攻略対象④ 宮廷楽士 その1

 翌日。ついに、私は思い出した。


「――宮廷音楽家よ!」


 私付きになったメイドの女性が、髪を梳かれながらいきなり叫んだ私を見つめてぽかんとしている。


「ええっと……お嬢様? 本日は一日中カイ殿下がご公務ですので、殿下直属の者がお嬢様のお供をするということですが……」


 それなら、なおさら好都合だ。

 セアンもカイと一緒に朝から公務に出かけてしまったらしい。一緒に行くタイミングを逃してしまったのは仕方ないとして、王宮の残る一人の攻略対象を探しに行くのも、選択肢としてはありだと思う。


 そう、別に相手に好きにさせる必要があるだけで、私自身がその人を好きになる必要なんてないのだ。極端な話、30日以内に告白させて、とりあえず生き延びる。どうするかは、その後で考えればいいのだ――という、やや自暴自棄気味な考えに至る。


 そうと決まれば、聞き込み開始だ。

 部屋にやってきたカイの兵士に、宮廷楽士に会えないか聞いてみると、渋々ながらではあったものの無事に承諾された。まあ、むろんカイには報告されるのだろうが……まだ泳がせてもらえるようだ。


 もうルートが何なのか、とかイベントを待った方がいいのか、なんて知ったことではない。私はやけになっていた。こちらは生き残るだけで精いっぱいなのだ。誰を攻略するかは、この際彼に会ってから決めても遅くはないだろう。なにしろ、まだ数日しか経っていないのだから。




                 ***




 私は宮廷楽士が来るのを今か今かと待ちわびていた。彼のビジュアルも、なんとなく思い出してきている。そわそわと落ち着きなく、立ったり座ったりを繰り返しながら部屋の中を歩き回っていると、ノックの音が聞こえた。


「ど、どうぞ!!」


 上ずった声で答えると、ゆっくりとドアが開いて想像通りの風貌の男が顔を出した。


「はじめまして、お嬢さん。僕はラウニと申します。この王宮で宮廷楽士をしています。」

「あ……私はローネです。初めまして」


 物腰が低く、柔和な雰囲気。艶やかな亜麻色の長めの髪に、丸い眼鏡をかけた青年だ。切れ長の栗色の瞳が、にっこりと笑うとますます細められる。


「ローネさんですか。可愛らしいお名前ですね」


 微笑んだままさらりと口説き文句のようなセリフが飛び出し、私は思わずどぎまぎした。前世の「私」の記憶にさほど残っていないとはいえ、この世界の攻略対象はみな映画俳優ばりの美形ばかりで、だんだん美的感覚かおかしくなるのか、くらくらしてくる。


「ここでお話しするのも何ですので、サロンの方へ移動しましょうか。」


 そのまま手を取られて、部屋から連れ出される。カイやメイド以外と部屋の外に出るのは、なかなかに新鮮だ。むろん、護衛と称して監視の兵士は後からついてくるのだが。


 しばらく歩いて連れてこられたのは、グランドピアノの置かれた音楽室と思しき部屋だった。

 ラウニと名乗った青年は、年の頃は30前後だろうか。宮廷楽士として数年前から城に滞在しているという。陛下が音楽に造詣の深い方であり、宴席の場では宮廷楽団の指揮を任されるようだ。また彼自らも作曲をしたり、時には殿下たちにダンスのレッスンを付けたりとその仕事は多岐にわたるらしい。


 ソファーに腰掛け、テーブルにはティーセットが並べられていた。ラウニは話し上手で、あっというまに彼の話術に引き込まれてしまう。今は、王子たちがダンスを習い始めた頃の様子を話して聞かせてくれている。


「そういうわけで、カイ殿下は初めこそ反発されていましたけど、セアン殿下がどんどん上達されていくのを黙って見ているわけにはいかないと、最後は渋々練習されていましたよ。今こそ、お二方とも舞踏会などでは完璧にエスコートなさいますけどね。」

「へえ~。そうだったんですね、意外です」


 話はあっというまに弾んでいる。それは私と馬が合ったというよりは、ラウニが人に合わせるのを得意としているからだろう。


 ただ、この人にも気を付けなければならない。即死トラップがどこにあるのかもわからないのだから。……なぜか、私は彼のルートを思い出すことができないでいる。一度ゲーム内で死亡したからこそ、迂闊に近づくのは危険だと警戒しなければならないのに……とにかく何か行動を起こさなくては、という焦燥に駆られていた。


「そうそう、ローネさんにもダンスの稽古をつけてあげますよ。王宮に居ればそのうち嫌というほど踊る場面が出てきますからね。弦楽器だけですけど、ちょうどよく楽団員もいますから、ね?」

「え……ええ」


 ゲーム内では特にダンスを練習している描写はなかったが、20日目には舞踏会がやってくるのだ。ここらでダンスを習っておいて損はないだろう。


 ラウニが合図すると、奥の小部屋から、10人足らずの楽団員がやってきた。皆それぞれ楽器を手にしている。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの弦楽器だろうか。


「みんな適当に合わせてくださいね」


 王室御用達にもなると指揮者はいらないのかと思ったが、普段は指揮をしているラウニがダンスの指導をするので、やむをえずといったところだろうか。そのままゆったりとしたワルツの演奏が始まった。


 ラウニが私の手を取って腰を抱き、エスコートをする。……近い。彼が今まで会ったキャラクターの誰よりも長身のようだ。私の頭は彼の肩くらいまでしかない。


「まず、ステップはこうです。慣れないうちは頭の中で1,2,3と三拍子のリズムを刻んでください。女性はリードしてもらえますから、ターンのタイミングが来たら堂々と回ってください。たとえ間違っていても、自信を持ってくださいね。ダンスは楽しんだもの勝ちですよ」

「は、はい!」


 余裕がないし、せわしない。そして、息がかかるかと思うばかりに距離が近い。生演奏で踊っているというのに、まったく優雅さのかけらもなかった。慣れないドレスや靴のせいですぐに躓き、バランスを崩しそうになるが、そのたびに彼に支えられ、時には足を踏みつけつつ、踊る。


「あ、ごめんなさい!!」

「大丈夫ですよ。最初は誰だってそうです」


 優しく微笑む、柔和な表情。本当に、この人のルートで死ぬことなんてあるんだろうか……ふとそう思うと、不思議な気がした。


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