◇令嬢たちの噂
喫茶室ではいくつかの椅子とテーブルが並べられ、サンドウィッチや焼き菓子などの軽食が楽しめるようだった。私は手近な椅子に腰掛けると、グラスに入ったジュースを喉に流し込んだ。ブドウのすっきりとした甘さが、からからに渇いた喉に潤いを与えてくれる。ドレスの締め付けが苦しいわけではなかったが、何か食べる気にはなれなかった。
部屋の隅からは、きゃいきゃいと賑やかな声が聞こえてくる。見れば、何人かの令嬢が輪になってテーブルの一角に陣取り、話に花を咲かせている様子だった。
「先ほど、レオナルド殿下をお見かけしたわ!」
「まあ、羨ましい。女たらしとは言われているけれど、あの甘いマスクで見つめられたら付いていきたくなるわよね」
どうやら、あの女好きの王子の話をしているようだ。彼と踊っていた時に感じた、無機質で冷たい視線を思い出して、すっと背筋が寒くなる。怖いお話はやめてもらいたい、と思うのに、私は無意識のうちに彼女たちの話に耳をそばだてていた。
「でも、ロゼラムでも第三王子ですものねえ……見初められても王妃にはなれませんよねえ」
「なんでも、愛人だか側室だかも何人もいらっしゃるとか。考えられませんわ。この国でも妃殿下は……」
「しっ!ここは王宮ですわよ」
ひそひそと声が小さくなる。あの王子が一人の女性で満足していないことは、容易に想像できた。
それにしても……この国の王妃のことは、相変わらず禁句のようだ。以前ラウニから聞いた時も、多くは語られなかった。彼女たちもまた、私の知らない何かを知っているのだろう。
令嬢たちの話題は、尽きることがない。まるで風に流される風車のように、くるくると瞬く間に変わっていく。
「陛下は実力主義者だから、カイ殿下も有望株ですわよねえ」
小柄な令嬢は、果敢にもこの国の第二王子の話題を持ち出してきた。
「でも……カイ殿下は女性に興味がないというか、縁がなさそうですわよねえ。先ほど女性と踊っていらっしゃったらしいですけれど、初めて拝見いたしましたわ」
「なんでも、珍しい容貌の女性だったそうよ」
思わずぎくりとする。こちらには気づいていない様子だが、いつ気が付くのかと気が気ではない。
「となると、やっぱりセアン殿下かしら」
この場を離れた方がいいかと迷っていると、細身の令嬢があろうことかセアンの話を振ってきたので、私は知らず知らずのうちに動きを止めていた。
「でも、近寄りがたいですわよね。完璧で眩しすぎて……」
「セアン殿下は、隣国の王女殿下と踊っていらっしゃったらしいですわね。やはりご結婚されるなら、ああいう方を選ばれると思いますわ。国交は悪くないのですから、お二人がご結婚されたら、ロステレドはますます安泰ですわね」
改めて他人の口からそれを聞くと、胸が針で刺されたようにちくりと痛む。
「それにしても、ルレオに王女殿下なんていらっしゃったのね。初耳でしたわ」
「ああ、確かにそうですわね。あの国は王子殿下しかいらっしゃらないと思っておりましたわ」
「本日は、ほかの王子殿下はいらっしゃらないのかしら……?」
ルレオについては、以前船で聞いた説明にはなかったので、初耳だ。ロステレドよりも北の国だとセアンが言っていたが、今の私にはのんきに国のことを考えている余裕などなかった。
「まあでも、王族の方など夢のまた夢。手堅いところですと、伯爵あたりを狙っていきたいですわよね」
「ご令息でお若い方はいらっしゃるのかしら。どうせなら見目麗しい方がいいですわね。ほら、宮廷楽士の指揮者の方なんて素敵だと思いませんこと?」
「確かに素敵でしたけれども……意外なところに目を付けますのね」
ラウニもまた目を引く容姿らしく、令嬢たちの格好の噂場話の的になっているようだ。
「わたくしも誰かに見初められて、燃えるような恋がしてみたいわ」
「そうですわね!!」
きゃっきゃと盛り上がっている令嬢たちをよそに、私はたった今恋に破れたような苦い思いを噛み締めていた。
私もまた、前世ではそんなふうに呑気な恋愛を楽しんでいたはずなのだ。「彼」に恋をしているときだって、叶わない思いに苦しんだことはあっても、今以上の切実さはなかった。
むろん、この世界が生きるか死ぬかのデスゲームなので、こんな痛切な焦りを感じているのだ。何と言うか、考えてみれば滑稽だ。必死に恋をしようと焦って嫉妬して、はたから見ればさぞ道化のようだろう。悲しむを通り越して、いっそのこと笑いたくなってくる。
令嬢たちのおしゃべりはなおも続いていたが。私はいたたまれなくなり、そっと立ち上がるとその場を後にしていた。
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