない状況でなければ、浜辺まで運んだのは自分だと明かしたかった。その夢が叶ったのはお互いにとって喜ばしいはずなのに、なぜか寂しさが付きまとう。
本来の『人魚姫』なら、真実を知った瞬間に二人は結ばれてハッピーエンドになるのかもしれない。でも、私はゲームの筋書きに、セアンは第一王子と言う立場に縛られ、既知のルートのはずだったのに、それ以上進むことは無かった。そして、この先も二度と会うことが無いのだと心のどこかで感じている。
これまで、何度もこれが最後だと予感しながら、セアンと対峙してきた。
でも……これで、本当に最後だ。
「今まで……ありがとうございました」
彼の空色の瞳はいつかのように、海を映していた。決して混ざることのない空と海は、彼の瞳の中でだけ溶けて混じりあう。陽の光を反射した海がきらめき、まばゆいばかりの光でちりばめられているかのように輝きを放っている。
「いや……私は、むしろ君に謝らなくてはいけないな。あれだけ豪語しておきながら、結局決闘に負けて君を守ってやれなかった。それに、何を犠牲にしても君を選び取れるほどの覚悟もなかった。……呆れただろう?」
「いいんです! 殿下は一国の王子なのですから……」
隣国の王女を婚約者に選ぶのも、国が危機に瀕しているときに、私ではなく国を選ぶのも至極まっとうなことだ。それに対する寂しさは多少あれど、恨みなんて微塵もない。
そのまま彼には珍しく、どこか自嘲するかのように切なげな目を細める。
「もしも『真実の愛』というものがあるなら、きっと気が狂うほどに相手を愛おしく想うものなんだろうな。それこそ、他の何を犠牲にしても構わないほどに」
思いがけず漏れ出た「真実の愛」という言葉にはっとする。
そこでふと思い浮かんだのは、自らの姿を偽り、派手にロステレド王室全体をかき乱した挙句、自らの身を犠牲にしてまで私を助けてくれためちゃくちゃな海の魔法使いの顔。気が狂うほどでなければ「真実の愛」と呼べないなら、彼くらいしかあの魔法を成就することはできないのではないだろうか……何ともハードモードな世界だ。
波打ち際には冷たい潮風が吹き付け、水温も下がってきていた。腰までとはいえ、濡れた服は体温を奪うだろう。彼もそろそろ肌寒さを感じているに違いない。
「これ以上、海の中にいたらお身体に障ります。私は人魚だから大丈夫ですが、殿下は違うんですから……」
「そうだったな……」
私がおもむろに告げると、セアンは名残惜しそうに手を離した。何か言いたげにため息をつくと、どこかあきらめにも似た寂しげな笑みを浮かべる。
「いや、なんでもない。元気で、な。ロステレドの海にすむ人魚たちが無事に暮らせるように、私もできる限りのことをしよう。今の私には、それくらいしか君にしてやれることがないから」
今日だけでもロゼラムの侵攻を止めたり、海賊を一掃したりと大忙しだったと思うのに、殊勝なことだ。これから先もロステレドには様々な問題が起こるだろうが、セアンならきっと大丈夫だろう。人魚たちが今まで通りにひっそりと平穏に暮らせるなら、それ以上に何も望むことは無い。
「いえ、十分すぎるくらいです。ありがとうございます」
そこから何も言葉が続かず、私たちはどちらからともなく押し黙った。数分か、それ以上かわからない沈黙の中、ただ見つめ合う。まるでお互いの姿を忘れないように、瞼の奥にしっかりと焼き付けるかのように。次に続く言葉をどちらが口にするのか、探り合うがごとく視線を交わす。
やがてセアンの方から先に口を開いた。冷たい海水に浸かっているせいか、唇が少し青みがかってきている。
「――さよなら。」
震える唇から告げられた別れの言葉に、思わず息が止まる。
わかりきっていたことなのに。いざ、別れが訪れると寂しさがつのっていく。セアンを見送ろうとしても、彼には動く気配がない。ここはきっと、私が先に行くべきなのだろう。できることなら彼の姿が見えなくなるまで見送ってあげたかったが、誰にいつ見つかるかもわからないこの場所でのんきに長居するわけにはいかない。
「はい。殿下もお元気で。……さよなら。」
振り返ってしまったら動けなくなる気がして、私は意を決して海の中へ飛び込んだ。無我夢中で深く潜り、がむしゃらに進んでいく。
だんだんと暗くなる視界の中、私は「これでよかったのだ」と噛み締めるように呟いていた。
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