◇イベント? 姉との再会
つまるところ、人魚の絵のイベントには誰も来なかったわけなのだが、ここは現実なのだ。ゲームと同じ展開が一つや二つ抜けたところで、好感度に直感するわけではない、と私は無理やり自分を納得させていた。
そして、いよいよ今日は舞踏会。ラウニやおそらくセアンの口添えもあり、私は舞踏会に出席できることになっていた。とりあえず、知っているイベントに沿って進んでいけるのにはほっとする。
始まりは夜なので、それまでは時間がある。城中の誰もが準備にいそしんでいる中、私は暇を持て余していた。今日はお目付け役の兵士も忙しいらしく、私は城でぽつんと一人取り残されていた。
これは今がチャンス、とばかりに何食わぬ顔で城を抜け出したが、誰にも咎められなかったので、すぐ近くの浜辺を散歩してみる。昼間だというのに人気はまるでない。この町全体も舞踏会に浮足立っているようで、市場の方は大賑わいだというのに、ここは波の音以外は聞こえなかった。
「……ん?」
海岸にほど近いエメラルドグリーンの透き通った水の中で、魚のヒレが揺れている。こんな海辺に、大型の魚だろうか? 私が不審に思ってその影を目で追っていると、魚はだんだんこちらへ近づいてくる。……いや、魚なのだろうか?
次の瞬間、水しぶきと共に岩陰に顔を出したのは、見覚えのある人魚だった。癖のない赤茶の髪に、目鼻立ちのくっきりした大人びた顔立ち。かつて慣れ親しんだはずの姉の姿が視界に飛び込んでくると、私は思わず目を疑った。
「エリーネ姉さま?!」
驚いて唖然とする。夢ではないかと思いながら目をこすった後、私は二、三回瞬きしてみたが、どう見ても姉・エリーネの姿がそこにあるばかりだ。
「どうして、ここに?」
「ローネ! やっと会えた。もう、それはこっちのセリフよ! ずっと探していたんだから!!」
そうだった。あの日以来、家族には何も言わずに人間の世界に来てしまったのだった。当然心配もするだろう。少し極まりが悪くなる。
姉のエリーネは慎重な性格で、人間が通るとも知れない浜辺に顔を出すなんてことは間違ってもしたこことがない。逆に言えば、それほど彼女を心配させてしまっていたことになる。
「確かにあなたはもう大人なんだから、自分で決めたことには私だって口出しなんかしたくないけれど……人間になったなんて聞いてないわよ! どうして、何も言ってくれなかったの……?」
彼女の美しい紫の双眸が悲しそうに潤んでいた。姉を泣かせてしまうのは本意ではないので、私は慌てた。
「ち、違うのよ! 気づいたらこんなことになっていたというか、何と言うか……」
「海の魔法使いのところへ行ったんでしょ? 大丈夫? 騙されているんじゃないの? 人間の男なんてろくな奴じゃないわ!」
まるで、悪い男にたぶらかされているかのような口ぶりだ。いや、決して間違ってはいないのだが。
「姉さま。私は……」
何と説明すべきか迷った。正直に、男の愛を得られなければ泡になってしまうことを言った方がいいのだろうか。……いや、絶対にやめておいた方がいいだろう。余計な心配をかけてしまうだけだ。しばし逡巡した末に、私は口を開いた。
「しばらくこっちで暮らすことにしたの。人間の王子――セアンは、とても優しいのよ。私は彼が……好きなんだと思う。彼の傍にいたいの」
正直に今の自分の気持ちを伝えると、エリーネは驚愕のあまり、大きな目をますます大きく見開いている。
「ローネ、あなた……」
それから観念したように、彼女は深いため息をついた。
「人間の王子が好きになったの。……仕方ないわね。でも、危険な目に遭う前にすぐに戻ってくるのよ。人間は、何をしでかすかわからないんだから。」
私は神妙な面持ちで頷いた。
それでも、私は人魚に戻るわけにはいかない。すでに回り出した歯車を止めることなどできないのだ。なんだか心配をしている彼女を騙すようで、良心の呵責を感じる。
「わかったわ」
「絶対に人魚とバレてはだめよ。いいわね?」
また、念押し。幾度も危ない橋を渡っていると知ったら、きっと心配性な姉は卒倒するだろう。
「ええ」
これは言わぬが花、知らぬが仏というやつだ。
エリーネはエメラルドの海に漂いながら、困ったように眉を寄せた。
「父さんは今頃怒り狂っているけど……遠くの海に行ったことにしておくから、黙っておいてあげる。」
父は……そうか。まあ、おおかた予想はついていたので、私は苦笑した。
「苦労をかけるわね」
「いいえ。こっちのことは気にしないで、うまくやるのよ。私は、いつでもあなたの味方なんだから」
彼女がそう言うと、不意に泣きたくなった。ゆっくりと海中の姉に近づこうとするが、水に足を取られてうまく進めない。あの魔法使いに突き落とされたのを除いては、長らく海に入っていなかったので、すっかり忘れかけていた。私はもう人魚ではない。姉と対峙すると、人間と人魚の差がありありと見せつけられるようだ。もう、あの人魚の家族の元には戻れないのかもしれない、と思うと、ぎゅっと胸が締め付けられるように苦しくなる。
「うん……ありがとう、エリーネ姉さま」
私は服が濡れるのも構わずに彼女に抱きついた。どこか照れくさいのに、そうしないともう二度と会えないような気がした。
「やあね。あなたは今は人間なんだから、濡れちゃうでしょ。」
懐かしい、海の匂いがする。そのまま海に潜りたくなりそうで、私は急いで身体を離した。
「……元気でね」
エリーネは寂しそうに笑うと、再び水しぶきを上げて海の中に潜っていった。すぐに、その姿は見えなくなった。
決戦前。いい意味で踏ん切りがついた。もう、思い残すことは無い。私は深く息を吸い込むと、身支度をしに城へ帰ることにした。
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