◇決意
***
「――っ?!?!」
ぱっと見覚えのある花柄模様の天井が視界に飛び込んでくる。私はベッドから飛び起きるように身を起こした。嵐の海で襲い掛かってくる怒涛にもまれたかのように、心がざわざわと激しく波立っている。心臓はバクバクと大音響で早鐘を打ち、背中はじっとりと冷や汗をかいていた。
「……夢、か……」
さきほどのアレは、セアンのバッドエンドの中でも群を抜いて胸糞の悪いものだ。別名、心中エンド。王子と隣国の王女が婚約した後、主人公が嫉妬に苦しみ、王子を殺して自殺するというものだった。どうしてこんな時に見てしまったのだろうか。突如として冷や水を浴びせられたように、あまりの気味の悪さにぞくりと身震いする。
「喉、乾いたな……」
口の中がカラカラに渇いて喉が引きつっていた。水差しから水を注いで喉を潤すと、窓を開ける。外は糸のように細い月。満月から新月になった月が、再び満月を目指して満ち始めていた。
そのまま眠る気にもなれず、部屋のドアをそっと開けてみる。交代の時間なのか、兵士はいなかった。チャンス……かもしれない。私はふらふらと部屋を出ると、まだどこか夢見心地のまま廊下を歩いた。足元の感覚がまるでない。私の意識はあるのに、まるで私ではない誰かが、身体を勝手に借りて歩を進めているかのようだった。にも関わらず、どこへ行くべきかは何となくわかっていた。
――人魚の絵の部屋。
別に、あのイベントにこだわる必要などないのかもしれない。私はただ、誰にも死んでほしくないし、自分も死にたくないだけだ。そして、何より自分が前に進めているという確信が欲しかった。先ほどの悪夢を思い返すと、足がすくみそうになる。そうなってはいけない。目安となるイベントが起きないなら、こちらから起こすまでのことだった。
ほどなくして、再びあのテラスの近くにたどり着く。手前の部屋のドアが開いている。あの部屋だ、と直感すると、私はためらうことなく足を踏み入れた。
「あった……」
部屋の中には、あの大きな人魚の絵。やっと、見付けた。それなのに、不思議なことに苦労の末に感じるような感動はなかった。絵の中では岩に座った人魚が、満月を見上げている。彼女の顔は見られないのに、なぜだか憂いを帯びているような気がした。ぼんやりとした光を放つのは、満月。……次の満月を見るころには、私はどうなってしまうのだろうか。再び、心がざわめく。
そういえば、初めてこの部屋に来たときは、カイは人魚が嫌いだということがわかっただけだった。彼はあれから、私を人魚だとあからさまに気にする様子はないから、とりあえずのところは、やり過ごせているのだろうか。彼がそこまで人魚を蔑視する理由は、今のところ思い出せなかった。思い出さなくてもいい。彼と不用意に関わる必要はないのだ。
これまでのことをまた思い返してみると、ルートの通りに行くこともあれば、行かないことの方が多かった。これから始まる舞踏会のことを考えると気が重い。セアンと踊ることができれば、私は生き永らえる。しかしながら、心のどこかではそんな簡単にいくわけない、という声も聞こえる。縋りつくように、願う。セアンがここに来てほしい、と。こんな夜更けにこんな場所まで彼がやってくるはずもないのに。
(来ない……か。やっぱり、そうよね)
私は、何を信じてどこを進めばいいのだろう。森の中で道に沿って歩いていたはずなのに、気付けばそこは獣道で、どこにも標が見えなくなってしまったような感覚に陥っていた。
結局のところ、タイミングがよくわからなかったが、私はいつこの部屋に行けばよかったのだろうか。まぶたに焼き付いた悪夢の光景が離れない。その死の影が後を追って付きまとってくるようで、私はなんだか恐ろしくなった。
大丈夫、うまくいっている。本当は誰かにそう言ってもらって、安心したかっただけだったのかもしれない。
一瞬とも永遠とも思える時間が過ぎた後、私は部屋を出ようと重い足を奮い立たせた。
彼は来ない。誰も来ない。私は誰のルートにも入っていない……?
ぶんぶんと首を振る。違う。たまたま、今回は運が悪かっただけだ。そんなことは今までだって、いくらでもあったのだ。
疑念が、不安が、恐怖が、ふくらし粉を入れたパン種のように時間が経つにつれて少しずつ膨れ上がっていく。それでも力づくでそれらを押さえつけて、自分が正しいと思う方向へ歩まなければいけない。立ち止まることは許されないのだ。
部屋の向こうで、絵の中の人魚が寂しそうにこちらを見たような気がした。
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