◇イベント 船デート その2
急に、セアンが私の方に向き直った。心なしか潮風が弱くなる。私もばさばさとたなびく長髪を整えながら、ゆっくりと彼の方を向いた。セアンはいつものように落ち着いた声で、明日の天気を尋ねるかのような口調で訊いた。
「ローネは、自分の出自がわかったらどうするつもりだ?」
「出自……ですか」
質問の意図がわからず、戸惑う。その落ち着き払った声色とは相反して、彼にはどこか迷いが見られた。一国の王子として、彼の背負うものは私とは全く異なる。それでも普段ならそんな迷いや重圧感などは微塵も見せずに、凛としていたはずだった。今はその目が、あたかも知らない街に一人で置いて行かれた迷子のように寂しげで、吸い込まれるように釘付けになってしまう。
「ああ、そうだ。例えば、何かこう……大きな力で自分の運命が決まっているとしたら、どうする?」
それはまるであのゲームのことを言っているかのようで、私の心臓はドキリと跳ね上がった。
「どうあがいても、そこに逆らうのは無謀ともいえるような運命だ。まるで、そうせざるをえない、そういう定めなのだと言うかのように」
逆らえない、運命――か。
私は自分が察しの良い方だとはあまり思わないが、おそらく彼にとっての王室というのが、その運命とやらなのだろう。私がゲームという運命に縛られているように、彼もまた第一王子という身分ゆえに感じる不自由さがあるに違いない。そうなると、あまり下手なことは言えないのに、いつのまにか私は考えるよりも先に口を開いていた。
「それでも、私は抗い続けると思います」
答えは決まっている。たとえ運命のように逆らえない力が働いていたとしても、初めからあきらめて身を任せるのでは、意味がないのだ。
「もちろん、結果的に逆らわなければよかった、無駄だった、と思うこともあるかもしれません。ですが、できるだけ良い方向へと向かうように、未来の予測を付けながら行動します。そんな中で、ちょっとした判断で結果的に大きく間違えることは、たくさんあると思います」
今までのことを思い返す。この世界がゲームであることを思い出して、人間になりたくなかったはずなのに、私の中の「前世」がそれを拒んだ。今思えばあれも無駄な悪あがきだったかもしれない。また、カイの選択肢に引っ張られて、自分を監視するように申し出てしまったこともあった。今はだいぶ良くなったが、決して良い選択とは言えなかっただろう。海賊にさらわれたことなんて、助かったからよかったものの、まったく予想もつかない出来事だった。それでも、今こうしてセアンの隣に立てていることが私のすべてだ。
「見たことも予想もつかないことには、必ず出会うと思います。そんな時……最善を選ぶことはできなかったとしても、『今』良いと思うものを選んで、後悔しないようにしたいと、私はそう思います」
少し、喋りすぎただろうか。おそるおそる横目でセアンの様子を伺うと、彼は憑き物が落ちたように、まじまじと私を見つめていた。
「君は……本当に……」
彼はそこまで言うと、何か言いかけてやめた。どこか悟ったかのように、その表情は心なしか晴れ晴れとしている。寂しそうに見えた彼の優しげな目は、元の穏やかな表情を取り戻していた。空と同じ色が澄んでいて、眩しい。
「『今』、か。そうだな……。何もかもがすべてうまくいくとは私も思わないが、それでも納得のいく選択をしたいものだ」
そう言うと、彼はいきなり私の手を取った。
「ありがとう、ローネ。君のおかげで、私の目指すべきものが見えたような気がする」
「そう……ですか? お役に立てたなら何よりです」
頬が熱い。彼に褒められるとなんだか調子が狂ってしまう。嬉しいはずなのに、同時に顔から火が出るくらいに恥ずかしくて、どこかに逃げ隠れしてしまいたくなる。
すると次の刹那、ついと彼の指がためらいがちに滑って、私の両手を包んだ。線が細いしなやかな指先なのに、手のひらは大きくがっしりとしている。海風の冷たさとは対照的に、合わせた手からはあたたかな温もりが伝わってきた。
「あの……」
「海辺はやはり冷えるな。寒くないか?」
どぎまぎしながら視線を落とすと、大きな手が合わされた指。視線を上げると彼の端正な顔が間近にあり、どこを見ればよいのかもわからなくなる。知らぬ間に手が震えて、動揺が隠せなくなってきた。何か言おうと思っても、言葉が出てこない。
ど、どうしよう……。
私たちの間に、ひときわ大きな海風が吹き付けてくる。間髪入れずに目を瞑った。稀に見る強風かと思ったが、どうも様子がおかしい。そのあまりの強さにたまらずバランスを崩してしまい、私は一歩二歩とよろめいた。軽く触れ合っていただけの手と手は容易に解け、たちまちセアンと離れてしまう。
「ローネ?!」
同時に、猛々しい高波がなぜか私に向って押し寄せてきていた。ぐらりと足元が揺らぐ。甲板が斜めになっている。セアンが手を伸ばそうとするが、届かない。
「あ、あの……大丈夫、で――」
なぜか、視界が反転している。上に船、下に空。私はいつの間に逆立ちをしていたのだろうか?
次の瞬間、私はなぜか音もなく海中に沈んでいた。
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