◇魔法使いとダンスを その3
いつのまにか、私たちはダンスをやめてその場に佇んでいた。黒の燕尾服に身を包んだ彼は知らない紳士のようで、図らずも視線を合わせられずに固唾を呑む。絡んだままの指から熱が伝わり、夜風で涼しいはずなのに頬が熱い。
「――俺は、姫さんを信じられるよ。」
重い沈黙を破って何を言い出すのかと思えば、彼は出し抜けに突拍子もないことを言い出した。
「……は?」
思わず、唖然としてしまう。そんな私には構わず、魔法使いは悪戯な猫目をすっと細めて、そのまま続けた。
「たとえあんたが人魚姫だって知らなかったとしても……あんたの言うことなら、なんだって信じてやりたくなるよ。好きになる、ってそういうものじゃないの?」
また、ユリウス特有のわけのわからない戯言かと思い苦笑しかけたが、思いの外その目は真剣で、深い黒に釘付けになってしまう。
「……え?」
そういえば、深く考えてみたこともなかったが、「好きになる」とは一体どういうことなのだろうか。改めて、私がこの世界に転生したと自覚してから、どういうきっかけでセアンを好きになったか、思い返してみる。
前世の記憶。想いを伝えられなかった、好きだった人。一目見てセアンと似ているとわかったほど、「彼」への想いは強かったはずだ。それなのに、あの「彼」をどういうきっかけで好きになったのか、どんな性格だったのか、今となってはもうあまり思い出せない。ただ、「好き」だという感情だけが、荒波のようにぶわっと押し寄せてきて、私の胸を埋め尽くしてしまったのだ。恋は盲目、とはまさにこのこと。だから、その人に似ていたセアンを意識し、惹かれていった。
だが、そこではたと気づく。
果たして、私はセアン自身を見たことがあっただろうか。どれほど彼のことを知っているだろうか。真面目で誠実で、責任感の強い第一王子。彼のすべてを尊敬し、あこがれているのは確かだ。しかし、それは……恋愛感情なんだろうか?
「『好きになる』……?」
どこか腑に落ちない。まるで、心の奥底には厳重に封をされた何かが眠っているようだ。それを起こしてしまうと、今までの私の行動のすべてが否定されてしまうようで、思わずつう、と頬を冷や汗が伝った。
いや、こんなことで揺らいではだめだ。私は前世の影響を受けてはいたが、確かにセアンのことが好きだ。そう、その前は……人魚として、嵐の日に彼を助けた時。あの時だって……。
いや、あの時はどう思っただろうか? いくら頭を捻ったところで、私の感情が「好き」に変わった瞬間を、うまく思い出せない。私はあの時、彼に一目惚れをしたんだろうか?
「……姫さん?」
私の「好き」は、ただの先入観だった……? いや、そんなはずはない。好きでなかったら、隣国の王女を選ぶと聞いた時、あんなに苦しくならなかったはずだ。
そこまで考えてから、はっと我に返る。慌ててぶんぶんと首を振ってみる。この期に及んで何を考えたところで、もう現状は変わらないのだ。私は嘆息すると、諭すように言葉を探した。
「ユリウスは魔法使いだから……セアンとは、何もかも立場が違うわ。そもそも、これは『好き』だからどうとか……そういう問題じゃないのよ」
「立場……?」
彼は心底不思議そうに首をかしげている。その仕草が何もわかっていない子供のようで、彼のことがまたもつかめなくなっていく。
「俺はよくわかっているつもりだよ、姫さん」
「えっと、だからね……。あなたは一国の王子様じゃないでしょ? 本当にわかっているの?」
魔法使いがどれほどの地位にあるのかは知らないが、王子と比べるのもおこがましいくらいだろう。セアンが背負っているものと比べたら、ユリウスの抱える責任なんて、きっとたかが知れている。第一、人魚なんてファンタジーなものを信じてくださいと言われて、信じられる人間が果たしてどれくらいいるのだろうか。
「俺だって一応身の程はわきまえてたつもりだったんだけど。」
ユリウスは、ふてくされたように整った眉をしかめた。彼が、身の程をわきまえている……? またも、よくわからないことを言っている。
「……はあ。やっぱり、納得できないよ。姫さんにこんな顔させるなんて」
「え?」
怪訝に聞き返す暇もなかった。次の瞬間、ユリウスは私の手首を引いた。思わずバランスを崩した私は、不可抗力で彼の方へ一歩、二歩と近づいてしまう。質の悪い冗談かと思い、きっと睨みつけようとしたが、予想外に距離が近く、そのままはっと息を呑んだ。また、あの息の触れ合うような間隔。
「俺なら、あんたにそんな悲しい顔はさせない」
かすれたような、何かを切望するような余裕のない声色。突然の低い声に、どきりと心臓が跳ね上がる。顔を向けると、思わず見る者をぞくりとさせるほどの、憂いを帯びた表情をしていた。
その瞬間、はたと気付く。私は彼のことをよく知らないが……もしかすると、見かけ通りの少年ではないのかもしれない。魔法使いの寿命は知らないが、案外私よりも年上の可能性だって十分あるのだろう。
黒の瞳に見つめられると、その色は沈んでいきそうな深海のようだった。まっすぐに向けられている視線を受け止めきれずに、私はたまらず目をそらした。
「また、適当なことを言って……レオナルド殿下じゃないんだから……」
自分で口にしておきながら、この魔法使いには、レオナルドのような軽薄さは決して感じないことに気づく。
「俺をあんな奴と一緒にしないでよ」
ユリウスはすねたように口を尖らせた。そういうおどけた表情をするときは、まだまだ少年だと思うのに。彼がどうしてレオナルドのことを知っているのかと考える余裕もなかった。
「ご、ごめん……ち、近いから。」
私はよろけつつもまた元の間合いに戻ろうと後ずさった。まだ、不覚にも動悸が激しい。もしかすると、身体のどこかが悪いのだろうか。精神的なあれこれがあると肉体的にも不調が出やすいと聞くから、おそらくそれかもしれない。きっと疲れているのだろう、と私は自分を納得させる。
「ねえ、ユリウスは――」
彼は子供のような、大人のような顔をしているから忘れてしまうが、私はユリウスのことは年齢すら知らないのだ。やはり、彼のルートもあるのだろう。どんな即死トラップが待っているのか……よりも、初めから彼を選んでいたらこんなに胸が苦しくなることはなかったのだろうか、とふとよぎるが、今更遅いと首を振る。
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