◇イベント? 海賊 その2


「――本当に、残念だったな」


 次の瞬間、階段を下りてくるような振動とともに、聞き覚えのある声が聞こえた。そして、男の悲痛な叫び声とともに、ばたりという重みが床に加わる。わけがわからないまま呆然としていると、たちまち視界に光が差してきて、口に押し込まれていたはずの布がなくなった。どうやら、目隠しと猿轡が外されたらしい。


「大丈夫かい?」


 私の拘束を解いてくれたのは、見覚えのあるカイの部下の兵士だった。それだけでほっとして、なんだか泣きそうになる。次に目に飛び込んできたのは、勢いよく剣を払う、燃えるような赤毛の王子の姿。先ほどの聞き覚えのある声は、どうやらカイだったようだ。どうして彼がここに、と驚きのあまり声も出せないでいると、刹那、彼はすぐさま大柄な男に切りかかっていた。


「フン。まさか、こんなところにネズミが入り込んでくるとはな!」


 その相手は日に焼けた茶髪の、大柄で筋肉質な男。はだけたシャツに、麻の薄汚れたズボン。手にしているのは曲がった剣カトラス――先端になるにつれて刃の幅が太くなっている。その振り下ろす音が聞こえると、空気がびりびりと割かれるような衝撃がこちらまで伝わってくるかのようだ。男の焼けた小麦色の肌には、いくつもの戦闘で作ってきたのであろう古傷が刻まれていた。その威圧するような気迫と鋭い眼光は、カイに勝るとも劣らない。


「ああ、入り放題だったな! ロゼラムと通じているような売国奴は、もうお前で終わりだよ」


 カイも男の隙をつくように幾度も剣を薙ぎ払う。彼の剣技は初めて見るが、敏捷で無駄のない動きだ。あの剣を受けなくてよかった、と心底思う。剣を振るう彼の唇には笑みさえ浮かんでいた。カイは大男の剣を受けて少し衝撃を耐えるかのように足を踏ん張ったが、どこか余裕すら見受けられる。

 私は、状況がいまいち呑み込めないまま、固唾を呑んで見守ることしかできなかった。


「別に、通じてはいねえよ。奴らは良いお客さんだ。王族のお坊ちゃんに、俺たちの何が分かる?」


 男が挑発すると、カイはぴくりと鋭い眉を動かした。


「俺を知っているんだな」


 そのまま、男の肩口をめがけて剣を振り下ろすが、すぐに弾かれる。あらゆる角度から踏み込んで切ろうとするものの、男は見かけとは違い身のこなしが軽く、すぐにひょいとよけられてしまう。


「ふっ、暇な王子様だな。兄貴に王位を持ってかれちまうのもわかるぜ?」

「とぼけるな! お前がロゼラムに情報を売っていたのは割れている。」


 男は斬撃を交わしながら、口笛を吹いた。こちらも余裕がある様子だ。二人は床に転がったいくつもの樽や、壁際に並んだ大砲に足を取られることもなく、刃を交えている。


「勘違いしないでもらいたいな。俺たちは、金がすべて。それ以上でもそれ以下でもねえ」


 カイはそれを聞くとすっと、鋭い目を細めた。琥珀色の中が本気の殺意で満たされる。彼はたちまち男との距離を縮めると、首元に剣先を押し当てた。さすがに男の動きが止まる。男の太い咽仏が荒々しい呼吸に合わせて上下するのを見つめながら、私は瞬きするのも忘れてはっと息を呑んだ。それで、終わりかのように見えた。だが男は降参という雰囲気を出しつつも、威圧するような気迫を持ち合わせたままで、諦めた目をしていなかった。


「ちっ、面倒くせえな。ここはずらかるぞ」


 男にはまだ何か策があるのだろうか。この絶体絶命ともいえる状況の中で、まだ余裕ぶっている。


「そうはいかないよ」


 凛とした声とともに、なぜか階段から降りてくるのは、見覚えのあるもう一人の人物。日の光を浴びて燦然と輝く金髪の王子――セアンだ。彼の姿を見ると、無事でよかったと胸に安堵が広がった。いつの間にここがわかったのだろうか。


「反乱分子がまさかこんな近くにいたとはね。おまけに女性に手を出すとは……死罪ではすまされないな。」


 私の方をちらりと見やった後、セアンが微笑みながら剣を抜く。その眼は……本気だ。笑っていない。空色の瞳は、今は静かに怒りに燃えているようだった。


「奴を捕らえろ」


 は、という返事とともに彼の後ろから兵士たちがわらわらと降りてきた。大男はにやりと笑うと、何を思ったのか、急に剣を押し当てているカイの顎に、自分の頭をぶつけた。


「――ってえ!!」


 驚いてその手が緩んだ隙に、男は船の大砲の方へ一気に横へ飛ぶ。何をするのかと怪訝に思ったが、彼は勝ち誇ったように砲台の横にある丸い窓に手をかけた。なぜか、簡単に人ひとり通れるくらいの大きさに開く。


「じゃ、あばよ。詰めの甘いお坊ちゃんたち!!」

「おい、待て!!」


 二人の王子たちが迫ろうとする間もなく、男は海に落ちていった。……否、一回り小さい船に乗り込んでいる。カイが慌てて大砲を打つように指示を出すが……何かが足りないらしい。彼はちっ、といらただしげに舌打ちをする。


「火薬がねえな。火薬庫にも鍵をかけられているだろう……おい、何をしている!奴を追え!!」

「はっ!!」


 兵士たちはまたわらわらと階段を上がっていった。

 私は呆然としたままそれを見送った。我に返って立ち上がろうとするが……長時間縛られていたせいか、膝に力が入らない。


「立てるか?」


 セアンが慌てて駆け寄ってきて、手を貸してくれる。私は髪飾りを拾うと、がくがく震える膝を奮い立たせて、何とか立ち上がった。緊張が一気に抜けて、足元がおぼつかない。


「あ、あの……カイ殿下。セアン殿下。ありがとうございました!」


 私が頭を下げると、カイは鼻を鳴らした。


「はっ、別にお前のためじゃない。海賊も仕留めそこねちまったしな。それよりも兄上、なんでこの女がこんなところにいるんです?」


 同じことを彼も思っていたらしい。


「そうだな。詳しいことは、場所を変えて話そうか――」

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