◇船上の果たし合い その1

「とは言え、愚かな王子様のせいで、罪のないロステレドの民を襲撃するほど僕は野蛮じゃないからね。ねえ、セアン殿下。僕と取引をしようじゃないか。」

「取引……だと?」


 では、初めからそのつもりで単身乗り込んできたのだろうか。怪訝そうな私たちを見て、ロゼラムの王子はさぞおかしそうにくっくっと笑ってみせる。


「そうだ。セアン殿下と手合わせをお願いしたい。男と男の真剣勝負だ。僕が負けたら、彼女のことはあきらめて、艦隊ごと大人しくロゼラムへ帰ろう。その代わり、僕が勝ったら彼女を渡してもらう、というのはどうかな? ふふ、悪い話じゃないだろう?」


 ピリピリとした緊張が走る。まさに、一触即発。たかが私一人のためにここまでするのだろうか、とも思うが、レオナルドを見ていると、どこからどこまでが本気なのかわからなくなる。

 誰もが口を開くのをはばかれる中、セアンはおもむろに一歩前へと進み出た。


「決闘、か。それなら、喜んで相手をしようじゃないか」


 覚悟などとうに決まっていたかのように、凛とした声が夜風に乗る。その背中は堂々としていて、どこか王の気品と風格に満ち溢れていた。


「兄上、剣なら俺が代わりに……」


 横からのカイの申し出も、セアンは手を上げて制した。まるで、これは自分の戦いだ、とでも言わんばかりだ。


「気持ちはありがたいが、大丈夫だ。私を信じてくれ。必ず彼女も、民の命も守る。」

「……どうか、ご無事で。」


 有無を言わさない毅然とした振る舞いに、弟王子は何も言えなくなったのか押し黙る。


「そう、それでいいさ。これは僕たちの間で決着をつけなければ意味がないんだからね。他の者の手出しは無用だよ。もし変な真似をしたら、うちの艦隊が砲撃を開始するからね。」


 二人の王子が対峙すると、ひときわ冷たい海風が吹き付けた。レオナルドは薄い笑みを浮かべたまま剣を抜くと、私に向かってウインクしてみせる。普通の乙女ならここで胸をときめかせるのだろうが、恐ろしいまでの冷酷さがその裏にあるのをわかっている私は、ただ戦慄するしかなかった。もはや作り笑いすら忘れてしまうほどだ。


「では、立会人は君に頼むよ。ローネちゃん。大丈夫、必ず僕が勝って、君を手に入れて見せるからね」

「えっ、ええ?!」


 予想外の事態に驚くが、ロゼラム側はレオナルドただ一人。中立に近いのは武器を持たず加勢もできない私くらいしかいないのだろう。とは言っても、立会いの仕方など全くもって知らないのだが。


「ローネ、私はいつでも大丈夫だ。君の心の準備ができたら、合図を頼む」


 見かねたセアンがこっそりと教えてくれる。試合を始めるような気軽な感じでもないだろうに、と迷いつつも私は手を上げた。


「それでは、両者ともに構えを」


 いつの間にかバクバクと高鳴っている心臓は、勢い余って喉元から飛び出していくのではないかと思うほどだ。気持ちばかり焦るのを無理やり押さえつけると、私は大きく深呼吸をした。息を吸って、吐いて。吸って、吐いて。


 私の次の一言で、殺し合いが始まってしまう。そう思うと背中を冷や汗が伝っていく。それでも、始めなければならない。マストのわきに立った私と二人の間には少し距離が空いているのに、すぐ傍で荒い呼吸が聞こえてくるような心地だ。二人の王子はお互いに火花を散らし、目を離したら負けと言わんばかりににらみ合っている。


 私は祈るような気持ちで目を閉じ、呼吸を整えた。大丈夫。何も根拠はないけれど、きっと大丈夫だ、と半ば呪文をかけるように自分に言い聞かせる。

 私はついに意を決すると、大きく息を吸い込んで、勢いに任せて叫んだ。


「はじめ!」


 その言葉が言い終わるやいなや、先に甲板を蹴ったのはセアンだった。空を切り裂く斬撃がレオナルドを襲う。その一撃をはじき返す間もなく、再び切りかかっていく。次々と強力な一撃を浴びせる様子は、普段の彼の穏やかで優しげな姿とは似ても似つかなかった。


「す、すごい……」


 私があっけに取られている間に、彼の猛撃はレオナルドを圧倒していく。セアンの剣技は初めて見たが、穏やかで落ち着き払った普段の優美な印象とは相反するものだ。これは元よりそうなのだろうか。それとも、このひと時に全てを賭けているからなのだろうか。激しく、どこか刹那的。それでいて、よく見ると一つ一つの動作に気品がある。燃えるように熱いカイの剣技ともどこか似通っているのは、やはり兄弟だからなのだろう。


 一方のレオナルドは、いたって冷静に攻撃をさばいていた。客観的に見れば押されているように見えるのだろうが、彼が一筋縄ではいかない人物だということは重々承知している。今だって、きっと嵐の前の静けさのように、虎視眈々と相手の隙を狙っているにすぎないのだろう。現にその表情はどこか楽しそうで余裕すらうかがえる。


「……なかなか、手ごわいな」

「ふん、それで終わりかな? 随分と死に急いでいるようだけど、攻撃一方じゃ疲れちゃうだろう。その猛攻、いつまで続くかな?」

「なんだと?」


 その言葉にセアンが少し怯んだ一瞬を見逃さず、レオナルドはすぐさま反撃に出た。次の一振りを受け流すと、待っていましたとでも言わんばかりにあっという間に間合いを詰める。セアンははっとして、すぐに体勢を立て直し斬撃を防いだ。が、それでペースが乱れたのか、今度は防戦一方になっていく。


「ほらほら。さっきまでの勢いはどうしちゃったのかな?」

「くっ……やるな。」


 セアンはどこか苦しそうに荒い呼吸を整えると、レオナルドから距離を取った。また先ほどのようににらみ合うのかと思ったのもつかの間、まるで示し合わせたかのように同時に切りかかっていく。金属と金属がかち合うキン、という音が幾度となく繰り返され、いつしか私の手のひらには汗がにじんでいた。


(――お願い。どうか……)


 セアンが勝ってほしい。文字通りの真剣勝負なのだから、きっとどちらとも無傷では済まないだろう。油断した次の瞬間に、切りつけられて鮮血が噴き出るのだ。そう考えると、ぞくりと身の毛がよだつ。誰かが傷つくのは見たくない、目をそらしたいと思うのに、なぜか目前の光景から目をそらすことができなかった。そう、きっと私にはこの一瞬を見逃してはいけない責任があるからだ。

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