◇王の過去


「落ち着きましたか?」

「え、ええ……」


 またあの音楽室で、ラウニが手ずからお茶を淹れてくれていた。彼とお茶をするのは三回目だというのに、以前とはまるで違うように感じる。おそらく、お互いの真意を隠したまま腹を探り合うような居心地の悪さがないからだろう。もっとも、それは私だけが感じていただけなのかもしれないが……。


「昨日の舞踏会、指揮をしながら拝見しておりましたよ」

「そ、そうでしたか」


 恥ずかしくて身悶えしたくなる。彼はそれ以上何も訊かない。察しの良いラウニのことだ。認めるのは悔しい気もするが、きっと私の事情を把握しているのだろう。


「恥じる必要はないですよ。恋をするのは人としては至極当然。ましてや見目麗しい殿方が勢ぞろいですからね。ローネさんのような美しいお嬢さんは、どんどん恋をするべきだと思いますよ」


 にっこりと切れ長な目を細めて優しく微笑む。表裏がわからないとひたすらに恐れていたはずなのに、その顔を見ると今はなぜだかほっとしてしまう。


「お見苦しいところを……すみません」


 これ以上隠し通すのは無駄だと、私はあきらめて嘆息した。ぴんと張り詰めたられた空気から解放されて、肩透かしを食らったように一気に力が抜ける。それにしても、彼がここまで鋭いとは意外だった。人魚であることがばれないように、と気を配っていたせいか、他の部分は全く明け透けな状態だったというわけだ。我ながら、不覚だった。


 ラウニは紅茶の香りを楽しむように唇を湿らせた後、ティーカップを置くと悠然と切り出した。


「ローネさん。僕がなんで宮廷楽士をしているかと言うと、曲を作りたいからだと前からお話ししていましたよね」

「はい……」


 自分からは触れたくないので絶対に口にはしないが、人魚の曲を作りたいという恐ろしいことを言っていた気がする。

 彼は机の隅に積まれていた楽譜を大事そうに取り出した。私は音楽には親しくないのでどんな曲かは見当もつかないが、きっとラウニにとっては大切な宝物なのだろう。


「それは、この王宮に渦巻くいろいろな物語を見て、曲にするのが楽しいからです。野次馬根性……と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、それは僕の父も同じでした。」

「お父様も、宮廷楽士だったんですか?」


 それは、少し意外だった。世襲制でもないと思うのだが、やはり親の影響は大きいのだろうか。


「ええ。父は王宮の様々なゴシップを仕入れてきては、面白おかしく曲に仕立て上げるのを得意としていましてね。これは特別に悲しいお話だから曲にはできないけれど、と言って、ある時物語を語ってくれました。僕が6、7歳の頃のことでしょうか……?」 


 そして、彼は歌うように語り始めた。滑らかで、よどみがない。引き込まれるように、彼の柔らかな声に誘われて、想像が膨らんでいく。目前に、この国の過去の情景が広がっていった。




                    ***




 あるところに、海に囲まれた王国がありました。その国の国王陛下は、恋を知らないまま結婚いたしました。お相手は、有力貴族のご令嬢。いわゆる政略結婚というものでした。

 恋を知らない王様は、それでも王妃様のことを大事にしました。お二人の間には美しい王子様もお生まれになりました。王様は恋を知らなくても、平気でした。王妃様と、それなりに上手くいっていると思っていたのです。


 ところが、そんな日々に変化が訪れます。お城で開かれた舞踏会に、東方から一人の踊り子がやってきました。赤毛の美女の歌声は、王様を虜にしました。そして、王様と彼女は恋に落ちてしまったのです。その国の制度では、お妃さまを複数娶ることができました。でも、王様には王妃様も王子様もいます。そんな不誠実なことはできないとためらいました。王様は恋煩いで来る日も来る日もため息をついています。そんな王様を見かねた家臣たちが後押しして、ついに王様は踊り子と結ばれることになりました。でも、結局のところ、その恋は幸せな結末にはなりませんでした。身分違いの恋は悲しい最後を迎えてしまうのです。


 間もなく、側妃様との間にもかわいい男の子が恵まれましたが、王様は、幸せながらも何か違う、と思うようになりました。それは、側妃様も同じでした。家臣たちは、有力貴族が王室に協力して国が安泰なのは、王妃様との結婚のおかげだと口々に言っています。側妃様と先に出会っていたとしても、王妃様とのご結婚は不変の事実だろう、と彼らは言いたいのです。側妃様は、ただの愛人。お子様が生まれても、その子が優遇されることはありませんでした。


 王様は、側妃様を愛しておられました。でも、側妃様は元々の身分が低いことや、王様の一番になれないことで病んでしまわれました。王妃様もまた、今までうまくいっていたのを側妃様が壊してしまわれたと、彼女を心ひそかに憎むようになりました。


 側妃様はついに、お子様を残して自らの命を絶ってしまわれました。王様は深い悲しみにくれました。王様は残された二人の王子様に平等に接しましたが、その心は空っぽでした。王妃様は、本当は聡明な方でした。側妃様は自分のせいで亡くなってしまったのだと、自責の念から罪悪感に駆られました。そして、亡くなってもなお王様は側妃様を愛しておられました。


 そんな日が続いたある日、とうとう王妃様は王様の顔を見るのも辛くなってしまいました。誰が悪いのでもありません。側妃様と王様が深く愛し合っておられたからなのです。

王妃様は、王子様を残して里帰りを申し出ます。王様は謝りました。そしてお二人は離縁せずに、表向きは王妃様の療養として、本当は自由に生きてほしいと彼女を故郷に返しました。家臣たちは新しい王妃様を娶るべきだと勝手気ままに進言しましたが、王様は聞く耳を持ちませんでした。王様が愛していたのは、側妃様ただおひとりでした。


 側妃様に身分があれば、あるいは先に出会っていたら、幸せな結末を迎えられたのでしょうか? それは、誰にもわかりません。側妃様がもしも海からやってきた人魚だったとしたら、王様と結ばれたとしても、これほど悲しいお話はないでしょう。




                    ***




 悲しいお話。あの踊り子に身分があれば。あるいは、もっと早く出会っていたら。だが、王妃のやるせない気持ちもわかるだけに、後味の悪い話だった。

 そして、この話の意味することは言うまでもない。二人の王子の父――この国の国王陛下と、セアンの母である王妃。そしてカイの母である側妃の実話なのだろう。


「カイ殿下があれほど仰っていたのは……ご自分の母上が、陛下との身分違いに苦しんだのを知っておられたからなのですね」


 私はぽつりとつぶやくように言った。


「……さて、僕がお話しできるのはここまでです」


 宮廷楽士は、今の私については少しも言及しない。だが、その眼鏡の奥の栗色の目を見ると、これからどうするのかと問いかけられているような気がした。


「僕は、ローネさんの恋がうまくいくように願っています。そして、その行く末をぜひとも歌にさせてくださいね」


 私は苦笑いをした。

 そんな歌にしてもらえるほど面白い結末になるだろうか……と考えても、今はひたすら前も見えない。

 ただ、目の前の荒波に呑まれないように、呼吸をするだけで精いっぱいだった。 


「……善処、しますね」


 私は、これからどうすればいいのだろう。改めて自らに問いかけても、答えは出ない。どこにも抜け道のない箱の中に閉じ込められてしまったように、途方に暮れるばかりだった。けれども、泥沼にはまってもあがき続け、前進し続けることを余儀なくされる。私が生きているこの世界は、一刻の猶予も許してはくれない。


 それでも今は、少しだけでもいいから立ち止まりたい気分だった。

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