◇イベント 町デート
あの晩餐のイベントを終えてから、これと言った音沙汰のないまま数日が過ぎた。今頃、攻略対象を決めたのでは遅かったのだろうか、とふと焦りが生まれる。
とりあえず、何としてでもセアンに会わなくては何も始まらないのだが、彼に近づく口実も思いつかない。考えがまとまらないまま朝の身支度を終えると、私は部屋から出ることにした。
ドアを開けると傍らにはカイの部下の兵士の姿。……カイ本人じゃなかっただけ、マシだと思っておこう。ここのところは忙しいのか、彼がここに来ることはほとんどない。
「失礼ながら、お供させていただきます」
そう言われてさっと後ろについてこられるのも、もう慣れてきた。これはもはや、監視ではなく護衛だと思わなければやってられない。
「あの、セアン殿下にお会いしたいのだけれども」
ダメもとで尋ねてみると、兵士は困ったような顔をした。
「ええと、殿下からのご了承がなければお受けできないので……」
やはり、だめか。こんな美少女がお願いしているというのに、つれない。
「やっぱり、そうよね。仕方ないわよね。」
はあーっ、と物憂げな顔でため息をつく。
「せっかく、何か思い出せそうな気がしたのに……」
多分セアンは、私のことを他人に丸投げするようなことはしないだろう。責任感から、というのもあるだろうが、彼は私のことをあの日助けてくれた女性ではないかと気にしている節もある。何とか会わせてはもらえないか、せめて一人で外に出たいと思いながら、ちらちらと兵士の方を見やった。
「町に出たら、私の記憶も戻るかもしれないの。護衛はいらないし、一人で行けるわ」
「いえ、そういうわけにはまいりませんので……」
ふと、このモブ兵士の心を奪うこともできるのだろうかとも思ったが、こんな美少女を目の前にしても無表情だ。これは無理だろう。
「大丈夫、殿下の手は煩わせないから」
私が押し問答していると、何の偶然か廊下の向こうに歩いていくセアンの姿が目に入った。
「あっ……お嬢様!!」
私は兵士が制止するのを振り切って、はしたないと思いつつも声を張り上げた。
「――セアン殿下!!」
彼は不思議そうに振り返ると、日の光を受けて燦然と輝く金髪が揺れた。私の姿を見付けて、端正な面立ちに微笑をたたえる。胸が弾む。私はそのまま彼の方へと近づいて行った。
「おはようございます。」
「おはよう、ローネ。こんな朝から珍しいね。どうしたんだい?」
「えっと……」
いざセアンを前にすると、先ほど思いついた言い訳もうまい具合に出てこない。今は幸いにしてカイがいないので、これほどのチャンスはないというのに。
「ええっと、外の空気を吸いたいと言いますか……ずっと城の中にこもりきりと言うのも、記憶を取り戻すきっかけにはならないと思いまして。まことに我が儘ではありますが、できれば外出許可を頂きたいのです。」
「確かにそうだね。配慮が行き届かなかったことを詫びよう。」
「あっ、いえ! そういうわけではなく……」
彼が悪いわけでは決してないのだが、外に出るためには死活問題なのでここは黙っておこう。
「だが、いくら護衛がいるとはいえ、一人でというのは心配だな。」
心配そうに眉をひそめる王子の言葉を聞いて、ふとゲームの中での選択肢を思い出す。細かい選択肢など忘れたが、好感度を上げるためには多少不躾だろうが、攻めに行かないと意味がないだろう。
「それでは、あの……無理を承知で申し上げますが、殿下のお供をさせていただきたいです。……だめ、ですか?」
言ってしまった後で、無礼者と切り捨てられたらどうしようとちらりと思ったが、あの赤毛の弟王子ではないので、そんな心配はなかった。彼は澄んだ空色の目を細めると、太陽のようにきらきらした笑顔を向けた。
「もちろん大丈夫だが……ローネには少々退屈かもしれないよ?」
「構いません。」
よかった、と安堵するとともに胸が躍る。ようやく、セアンのルートに近づいてきた気がする。
私の同行を許可するや否や、彼はふと思いついたように傍らの従者に耳打ちすると、なぜか私に部屋に戻るように促した。
「それでは、あとで合流しよう。ローネ」
「…………?」
***
しばらくののち。私はセアンと町を歩いていた。
彼は普段の白と金を基調にした軍服やフロックコートなどのかっちりとした服装ではなく、ラフな白いシャツにグレーのズボン、それに茶色のマントを羽織っている。足元は着古した様子のブーツだ。いわゆる庶民への変装というやつだろうが、それでもあふれ出る気品は隠しようがない。私も飾り気のないコットンのワンピースに着替えていた。もちろん護衛の方も、何気ない庶民を装ってすぐ後ろに付いてきている。
「なんか緊張しますね……セアンでん――」
殿下、と言いそうになり慌てて口元を抑えた。
「セアンと呼んでくれ。そんなにかしこまらなくていい」
「は、はい……」
聞けば、彼はたびたびこうして市中を見て回っているという。町の様子を如実に知るには、これが一番手っ取り早いらしかった。
「物価はまずまずだな。この場所は城下町だから組合の管理も行き届いているんだろう。」
「そ、そうなんですね……」
「ローネはこのあたりも見覚えはないか?」
「ええ、あまり……」
妙に緊張したまま、固唾を飲んで頷く。ゲーム画面にはこんな雰囲気の町が背景に出ていたような気がして辺りをきょろきょろと見回していると、ふとセアンのイベントがだんだんと思い浮かんできた。
最初のイベントは、二人で市中を見て回るというごく単純なものだ。ここで人魚の主人公は、人間のものが珍しくてついつい手に取って持って行ってしまい、万引きを疑われてしまうのだが、そこをセアンが助けて……という展開になったはず。私は人間の知識があるのでそんなへまはしないのだが、これはあえてやった方がいいのだろうか悩む。……いや、人としてダメな気がする。
八百屋らしきお店を見ると、野菜類で見覚えがあるのはジャガイモをはじめとして数種類。果実で見たことがあるのはリンゴと苺くらいのもので、前世の人間社会に比べればだいぶ種類も乏しかった。
そのまま並んで歩いていると、セアンが口を開いた。
「この近くは海辺で肥沃な土地が少ないから、畑を作るよりは酪農に適している。交通網が発達すれば、また少し違ってくるんだろうが……。」
王宮での食事を思い起こすと、乳製品の登場頻度は確かに多い。
店や露店が続々と並ぶ市場を歩いていると、彼は突然ある露店で立ち止まった。
「ローネは苦手なものも、好きなものも特になかったな?」
「は、はい……」
焼きたてのパンのいい香りが漂ってくる。手のひらよりはみ出るくらい大きいそれは、ライ麦のような黒っぽいものもあれば、白くてふかふかしたものもあった。小柄な中年の女性が、店先でそれらを並べている。
「今日は何が入っている?」
セアンが手慣れた様子で尋ねると、気さくな女店主が答えてくれた。
「玉ねぎに、燻製にした鮭。新鮮なチーズもあるよ」
「では、一つもらおうか」
「あいよ。いつもありがとね」
店主から紙に包まれたサンドウィッチのような食べ物が手渡された。わけがわからないまま受け取る。
「……なんですか?これは」
「ロステレドの名物だ。いいから、食べてみてくれ」
オープンサンドと言うのか、上を挟むパンはない。はしたないと思いつつもそのまま頬張ってみると、薄切りにした甘い玉ねぎと、スモークサーモン、それからカマンベールチーズのような白カビのチーズが口いっぱいに広がった。パンは歯ごたえのあるライ麦パンだ。バターの濃厚さもちょうどいい。
「――っ! 美味しい、です!」
前世の「私」が何を好き好んで食べていたのかまでは知らないが、これは素直に美味しいと思う。なんなら、王宮の食事よりも美味しく感じる。青い空の下で、肩ひじを張らずに食べているせいだろうか。それとも、一緒にいるセアンが普段よりものびのびして見えるからだろうか。
「それは良かった。私も好きなんだ」
王子ともあろう人が、庶民の食べ物を好むとは知らなかった。
「でん……セアンも、こういう食事を召し上がるんですね。意外です」
素直にそう口にすると、王子は困ったように端正な顔立ちを曇らせた。雑踏と周囲の喧騒のせいか、彼との距離は近く、間近で横顔を見つめるとドキリと心臓が跳ね上がる。
「意外とは、どういう意味だ? 民の暮らしを知るため……と私も初めは思っていたが、慣れてみるとなかなかいいものだな」
なんだか、王宮で見る彼とは違うようだ。私はおかしくなって、いつの間にか笑っていた。
「ふふっ。なんか普通の人みたいですね」
言ってしまった後で、気分を害してしまったかと慌てたが、
「……そういう顔もできるんだな」
気が付くと、彼はまっすぐに私を見つめていた。思わずどぎまぎしてしまい、その澄んだ青空のような瞳を見返すことはできずに目をそらした。
「……ど、どういうことですか?」
「いや。王宮に来てからと言うものの、私は君に対して力になってやることができなかった。加えて、カイもあの調子だ。君は張り詰めた表情をしてばかりで、なかなか笑ってくれることは無かったと思ってな。」
「そんな……」
言葉を失う。自分で思っていたよりもずっと、セアンは私のことを気にかけてくれていたようだ。たとえそれが恋愛感情ではなかったとしても、これほど胸に迫るものはなかった。セアンは優しくて、人として尊敬に値する人物だ。
「セアンがいてくださるだけで、私は幸せです。」
言ってしまった後で、ほとんど愛の告白のようではないか、と思い当たり頬が熱くなった。が、あいにくそこまでの邪推はされなかったらしい。彼はお世辞だとしても光栄だよ、と言うと、私が食べ終わるのを見計らってまた歩き出した。
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