◇攻略対象⑤ 隣国の王子
***
それから、日が落ちたころ。舞踏会はすでに始まっていた。
ホールの天井には大きなシャンデリアが下がり、涙のしずく型をしたガラスの装飾が、きらきらとまばゆいばかりに光り輝いている。その輝きに負けじとばかりに着飾った紳士淑女が、あちこちを行きかう。ホールの端ではラウニの指揮する楽団が優雅なハーモニーを奏でていた。
そんなおとぎ話のような現実味のない空間の中、私はなぜか壁沿いの椅子に座っている。……これが、いわゆる「壁の花」というやつだ。まさか、自ら経験することになるとは思わなかった。
「セアン殿下は、いつ見ても素敵ですわよね……整った顔立ちで、しかも聡明でいらっしゃるから、うっとりしてしまいますわ」
「カイ殿下だって、本当にハンサムですわ……そっけない感じも、冷静で頼もしいですし、男らしいですわよねえ」
セアンもカイも、今宵は王子という立場にふさわしく次々と令嬢たちに囲まれたり、貴族の男たちと談笑したりとまるで隙がない。二人ともどこか遠くへ行ってしまったようだ。もともと雲の上のような存在だったのだから、仕方のないことのなのだろうが……それでも、いつものように話せないのはなんだかもどかしかった。
私の居心地が悪い原因は、それだけではない。ひそひそと私を見て話し込んでいる人々があちこちに見受けられるからだ。
(どうして、来てしまったんだろう……)
貴族たちが私を見て何か言いたげにしているのは、おそらく、見覚えのない女がなぜこのような場所にいるのか、という嫌悪だろう。城の客人、ということで地位もないのだから当然だ。さすれば、排除するのが適当。彼らは何も間違ってはいない。
仕方なく人間観察にいそしんでいるのだが、謁見室の前では国王への謁見をしようと貴族たちが列をなしている。ホールでは黒の同じような燕尾服、色鮮やかで豪奢なドレスがこれでもかと言うほど並んではくるくると入れ替わり立ち替わり回っており、こちらまで目が回りそうだ。
壁の花になっている私を見かねてなのか、演奏し終えた楽団もそのままに、ラウニが来てくれた。彼は亜麻色の髪をきちんと束ねて、黒の燕尾服を上品に着こなしている。
「ローネさん。まだ踊られていないようですが、舞踏会はいかがですか?」
「……思っていたよりも敷居が高かったです……」
付け焼刃のワルツをこんなところで見せたら、いい物笑いの種になってしまうことだろう。
「そんなことはないですよ。堂々と自信を持ってください。ローネさんのドレス姿は、やはり素敵ですね」
彼は私のドレスを見てふわりとほほ笑んだ。布地はシルクで、淡いピンクにサファイアとダイヤがちりばめられ、銀糸の刺繍が施されている。髪はアップにして、あの貝の髪飾りを付けてもらっていた。我ながらそれなりに見栄えはしていると思うのだが、この疎外感は何なのだろう。
「あ、ありがとうございます……」
あれほど危険視していたラウニでさえ、今はそばにいてくれるだけでなぜか安心してしまう。
だが楽団を指揮する彼がこんなところで油を売っているわけにもいかず、ラウニはすぐに、また後ほど、とささやくと楽団へ戻って行ってしまった。
私は一体何をしにこんなところへ来てしまったのだろうか。ちらちらと向けられる視線が痛い。貴族たちの手前、セアンと親しげにするわけにもいかない。私はともかく、セアンの足を引っ張ってしまう。だからと言ってカイに近づくわけにもいかないし……。いっそのこともう帰ってやろうかと私が悶々としていると、突然頭上から声が降ってきた。
「こんばんは。素敵な夜だね」
やけに、なれなれしく甘い声に耳がぞわりとする。驚いてはっと視線をあげると、一人の青年が私に向って微笑みかけていた。
「……えっと。私、ですか?」
長身痩躯で、鼻筋が通った涼しげな顔立ちの青年だ。彼が膝を付くと、今度はこちらが見下ろす側になる。
「そうだよ。美しいお嬢さん」
なんだ、この歯の浮くようなセリフは。私はぎこちない笑みを浮かべた。
「ローネと申します。訳あってこの城に滞在しております」
こんな明らかに浮いている私に話しかけるなど、物好きなのかそれとも、本当にただの女好きなのか。彼の様子をしげしげと観察する。
「ごめんね、先に名乗らせちゃったね。僕はレオナルド。以後、お見知りおきを」
青年の笑みは砂糖のように甘い。涼しげな目は、翡翠のように澄んだ美しい緑だ。首筋までの髪は、艶のあるダークブロンド。ゆるやかにウェーブがかっている。上品な仕立てのミッドナイトブルーのジャケットは、それだけで目を引いた。
「ねえ、よければ一曲踊らない?」
「え?! あ、あの……!」
どこかで見覚えがあるのに、なぜだか思い出せない。このまま彼に近づくのは危険かもしれない、と心のどこかが警鐘を鳴らしているのに、私は彼に手を取られていつのまにかホールの中央へと連れていかれてしまう。
そんな私たちを待っていたかのように、ゆったりとしたワルツが始まった。ラウニに教えてもらったステップを思い出して、とりあえず相手の足を踏まないことを重点に置きながら踊る。お相手の青年――レオナルドは、ラウニと同等リードが上手だ。もしかすると踊りなれた貴族なのかもしれない。私が目も合わせる余裕もなく、一心にステップを踏んでいると、レオナルドは器用にも身をかがめて話しかけてきた。
「ローネちゃん、だっけ。もしかして、踊りなれてない?」
「……やっぱり、解りますか」
「うん。ばればれ。でも僕はそういう女の子も好きだけどね」
やっぱりただの女好きだったかとあきれながら、この際足を踏んでやるのもありかと、私は不穏なことを考える。
「レオナルドさま……でしたっけ。どちらの方なんですか?」
突然現れたこの男の正体は、一体何なのだろうか。それに妙に見覚えがあるような気がするのも引っかかっている。
「うーん。気になる? 言わなきゃだめ?」
人を食ったような物言いに思わずむっとするが、優男ゆえそれも許されてしまいそうだ。
「別に、言いたくないのなら結構ですが」
私自身はこういうタイプの男は苦手なのか、初対面であるはずなのに、どこか冷めた物言いになってきた。
「それより。君、珍しい目、それに髪の色だよね。出身はどこなの?」
はっとする。思い返すのは、海賊に誘拐されたときに同じようなことを言われたことだ。
「ええと、こっちも訳ありでして……」
「ふーん?」
翡翠の奥が心なしか冷えているような気がした。この目を、私は知っている。これは、同じ人間を見つめる目ではなく……あの海賊のような、物を見るような目だ。そう思ってしまってから、はっと我に返る。初対面の人に、私はなんて失礼なことを考えているのだろう。
「僕たち、両方訳アリみたいだね。お似合いなんじゃないかな?」
「仰る意味がよくわかりません。だいたい、私とレオナルド様は出会ったばかりですけど」
彼の口調は綿菓子のようにふわふわと甘くて軽いのに、私にはなぜだか猛毒のように感じられた。この男が危険だと感じる理由は何なのだろうか。
「出会ったばかりであっても、運命と言うのは初めから決まっているようなものだよ。そう思わない?」
「――?」
何が言いたいのだろう。
もしかすると、私の運命ももう決まっている、とでも言いたいつもりなのだろうか。
彼の言葉に耳を貸してはいけないと思うのに、気付けば私の足は硬直してしまっていた。運命からは、逃れられない。その言葉は呪いのように私をがんじがらめにしていく。よみがえってくるのは、二日前に見たあの悪夢。セアンを殺して自分も死ぬ夢だ。その不安に身震いすると、いつのまにかレオナルドも踊るのをやめて、私を射すくめるかのように凝視していた。
怖い、逃げたい。そう思うのに思う通りに足が動かず、私はドレスの裾を踏みつけてつまずいた。彼が手を取ろうとするが、間に合わない。そのまま空を切って床につこうとする私の手を、誰かが横からつかんで引いた。途端に、すっとレオナルドから身体が離れていく。
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