◇葛藤
翌日。私は魂が抜けたように庭園でぼーっと花を眺めていた。
結局、現時点でセアンと王女が婚約することは無かったようだが、それでも私の不安は拭いきれていなかった。嵐の日にもくもくと立ち込める暗雲のように、次々と押し寄せては膨らんでいく。
そもそも、ゲームではセアンと踊ったら、隣国の王女は登場してこなかったのだ。彼女が登場してくるときは、明らかに好感度が足りない時と相場が決まっていた。では、どういうことだろう……と考えるのだが、現実とゲームがごっちゃになり、それ以上思考を進める気力がわかない。否、考えたくないのだ。もし、セアンの好感度が足りないのを認めてしまったら、自らの死と向き合うことになってしまうような気がして。
今朝はどういうことか、護衛もとい監視の兵士もついていこうとしなかったので、セアンに会いに行くことも考えた……のだが、いざ向かおうとすると、どうにも気が進まなかった。また後にしよう、とか今は忙しいだろう、とか何かと理由をつけて寄り道をしていたら、ついにこんなところまで来てしまった。それで誰を待つわけでもないのに、ただ漫然と時間の経過を待っている。
セアンに会って、何と言えばいいのか見当もつかなかった。隣国の王女の存在が、漠然とした違和感を醸し出す。それは徐々に重さを増していく重りのように、私の肩にのしかかっていた。
城の裏にある庭園のベンチに腰掛けて、目前の薔薇を眺める。赤、白、ピンク。色とりどりの美しい花を眺めても、私の気持ちは晴れるどころか、一向に沈んでいくばかりだった。
「はあ……どうしよう……」
要は、現実を突きつけられるのが怖いのだ。私は自分が望まない未来を示されるのが恐ろしくて、どこにも進めなくなっていた。
空は今にも雨が降るのではないかという怪しい雲行きを見せている。そろそろこの場所も去ろうかと立ち上がった時、ふと、こちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。反射的に緊張で肩が強張り、身構える。
花の向こうから姿を現したのは、意外にも赤毛の精悍な青年だった。一番庭園とは似ても似つかない人物の登場に、思いがけずうろたえた。
「ここに居たのか。探したぞ」
なぜか私を探してきたという彼の姿を見ると、私はわけがわからずに口をぽかんと開けた。彼が私に用がある……? 何かの間違いではないだろうか。
「――は?」
心ともなく間の抜けた声が出る。カイのルートに入っているなんてことは、まさかないだろう、と首を捻りながら。
「お前に言いたいことがあって、来た」
「どういうことです? まさか、今日は護衛の方がいないことと関係があるのですか?」
ますます、意味がわからない。彼を怪訝に見つめ返すと、カイは柄にもなく歯切れが悪い。
「関係……まあ、あるかもな。もう必要ねえから」
「……?」
まったく予想もつかなかった来訪者は、ぶっきらぼうに切り出した。
「俺は回りくどいのが苦手だから、この際はっきり言っておくが……お前、兄上のことが好きなんだろ?」
「――っ?!」
危うく呼吸が止まりそうになる。そんなにばればれだったか……いや、そうか。改めて他人の口から言われると、顔から火が出るほど恥ずかしくなる。
しかし、カイの口調は別に冷やかすわけでもなかった。ただ淡々と、事実を述べているといった調子だ。どちらかと言えば、そのきりりした眉をしかめ、険しい顔をしている。
そんな彼から次に放たれたのは、氷のように冷たい一言だった。
「でも、あきらめろ」
唐突に冷や水を浴びせられたようになる。その言葉は、矢のように容赦なく私の胸に突き刺さった。この際、白を切るのは無理だと観念した。脳筋のように見えてカイは意外と勘が鋭い。私の考えていることなど、お見通しといったところだろう。
「……想うだけでも、罪なんですか?」
気づけば、私は情けなくも声を詰まらせていた。誰にも言えずに自分の中で押しとどめていたものが、一気に喉元までこみあげてくる。セアンと話した晩餐。初めて一歩踏み出せたような気がした、町でのデート。髪飾りを挿してもらったこと。海賊船にとらわれて助けられたこと。船で自らの運命について語ったこと。そして、昨日の舞踏会で彼から伝わってきた身体の熱。うまくいっていたとばかりに思っていた記憶ばかりが、ぐるぐると走馬灯のように頭の中を駆け巡り、胸をぎゅうっと締め付けていく。
目の前にいるカイに幾度も脅されたことなど、今は思い出す余裕もなかった。あれほど関わらないようにと気を付けてきた相手だというのに、どうして私は心中を吐露するような暴挙に至っているのだろう。
「簡単にあきらめられたら、こんなに苦労しないと思います! カイ殿下に……私の何がわかるんですか?! なんの権限があって、私の気持ちにまで干渉してくるんですか?」
私の理性をとどめていたたがが外れてしまったかのように、次々と溢れだす。彼には決して迂闊な発言をしないようにと、言葉を選んできたはずだったのに。なぜか、「前世の私」がセアンを想う気持ちを否定されたようで悔しかった。不思議と、今はカイに対する恐れはなかった。言葉は冷たくても、以前感じていたような鋭い敵意がなかったせいかもしれない。
「――はあ。めんどくせえな……」
カイは面倒くさそうにため息をついた。そのまま立ち去ればいいものを、不敬だと切り捨てることもなく、私のそばに立っていた。
「いいか。これは、お前のためだ。この国のことを考えろ。兄上は俺よりもずっと優秀で、次期国王と言っても差し支えない方だ。加えてロゼラムのこともある以上、今は少しでも多くの味方が欲しい。つまるところ、兄上には隣国ルレオとの政略結婚が望ましいということだ。お前がたとえ兄上に愛されたとしても、お前との婚姻は何の国益も生まない」
わかっている。そんなことは、昨日からずっと考えていた。他人に言われずとも、誰よりもこの私が一番よく知っている。にも関わらず、彼から冷酷な事実をまざまざと見せつけられると、全身が小刻みに震え出していた。
「セアン殿下の気持ちは……どうなるんですか? 殿下は私のことが迷惑だと、嫌いだと、そうおっしゃったんですか?!」
「……そんなこと、兄上が言うわけねえだろ」
そんなことは百も承知だった。私は道理を理解しているのに、物わかりのよい振りをしたくなくて、ただ駄々をこねている子供のようだった。
「だったらどうしろって言うんですか? ここから出て行けということですか?」
何とかなる、うまくいく。そんな甘言を求めていたわけではない。カイが無責任にも上辺だけのことを言う人でないことは、よくわかっていた。だとしても、せめて何も言わずに放っておいてほしかった。彼が言葉を放つたびに、私は無防備なまま剣で切り刻まれていくような気がした。
「……そうだ。身分のない女は、王に愛されても幸せになどなれない。」
その一言は刃のように私の胸をえぐった。
「監視……護衛が必要ないとは、そういう意味ですか?」
「ああ。無駄なところに人件費を割いている余裕はないからな」
突き放したような物言いはいつものことなのに、鼻の奥がツンと痛くなる。知らず知らずのうちに、目の前が霞んでいく。
だめだ。泣いたら……だめだ。私は唇を血がにじむかと思うほど強く噛み締めた。雨の降る前の土の匂いも、甘ったるい花の香りも、今は涙を誘うように鼻腔を刺激するばかりだ。
反論など、できるわけもなかった。私はその場にいられなくなり、痛む身体を力づくで引きずって駆け出した。今更カイのご機嫌を気にしたところで、もはやどうしようもなかった。
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