◇幽閉 その1

 城の地下は薄暗い。はるか頭上にある鉄格子のはまった窓がなければ、日が暮れたことも夜が来たことにも気づかないくらいだろう。


 私は、もう何度目になるかもわからないため息をついた。申し訳程度に置いてあった肌触りの悪い毛布を足に巻き付け、できるだけ冷えた石の床と触れ合わないように努める。三方、いや扉の鉄格子を含めれば四方を囲まれた閉鎖空間に長時間いると、さすがに息が詰まるようだ。地下に連れてこられてまだ一日もたっていないと思うのに、体感時間としてはここでもう何日も過ごしているような錯覚に陥る。今が何時なのかもわからなければ、外の景色が見えないのはおろか、聞こえてくる音すらも、時々交代する見張りの足音と微かな話声くらいのもので、驚くほど静かだった。

 いったい、いつまでこんなところに閉じ込められたままなのだろうか。一週間……いや、一か月? 下手したら一生ここかもしれない。


 だが、ここを出ることが許される時が来たとしたら、それこそ処刑される時だろう。それくらいの容疑がかかっているのだから当然なのだが、改めて死を覚悟しなければならないことを考えると、ぞわりと全身が粟立つような気がした。

 時間の流れがわからないというのは、想像以上に堪えるものだ。永遠とも思える時間の流れの遅さに苛立ちと焦りを覚えるとともに、だんだんと気が狂いそうになってくる。


(きっともう夜なのよね。寝なくちゃ……)


 こちらに背を向けたまま立っている二人の兵士の背中を見ながら、ぼうっと考えを巡らせる。この地下牢の全体の広さはよくわからないが、私の他にも誰か閉じ込められている者はいるのだろうか。

 それでもまだ眠る気になれないまま、ぎゅっと膝を抱える。とりあえず何か行動を起こしたいとは思うのに、退路が立たれ、もはや何もできなくなっていた。ただ、何もせずに時間が過ぎるのを待っているだけ。いったいどうすれば、ここから逃げ出せるのだろうか。

 こんなことになるのがわかっていたら、最初からセアンに会いたい、などと高望みをするべきではなかった。


 いや……待て。もともとの元凶はユリウスなのだ。今すぐにでも呼び出して、不満を訴えて、それでここから逃がしてもらおう。そう思い立ち、彼の名前を呼ぼうとすっと息を吸い込んだところで、私の動きが止まる。



『――俺は、ローネ。あんたのことが、たまらなく好きだ。』



 不意にあの縋りつく様に切なげだった黒の双眸と、呻くようなささやき声が脳裏をよぎる。あの時、妙に耳に残って離れないあの声で初めて名前を呼ばれたことがよみがえる。深い闇の中へと引きずり込まれ、どこまでも溺れていくような感覚を思い起こすと、私は夢から覚めたようにはっと我に返った。


 途端に勢いを失って行き場のなくなった声は、再びため息となって私の口から漏れ出ていく。全部彼が悪いはずなのに。いまさらどんな顔をして会えばいいのかもわからず、途方に暮れてしまう。


(本当に、意味がわからないわ。考えたくないのに、考えざるを得ない、なんて。)


 いや、ユリウスは存外何事もなかったかのように、いつものようにあの飄々とした態度のままなのかもしれない。たとえば、「真実の愛の告白」が嘘だったとか、そういう類の方便はいくらでも使えるだろう。ましてや、魔法を使ったのは彼なのだ。たとえそれが嘘だったとしても、彼が言うなら信じざるを得なくなる。


 ユリウスに会って文句の一つも言ってやりたいはずなのに……会うのが怖い、だなんて。彼の顔を見ると、きっと今の心細い状況ならほっとするはずなのに、同時にあの言葉を思い出してしまいそうで、混乱してしまう。


 もし、軽く受け流されたら? 真実の愛を本気ととらえて期待してみたところで、ただの私の勘違いだったら? 全部が全部、彼の気まぐれだったとしたら? ……いいように振り回されて、自分がみじめになるだけ。そんな気持ちは、嫌だ。

 それでも……全部嘘であったらいいと思う一方で、心のどこかではそうであってほしくない、と願ってしまう自分もいる。


 もう、自分で自分のことがわからなくなってくる。そもそもセアンのことだって、まだ私の中で整理がついていないのだ。確かにセアンのルートに進もうと思い、行動をしてきた。彼のことは今でも人として敬愛しているし、初めて見た時の不思議と懐かしいような、恋い焦がれるような気持ちだってちゃんと覚えている。それなのに、私の頭の中は引っ掻き回されたようにどこもかしこもぐちゃぐちゃで、おまけに幽閉されている不安も相まって、どうにかなってしまいそうだった。


(……私は、どうしたいの?)


 座ったままの足がしびれたので伸ばそうとすると、突然足の裏が焼けたナイフで切り裂かれたかのように、じくじくと痛んだ。その痺れるような痛みはだんだんと鋭さを増し、足の神経を乗っ取ろうとするかのように侵食してくる。次第に耐え切れなくなりそうな波に、こらえきれずにうめき声が出た。


 確かにあの時から、私は人間になれたはずなのに。あの人間になった初日ほどではないにしろ、どうして今頃こんなにも痛むのだろうか。気のせいだと、思い過ごしだと思うようにすればするほど、ここにエラーがあると主張するかのように、私が人魚であることを忘れるな、と警告するかのように、ずきずきと痛みが増していく。私は痛む足を抑えこもうと、ぐっと足の甲を押えた。


 と、つかの間。ずっと忘れていたはずの感触が手のひらによみがえる。さらりとした絹を撫でるような触感。思わず狼狽し、反射的にぱっと手を離してしまう。


「……え?」


 明らかに、人間の肌とは手触りが違った。暗い中、目を凝らしてまじまじと足の甲を見つめる。人間になってから見慣れたはずのそれを、もう一度つうと撫でると、手の指が引っかかるのは爪の部分……だけではなかった。指先を覆う爪から足の甲の途中にかけて、皮膚の色が透明に変色している。よくよく見れば、ヒレのような筋が足首に向かって浮き出るように走っており、くるぶしにまで達していた。これは疑いようもなく……人魚のヒレだ。それが今にも元あった姿へと戻ろうとするばかりに、足の甲に浮き出ている。


(――なんで? 私は人間になりたいと願ってこの姿になったはずだったのに。どうして、今になってこんなことになっているの?)



『魔法はあんたの想いのままを具現化してくれる。それを叶えるための条件も代償も、今まで伝えたとおりだ。』



 私が海の魔法使いの愛を得たとしたら、人間でいる必要はない。だから、どちらともつかなくなっている……?


 わからない。考えが、まとまらない。このまま思考をつづけたところで、きっと同じところで堂々巡りを続けて埒が明かないだろう。私は短い毛布を丸めて枕にすると、冷たい床の上に横になった。頭上の鉄格子から吹き付ける海風と、壁の間から吹いてくる隙間風が共鳴し、なぶる様に私の肌を撫でていく。ネズミ一匹通れなさそうな見た目のくせして、風を通すとは何とも腹立たしいものだ。

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