◇幽閉 その2


 こんな状況でも不思議なもので、一応眠くはなる。瞼を閉じて考えを頭の片隅へと追いやり、ひたすら何も考えないよう無になろうと努めるものの、意識すればするほど気になって仕方がなくなってくるようだ。

 そうこうしているうちに、あまりの寝心地の悪さに完璧に目が冴えてしまって、私は幾度となく寝返りを打った。これでは眠りに落ちるはずもない。しかしそれで私が寝たと誤認したのか、鉄格子の前の兵士は気が抜けたように大あくびをした。


「しっかし、ヒマだな」

「……だな。次の交代はいつだ?」

「朝の六時だよ。ったく、こっちは寝ずの番か。どうせ起きないだろ。少しくらい自由にしてたっていいだろうに」

「しっ。隊長に怒られるぞ」

「どう考えても逃げ出すなんて不可能だろ。あ~、夜番の日は辛いなあ。」


 のんきな会話をよそに、遠い天井を見つめる。冷たい床の温度が肌にじわじわと染みて、全身へと広がっていくようだ。どうしてこんなことになってしまったのだろうか、と考えれば考えるほど、海に帰りたくなる。姉に、父に、家族に会いたい。いくら叱られようが、構わない。そう思えば思うほど、尾ひれのような紋様が浮き出た足が、ずきずきと痛みを増していくような気がした。


 これほど海に帰りたい、と思うなんて皮肉なものだ。

 そういえば、私が前世の記憶を自覚するまでは、よく海を探検し陸を恋焦がれていたことを思い出す。好奇心の塊のようだった私にとって、あの頃の人間の世界は未知で、海の外は魅力的に見えた。


 でも、この足はしょせん偽物。いくら人間になろうとあがいてみたところで、この世界には私の入る隙間なんて、きっと初めからなかったのだ。いくら泡になることを逃れて生き延びられたとしても、このまま人間として生き続けるのは無理な話だろう。現に今、こんなにも私は海に帰りたがっている。


 頭が重い。もう何も考えたくない。こんな状況で眠れるはずないと思っていたはずだったのに、鉄格子の向こうで薄明かりがちらちらと揺れるさまを見ていると、今が幻なのか現実なのかもだんだんと区別がつかなくなり、頭の中がぼんやりしていく。




                 ***




 染みるように冷たい隙間風が頬を撫でて、うっすらと現実に引き戻されるように目が覚めた。湿っぽい、かびた様な匂いが鼻を突く。頭上の窓からは、びゅうっと強い風が吹き付けている。はっと身を起こすと、身体の節々が悲鳴を上げていた。それはそうだ。ここにあるのは毛布とも言えないような粗末な寝具のみで、ほぼ床の上なのだから、安眠などとは無縁の世界だろう。改めて、まだ悪夢のような現実が続いていることに、絶望にも似た落胆を覚える。


 ふと、鉄格子の前にいたはずの兵士たちがいなくなっていることに気付いた。休憩だろうか。窓の方を見上げると、まだ外は真っ暗なままだ。あれから一、二時間といったところか。まだ交代の時間と言うわけではなさそうだが……。


「……だ。応援を呼べ!」

「……を、強化しろ!」


 ふと注意して耳を澄ませてみると、外、それに上からも何やら慌ただしい音が聞こえている。状況が呑み込めずに呆然としていると、不意に階段を下りてくるコツコツと足音が近づいてきた。地下の音はよく反響する。その音はだんだんとこちらへ近づいてくるようだ。間もなく、ギイと重々しい音を立てて扉が開く音がする。どうやらこの牢の中に入って来たらしい。


 まずいと思って毛布を被ろうとしたが、その姿が目に入った瞬間、心臓が止まるような気がした。黒いマントを羽織り、フードを目深にかぶった人物。明らかに兵士ではなさそうだ。その人が歩くたびに、金属の擦れ合うような物々しい音が聞こえてくる。敵だろうか。それとも、味方なのだろうか。

 気付けば、私の口からはあの名前が飛び出していた。


「――ユリウス?」


 呟く様にこぼした後、はっと我に返る。自分からは呼びたくないくせに、助けに来てほしい、だなんて。あまりにも勝手すぎる願望に、思わず苦笑いしたくなる。


 黒いマントの人物は迷わず私の牢の前まで来ると、ためらう様子もなく錠前に鍵を差し込んだ。ほどなくして、かちゃりと音を立てて扉が開く。急な展開に、バクバクと高鳴る鼓動を押えつつも、私は恐る恐る身を起こした。彼……にしては、背丈が高いような気もする。それでも、期待せずにはいられなかった。


「助けに来て、くれたの?」


 口にした後で、何をうぬぼれているんだろうと思う。彼の満月の夜の一言が確かなものであった保証もなければ、セアンをあきらめきれたわけでもないのに。つくづく、都合のいいことばかり考えてしまう自分が嫌になる。


 暗闇の中、足元に明かりを置いたその人は、何気ない仕草でフードを取った。優雅ともいえるその佇まいと、味気ない黒の中でも溢れる気品にはっと目を見張る。さらり、とフードの中からこぼれたのは、暗がりの中でも燦然と輝く金髪だった。思ってもみなかった人物の来訪に、私はあっと声が出そうになる。


「せ……セアン殿下?!」


 嬉しいはず、なのに。どこか手放しで喜べない気持ちになるなんて……私はいったい、どうしてしまったのだろうか。


「ローネ。遅くなってすまなかった。こんなところへ入れられて、さぞ怖かっただろう。時間がない。早く、付いてきてくれ」

「え……ええ?! で、でも!」


 見たところどう考えてもお忍びである。ということは、私が公式に許されたというわけではなさそうだ。にも関わらず、私を逃がすなんて勝手なことをすれば、彼の立場が危うくなってしまうだろう。


「こんなところを誰かに見られたら?!」


 彼は無言で私の手を引くと、足早に牢から連れ出した。幾重もの扉を開き、階段を上る。周囲の様子を気にしている暇などなかった。視界に入ってくるのは、彼の広い背中だけ。伝わってくるのは、大きくてあたたかくて、しなやかな指先の熱。また彼と言葉を交わせるだけで、どうして一縷の望みを感じてしまうのだろうか。もはや罪人となった私と彼が結ばれることなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないというのに。

 階段を上りながら、前を歩く彼が時々私の方を振り返りながら声をかける。


「私のことはいいんだ……君が無事なら。私の力不足のせいで、こんなところに送ってしまったことを許しておくれ。本当にすまなかった。何と言って詫びればよいのか……。あの時、君は半ば自白をさせられていただろう? 君が犯人だなんて、私は納得できない。きっと、君を陥れたい誰かが画策した濡れ衣だろう。」


 その言葉を耳にした瞬間、今までずっと張り詰めていた緊張が解けて一気に緩み、あふれ出しそうになる。こらえていた孤独や苦しみが、喉の奥でぐっと詰まりそうになるのをこらえて、私はあわてて首を振った。


「違うんです! 殿下は何も悪くありません。悪いのは……全部私なんです!」


 完全に、真実を告げるタイミングを逃してしまった気がする。私はセアンが思っているほど、立派な人間ではない。王女に嫉妬して魔が差したのは、事実なのだ。だから、あの謁見の場ではなにも否定できなかったのだ。

 王女の正体が魔法使いだったのは本当だが、そんな話をすれば自分が人魚であることを明かさねばならなくなる。今ここで、明かすべきなのか。彼は私を信じてくれるのか。……迷うと、何も言えなくなる。


 手を引かれて、地上へと続く長い階段を上っていく。足を動かすにつれて、だんだんと息が上がっていく。私がそのままうつむいてしまったのをどう受け取ったのか、セアンは構わず続けた。


「王女については確かに謎な部分も多かったので、今独自で調査させているところだ。本当はそれを待ってから、陛下に直談判しようと思っていたんだが……状況が変わった。もう、それどころじゃないかもしれないんだ」

「――え?」


 下手すれば反逆罪で処刑されかねないと思っていたのに、それどころじゃない、とはどういうことだろうか。私は驚きのあまり言葉を失った。息を切らしながら階段を登りきると、急に視界が開けた。目の前には扉がある。ぼんやりとした明かりが足元を照らす中、セアンは思いつめたように眉を寄せた。



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