◇イベント? 貝の髪飾り

店と店の間の隙間からは、青い空と海が見える。先ほどのやり取りもあってか私は妙に浮足立っていた。


「それにしても、珍しいものばかりですね。海に近いせいか、海産物も多い気がします。」


 だが、何かが足りない。ここが西洋に似た世界ならイカやタコがないのはまあわかるし、無理にお勧めする筋合いもないのだが。魚屋をふと見ていると、あることに気づいた。


「……貝が、ない」


 私がつぶやくと、セアンは不思議そうに見返してきた。


「貝? というと、時たま宝石が入っている、あの殻のことか」

「宝石――真珠だけではなく、貝の中にも食べられる身がついていると思うのですが……」


 言った後で、しまったと思ったがもう遅い。この世界では当たり前である「文化」に気づいて指摘したら、後々面倒なことになってしまう。


 気づけばセアンは不思議そうな顔をして、まじまじと私を見つめていた。


「ローネのいた国では、貝の用途は宝飾だけではなく、食用にもしていた、というのか?」


 迂闊だった。西洋に似ているとはいえ、ここは全く別の世界だ。当然、史実とは異なった文化や、こちらにとっては遅れて見えるようなこともあるだろう。


「え、ええ……そんな気がした、だけですので。記憶違いかもしれません」

「構わない。詳しく聞かせてくれ」


 どう切り抜けようかと思いながら、私は時間を稼ぐために逆に聞き返すことにした。


「えっと、この国では貝はどうされているんですか?」


 そうだな、と彼は思案顔になると、わかりやすく説明してくれた。


「中の宝石は人魚の涙と呼ばれ珍重されていて、高値で取引されている。あとは、貝殻を使った装飾品だ。光沢のあるものは需要が高いな。まさか、食用にできるとは知らなかった。あとで料理人に頼んで、作らせてみるか……」


 これで話題を逸らせた、とは……さすがに言えないか。ふと、すぐ近くの上品な店が目に留まった。青緑を基調にした内装が目を引く。私は適当に、店頭に飾られているものを指さした。


「あ、あの。――あれ、綺麗ですね!」


 でたらめに指さしたが、そこはちょうど貝殻を使った装飾品を売っているお店だった。中に入ってみると、髪飾りから腕輪、ネックレス、イヤリング、指輪と細かな細工の美しい品々がそろっている。その中でも、店の中央に飾られているのは小さなヒトデと貝殻をモチーフにした髪飾りだった。艶のある大粒の真珠と青く染めた小粒の真珠で彩られ、ヒトデの中央にはダイヤモンドとサファイアがきらびやかに散りばめられている。思わず、ため息が出るほど美しい。セアンも思わず目を見張った。


「これは、見事な細工だな」

「お、お客さんお目が高いねえ。これはうちの職人の中でも腕利きが作った最高傑作だ。宝石を使っているからちょいとお高いが、お客さんなら彼女のために買ってやれるだろう」


 気さくな店主の男はにんまりとほほ笑んだ。数字はこの世界でも共通なのか、値札も読めるのでわかったが……他の品より明らかに値段が高い。それでもセアンはためらうことなく、髪飾りを指さして金貨を渡した。


「そうだな。これをくれ」

「あいよ」

「……え?」


 気づいたらお買い上げされていた。衝動買いの域を超えている。さすが、王族。


「ローネ。そのままでいてくれ」


 彼が私の赤みがかった金髪をすくいあげて、そっと耳の後ろの髪を撫でるように優しく持ち上げた。


「これは……こうすればいいのだろうか。よくわからないな」


 彼の指が髪に埋められ、触れられているとわかった瞬間、頭が真っ白になった。あまりの近さにどう呼吸をすればいいのかわからなくなる。空色の瞳をまっすぐに見つめることができずに、私はされるがままになった。髪に重みが加わると、セアンは満足そうに優し気な目を細めた。


「うん、よく似合っている」

「あの! こんな高価なものを、私なんかが頂くわけには……」


 どうして、彼が私にプレゼントをしてくれるのかわからない。頭の中を疑問符が埋め尽くす。


「いいんだ。こうして一人で街を歩いているよりも、君と歩いている方が怪しまれずに済む。これは、そのお礼だ」


 そう言われると、突き返すわけにもいかなくなった。私は呆けたように立ちすくむ。こんなイベント……あっただろうか?


「ええと……それなら……。ありがとうございます。大切にしますね!」


 店を出ると私は記憶を振り返っている間もなく、どん、と人混みに押されて思わずよろけてしまった。セアンがすかさず腕を差し出してくれる。こ、これは……。


「あ、あの……」

「つかまっておくといい。はぐれたら大変だ」

「……は、はい」


 私はしどろもどろになりながらも、ためらいがちに差し出された腕を取った。これでは、本当にデートみたいだ。歩くたびに髪飾りが揺れる。さっきから、身体中が熱い。


「ところで、ローネ。君を行方不明者リストからも当たってみたのだが、同じ年ごろの女性はやはり居ないようだった。カイの考えに乗るのもしゃくだが、どうやら国外の可能性も考えた方がいいみたいだな」


 セアンはエスコートなど慣れているのか、腕を貸したまま涼しい顔で話しているが、その内容は半分も頭の中に入ってこない。


「え、ええ……そうかもしれないですね」

「カイの言ったことは別に気にしなくていい。わが国――ロステレドが明らかに対立している国は今のところないからな。」

「えっと、そうなんですか?」


 期待を込めて聞き返してみたが、彼は珍しく難しい顔をしていた。


「まあ、明らかにというところからもわかるように、少し雲行きが怪しい国もある、というのが正直なところだ。なかなか難しい立場にいるからな」


 なんだか、とても大変そうだ。

 セアンと私は市場を抜けると、とある酒場と思しき木造の店の前で立ち止まった。人通りが一気に少なくなり、辺りは波の音のほかは静かだ。


「悪いが、ローネはここで待っていてくれ。護衛も何人か残しておこう。」

「ここは……?」

「まあ、その筋の情報が入るところだな」


 そのまま彼は、店の中へと入っていった。何人かの護衛も、怪しまれない程度の間隔を開けて、後に続いていく。

 私は道端のベンチに座って、セアンを待つことにした。


 今しがた歩いて来た道を振り返ると、延々と続いていく石畳とレンガ造りのお店が城へ向かって伸びている。海が近いのか、潮騒がとても心地いい。遠くに見える露店の白いテントを見ながら、私はこのイベントの一部始終を思い出そうと努めたが、どうにも思い浮かばない。


 あのイベントは、王子と連れ立った主人公が、物珍しさにお店の商品に手を出して、捕まえられたところを王子に助けられて……という、ここまでとはまるで違うストーリーだ。私はすっ、と耳の後ろで揺れる髪飾りに触れた。これを貰うというのも、まったく記憶にない。


 ――私がゲームの主人公の通りに行動しなかったから、未来が変わってきている……?


 だとしたら、これほど好都合なことはない。これからの展開も変えられる可能性が出てきたからだ。

 あと気を付けるとしたら、自分の死ぬパターン。それから……。


(……王子の死ぬパターン……?)


 まさかない、とは言い切れないのが、このゲームの恐ろしいところだ。何かの間違いで、ひと月が過ぎる前に主人公を残して攻略対象が死んでしまったら、あとはタイムアウトになるのを待つのみとなってしまう。加えて、セアンが口にしていた「雲行きが怪しい国」と言うのも、妙にひっかかっている。


 それに、王子と婚約する(かもしれない)隣国の王女というのは、一体どこの国なのだろうか。次々と情報に触れるにつれて、新しく不安になる要素が次々に出てくるようだ。私は知らないことがあまりにも増えていくことに、だんだんと底知れぬ不安を覚えていた。



             ***



 私が一心に物思いにふけっていたその時だった。護衛は周囲に怪しまれないように、私から離れて立っていた。彼らは確かに、酒場の脇とベンチの横で目立たないように私を見張っていたはずだったのだが、なぜかふわり、と身体が宙に浮く感覚がした。悲鳴を上げる暇もなく、気付けば裏路地に連れ込まれていた。驚いて目を上げようとすると、突如視界が暗くなる。目隠しをされているのだとわかるまで、時を要した。表通りの喧騒が、やけに遠くに聞こえている。


「この女、高価な装飾品を付けているな。いい値段で売れると思わないか?」


 低い男の声が頭上で聞こえてきて、ぞわりと全身の毛が逆立った。


「――っ?!」


 抗議しようにも、あまりの恐怖に喉が引きつって声も出ない。


「確かに、髪の色も目の色も珍しかったな。見目も悪くない」

「どうする? 娼館にでも売るか?」

「いや、それならロゼラムの貴族の方が高く買うかもしれない。どちらかと言えばそっちの方に受けそうだ」


 おぞましい会話に身がすくむ。

 何?! 何なのこのイベントは? こんな物騒なイベントはさすがに覚えていそうなものを、全く記憶にないということは私の行動ゆえに、新たに起こってしまったのだろうか。


 ――もしかして、この髪飾りをセアンにもらってしまったから……なのだろうか。


 この状況、どう切り抜ける……?

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