◇秤にかけて その1


「先ほど海兵隊から連絡があってな。西から大量の艦隊が来ているそうなんだ」

「――?! 西、から?」


 どうしてまた、急に。あまりにも予想外の出来事に、愕然となる。西の大国ロゼラムの目下の敵は、南の大国アレスのはずだ。ロステレドは艦隊の建設を中止し、敵意がないことをアピールしたはずだったのだが、かえって裏目に出てしまったのだろうか。


「どうして……? ま、まさか!」


 ふと、数日前に会ったレオナルドのことが脳裏をよぎる。彼がまだロステレドに残っていた意図が、言葉通りに私だとするなら……この一連の目的も私のはずだ。

 あの甘美な笑みの裏に隠された、凍てつくような冷たい瞳と、いかにもな上辺だけの甘言。言葉の表層とは裏腹に、首を絞められているかのような圧迫感に怖気づいたことが、つい昨日のことのようにありありと思い出される。その狂気じみた執着を思い出し、私は一人身震いした。


「もう、我が国の海域まで来ているようだ。砲撃こそ、まだされていないようだが、相手の意図がわからない以上、じきに私が交渉に向かわねばなるまい。場合によっては交渉決裂……そうなったら、すぐに開戦ということも十分ありうるだろう。」

「そ、そんな……!」


 不意にあのスチルが頭をよぎる。ロゼラムと戦争になり、主人公の腕の中で息を引き取ってしまうセアンの痛ましい姿だ。もう随分前に回避できたと思っていたはずだったのに……どうしてこんなことに? ロゼラムが南の大国アレスと緊張状態にあるなら、開戦はあちらの方が先のはずだ。


(もしかして……私のせいで?)


 泡になったのを免れたはいいが、罪人になること自体ゲームにはないことで、異様なのだ。仮にすべてがユリウスの暴走のせいであったにしても、こんなところにまで影響が及ぶものなのだろうか。もう、何がなんだかわからなくなってくる。


 もし、万が一にもロゼラムと開戦になってしまい、セアンが死んでしまったら……絶対に、後悔する。間違いなく、うまく立ち振る舞えなかった私のせいだろう。あのロゼラムの王子を止められるのは、私しかいない。彼と渡り合えるのかどうかも定かではないが、自分だけ逃げ延びることなど許されないような気がした。

 気づけば、私は急き立てられるようにセアンに懇願していた。


「私も……私も、行かせてください!」


 金髪の王子はそれを聞くと、はっとしたように動きを止めた。私の方を振り返った空色の双眸は、信じられないものでも見たかのように、驚愕のあまり大きく見開かれている。


「君は……正気か? いくらまだ攻撃されていないとはいえ、海の上がいつ戦場になるのかもわからないんだ。いいから、ここから出てどこか遠くへ逃げるんだ!」

「――ですが!」


 私がなおも食い下がろうとすると、彼は強い口調でかぶりを振った。握った手から伝わってくる力が、心なしか強くなる。この手を離してほしくないはずなのに、振りほどかなければいけない撞着に、もどかしくなる。


「それでも、駄目だ。私は……君に生きていてほしいんだ。この混乱に乗じて君が逃げ出したしても、今なら誰も気に留めないだろう。裏を返せばそれくらい危険だということなんだ。……頼む、わかってくれ」


 そっと身をかがめられると視線が合う。普段あまり感情の起伏を見せないセアンだが、今は暗闇の中でもわかるほど、どこか落ち着きなく不安そうな面持ちをしていた。こんな危ない橋を渡るなんて、彼らしくない。下手すれば次期王としての立場も危ぶまれるかもしれないのだ。それほどの危険を冒してまで助けてくれたことに、思わず胸が熱くなる。


「でも、私はセアン殿下にも生きていてほしいんです。」

「気持ちはありがたいが……私は民を守らねばならないんだ。そういう宿命の元に生まれたからな。」


 扉の向こうからは、夜中だというのに兵士たちが忙しそうに駆け回る慌ただしい足音や話し声が聞こえていた。

 国の運命は、今や自らの手の中にある。そんな不安のただ中にあっても、覚悟と決意をたたえた彼の目はどこか寂しそうで、こんなに近くにいるのにどこか遠くから見ているような錯覚を覚えた。


「殿下……あの。ロゼラムが来た一連の騒ぎは、もしかすると私に関係があるかもしれないんです。」


 私がおずおずと切り出すと、察しの良い彼はそこで思い当たったのか、はっとしたように息を呑んだ。


「まさか……レオナルド殿下か?」

「はい。実は、あのお方と数日前に偶然お会いしていたんです。私をロゼラムに連れて行きたいご様子でした。きっと、目的のためなら手段を選ばないでしょう。ですが、もし私が交渉材料になれば、その場を収めてくださるかもしれません」

「そんな……そんなこと、できるはずがないだろう! 君は、何を言っているんだ?!」


 私一人のために、ロゼラム側がここまでするなんて、うぬぼれるのも大概だろう。私だって、レオナルドの目的がそれだけではないことくらいは、薄々気づいている。あの男は打算的だ。私を手に入れることだけが目的なら、きっとこんな大掛かりで非効率的なことはしないだろう。


 それでも、セアンには生きていてほしいから、私は嘘をつく。これくらいの胸の痛みなど、彼が死んでしまうことに比べたら何てことはないのだ。私は震える唇を隠すように、無理やり口角を上げると、努めて明るく笑ってみせた。


「何も、取って食われるわけではないんですから……そんな顔はしないでください。きっと、丁重におもてなしをしてくださるはずです。それに、この国では私は罪人なんですよ?……たとえ逃げおおせたとしても、いずれ逃げた先で暮らしていけなくなるでしょう。」


 震える声で、本音を奥に隠しつつ建前を絞り出すと、喉の奥がつっかえたようにかすれた。それでも、私は畳み掛けるように続けた。


「私一人でこの国も民も救えるなら、安いものではありませんか?」


 そう、これはきわめて合理的な結論だ。できれば、私自らが望んだように仕向けなければいけない。そこに無理や苦痛など悟らせてはならない。彼が心配してしまうから。私はセアンの負担になどなりたくないのだ。


「誰よりも国民を愛し、国のことを思っているセアン殿下なら……わかってくださいますよね?」


 肩をすくめて微笑んでみせると、セアンは目を伏せてしまった。暗闇の中で、ただお互いの呼吸する音だけがやけに大きく感じられる。


 肯定か、否定か。自分で提示しておきながら、その答えを聞くのが、怖い。肯定を望んでいるはずなのに、わざわざ私一人と国全体を天秤にかけるような真似をするなんて……。その決断で、本当は彼の気持ちを確かめたいのだということに気付くと、我ながらあまりの浅ましさに苦笑したくなった。答えなど、上に立つ者なら初めから決まっているも同然だと言うのに。

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