◇魔法使いとダンスを その1
丸みを帯びて膨らんできた月が、残り時間の少ないことを示している。こうして月とにらめっこするようになって、もう何日が経つだろうか。窓を開けたまま、私は夜風に当たる。
これから、どうすればいいのだろう。運命に抗うとあれほど偉そうに言ってのけたくせに、すでに屈しようとしているなんて皮肉なものだ。
それでも私は泡になるつもりなどないし、ましてやセアンを殺すつもりも毛頭なかった。どうすれば、私は彼をあきらめきれるのだろう。そして、自分も生き延びられるのだろう。残っているとするなら、今にも切れんばかりのか細い糸を手繰るような、そんな僅かな可能性だ。その選択肢の一部始終があるとして、覚えているはずもなかった。
「確率が1パーセントでも残っていれば抗う、なんて……所詮、綺麗ごとよね」
どこの歯車が狂って、こうなってしまったのだろう。セアンとのイベントは滞りなく起きていたし、彼も間違いなく私を想ってくれていると思っていたのに……。バッドエンドに向かう代名詞ともいえる隣国の王女が出てくるなんて、聞いていない。私が辿っているルートは、おそらくゲームのどこにも存在しない、道なき道なのだろう。
その時、タイミングよくコンコン、と控えめなノックの音が耳に届く。こんな夜更けの来訪者など、考えもつかない。聞き間違いだと思ってやり過ごしていると、音はだんだん大きくなってくる。
「……はい」
正直、誰かと話すような気分ではなかった。空っぽで、ひたすら虚無。これからの選択肢なんて、死が決まっているも同然なのだから、気落ちもするというものだ。
そんな私の心境などいざ知らず、夜中の来訪者は控えめに顔を出した。薄暗闇の中から姿を現したのは、闇に溶けそうな黒のローブをまとった魔法使いだった。あの海の中で会ってから、随分と久しぶりに感じる。今更、何の用だろうか。それより、魔法を使える彼でもドアから入って来ることに軽く驚いた。
「……何よ?」
「久しぶり。姫さん、元気?」
いつもの剽軽な笑みはない。ただ困ったような、どこか罪悪感を覚えているような、そんなよくわからない表情をしている。
「これが元気に見えるなら、とんだ節穴よね」
言葉を交わす気力もわかないまま、私はため息交じりに悪態をついた。
「うーん。あんまり見えないね。王子とはうまくいってないの?」
「……」
ユリウスがどうやって私の呼びかけに応じたり、はたまた状況を把握しているのかは知らないが、おそらくあの水泡を使って覗き見ているのだろう。それがわかって訊いているのだとしたら、白々しいのもいいところだ。
彼は私の了解も得ずに部屋に入ると、ソファーに腰掛けた。改めて、海の中でしか見たことのない彼がこの部屋でくつろいでいることに、多大な違和感を覚える。
「…何しに来たのよ? ご覧の通り、あとは泡になるのを待つだけなんですけど?」
彼の前で隠すのは無意味だろう。もはや取り繕うのはあきらめ、行き場のない怒りをやみくもにぶつけてみる。
「姫さん。忘れているようだけど……最後までわからない、って自分でも言ってただろ?」
「それは……そうかもしれないけど」
なんだか、自分の言ったことで自分の首を絞めているような気がしてきた。この世界がどこまでゲームで決まっているシナリオで、どこからが私の及ぼした影響なのか、今となってはもう判別もつかなくなっている。それでも、ここからグッドエンドに向かうなんてことはあるんだろうか。
「もしかしたら、他の王子や周りの人物が、あんたのことを知らないうちに好きになっているかもしれないよ。」
そんな望みの薄そうな可能性に賭けるつもりはない。第一、最初からセアンに照準を定めていたのだから、そこまで仲を深めたような人物など思い当たらないのだ。
――知らないうちに好きになる、だなんて。あまりに自分にとって都合のいい妄想に、笑いたくなってくる。
「唯一あるとしたらレオナルド殿下くらいかしらね……でも彼の告白は……」
すごく、軽そうだ。そんなもので泡を免れるのなら苦労しない。
ふと、あの舞踏会で感じた疑問が口をついで出てくる。
「ねえ、ユリウス。『愛の告白』って、なんでもいいの? 私からはできないようになっているのよね?」
彼はそれを聞くと、ちらりと漆黒の瞳を動かして猫のように細めてみせた。
「まあ、真実の『愛の告白』とでも言うべきかな。言葉だけで心が伴っていないものは、もちろん当てはまらないよ。つまり、相手が真剣にあんたのことが好きで、ちゃんと言葉にするという必要があるわけだ。姫さんから告白して、それにつられて自分も……なんていうのは、男らしくないから駄目だね」
やはり、こいつのめんどくさい考えが入っていたのか。思えば、最初に魔法をかけてもらった時にちゃんと聞かなった私も悪いのだが……。そんな細かい制約なんて、知る由もない。
私が立ちすくんだままユリウスを恨みがましく見下ろしていると、彼はまあ座りなよ、とでも言いたげに、ソファーの自分の横をポンポンと叩いた。
「奪った心をどうするかは姫さん次第だよ。例えば今好きにさせている相手がいたとして、そいつに報いてあげなかったら、刃となってあんたを襲うこともあるだろう。」
また、仮の話が続くのかと思うと少々うんざりする。そんな可能性は微塵もないと言っているのに、聞こえなかったのだろうか。
それでも、セアンのバッドエンドを思い出す。報われない心中エンドの時、主人公はセアンを刺した後に自殺していたが……もしかするとこの魔法使いは、私のことを好きになった相手に殺されることがある、とでも言いたいんだろうか。
「ご丁寧なご忠告を、どうもありがとう。でも、あいにく私には関係なさそうね。」
皮肉たっぷりに返してやると、彼は困ったように整った眉を寄せた。その表情が今までと同じようでどこか違って見えて、はっとする。寂しさとも悲しみとも似つかない面持ちに、なぜか心臓がドキリと跳ね上がる。
……一体、私はどうしてしまったんだろうか。剽軽で気まぐれで人を食ったような物言いの魔法使い。彼に頼ったところで、またのらりくらりとかわされるか、突き放されるに決まっているのに。その一瞬の表情が、鮮明に焼き付いて離れなかった。
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