◇とある少年の独白 その1
海は、不思議だ。浅瀬ではサンゴ礁が絨毯のように重なって広がり、太陽の光に反射して眩しくキラキラと輝いているかと思ったら、奥深い場所では墨汁のように黒くひたすら陰鬱で、前を見ることもままならない。
きっと、この海のはるか上に広がっている空も、こことよく似ているのだろう。すっきりと澄み渡った晴天の時は何一つ暗さも黒さも感じられず、雨が降るなんておよそ想像もつかない。だが、嵐の来るときはそんな晴れ間などまるで嘘だったかのように、暗雲が立ち込め、容赦ない雨粒が地上に降り注ぐ。空も海も、似たようなものだ。空を飛んだことは無いが、少年にはなぜかそれが理解できていた。
幼いころから、普通とは違った。それを悟ったのは、いったいいつからだっただろうか。はるか昔、地上で暮らしていたころ。他の子どもに比べて、著しく成長が遅いことに気付いた辺りからだろうか。
「お前、なんでそんなにちびなの?」
「つーか、なんでそんなにいつまでもやせっぽちなんだよ!」
「成長止まってんのか? かわいそー」
他とは、違う。それに気づかれると除外されるというのは、痛いほど学んだ。それは、きんと冷たい氷水に漬けられているような、冷え冷えとした感覚だ。初めこそその冷たさに身震いするが、慣れてくれば手がかじかんでいくことも、芯まで凍るような辛さも、だんだんとどうでもよくなってくる。孤独に慣れるとは、そういうことだ。もう、随分前のことだから忘れてしまっていた。
「お前の母ちゃん、薬なんて売ってるけどほんとは魔女なんじゃないの?」
「黒髪、黒い目は魔族だって、俺聞いたことある!」
「え……じゃあこいつも?」
「気持ち悪いな~。おい、こっち見るなよ!」
だから、のけ者にされることも、煙たがられることも特別辛いわけではない。そう、自分に言い聞かせてきた。
だが、その瞬間。ついに、彼の心が音を立てた。ぴきぴきと走ったひびは、いとも簡単に広がっていき、ぱりんと乾いた音を立てて一瞬で崩れ落ちる。一滴ずつぽつりぽつりと雨のように溜まっていた鬱屈した思いは、とうに彼の限界を超えてしまっていた。気づけば少年は手を頭上まで高く振り上げ、この邪魔な人間たちを消し去りたいと願っていた。そして驚くべきことに、その願いは彼に応えるように水となり、力となった。
刹那、彼らにたらいをひっくり返したような大水が降り注ぐ。子供たちは何が起きているかも理解できずにあっけにとられていたが、すぐにバカにしたような軽蔑が消え去り、みるみるうちに畏怖の表情へと変わっていった。わなわなと震え出したのは、振り注がれた水の冷たさゆえではないだろう。彼らは阿鼻叫喚しながら一斉に逃げ出した。
「ひっ! 化け物だ!!」
「や……やべーよ、あいつ!!」
少年は呆然として自分の手のひらを見つめていた。彼らの様子を遠巻きに見ていた大人たちは、薄気味悪いものでも見たかのように、怪訝そうに振り返りながらも足早にその場を後にしていた。
その晩のことだった。少年が眠っていると、むんむんとこもるような熱気に息苦しさを感じて、うなされた。地獄の煉獄で焼かれているような悪夢にさいなまれて目を覚ますと、肌がひりひりと焼けるように痛い。はっと我に返った時には、辺り一面はすでに火の海だった。燃えあがる炎の中、少年は昼間の怒りを思い出し、やみくもに不慣れな手を振り回したが、ぽつぽつとちっぽけな雫が飛ぶばかりで、思い通りに水が扱えるはずもなかった。木でできただけの小さな家は、あれよあれよという間に音を立てて崩れて落ちていっている。
「くそっ……!なんで? どうして?!」
少年は自分のすべてを呪った。他とは違う出で立ちも、わけのわからない力も、彼の周りにいた、意地の悪い子供たちをも。そして、彼と母を残して幼いころに亡くなった父親すらも。そうしながら、少年は焼けすすけた木片の中で、苛立ちながら火を消そうと必死にもがいた。今にも泣き叫びたい気持ちをぐっとこらえて、彼は寝室にいる母親を助けようと足を踏み出し、火の海に飛び込もうとした。
視界に広がる赤の向こうで、少年の母はあきらめたように身を横たえていた。
「……ごめんね。私、梁の下敷きになって……動けないの。私のことは、いいから……はやく、逃げ……」
「母さん!!」
苦痛に顔を歪めながら、彼の母は、すがるように告げた。
「私の……母を頼りなさい。海の底にいる……面倒くらいはきっと見てもらえる。……だから……」
それっきり彼女は動かなくなった。少年はいっそのこと自分も死んでしまいたいと思った。けれども、そんなときに限って彼の背中が何かの力によって押し出された。見れば、少年を囲むように水の流れが出来上がり、彼を外へと導いた。炎の熱さも、蒸されるような息苦しさも感じない。家族と共に死ぬことも許されないのか、と彼は唇を歪めて笑った。悲しむ気力すら、残されてはいなかった。少年は地面に投げ出されると、朦朧とした意識のまま、遠巻きに見つめる野次馬たちをかき分けて、よろよろと歩を進めた。道端の石に幾度も躓き、足を取られながらも、一刻も早く遠くへ行きたい気持ちに任せて、知らず知らずのうちに彼は海へと向かっていた。
明け方まで歩くと、ようやく海にたどり着いた。自分が人とは違う理由は、きっとここにある。少年は浜辺の砂浜を踏みしめて、よろめきながら波打ち際へと吸い込まれるように近づいた。聞いたこともないはずの潮騒が、理由もわからないのに懐かしさを醸し出す。先ほどまでの肌を焼くような熱さも、群衆の冷めたような好奇心も、子供たちの畏怖や侮蔑も、ここではまるで幻だったかのようだ。白い砂浜に手のひらを付けると、ひんやりと冷たい。その低い温度がどこか悲しげで、まるで彼自身のようだった。
気づけば少年は嗚咽していた。ずっと忘れかけていたはずの、幼いころのあたたかい記憶。もう、決して戻ることは無い、優しい両親を亡くした悲しみが胸にこみあげてくる。彼は、柔らかい砂浜にこぶしを叩きつけた。砂を殴っても、細かな砂利が皮膚にめり込むばかりで、行き場のない思いはどうすることもできない。彼は無力だった。悔しい。あいつらが、憎い。愛するものを守れる力が欲しい。……少年は自分の不甲斐なさに、行き場のない悲しみといら立ちがまじりあい、気が狂いそうだった。
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