◇イベント? 人魚の絵 その2

『困ったら、俺の名前を呼んで』


 ふと、なぜかあの魔法使いの言葉がよみがえってきた。でも、とぶんぶん首を振る。魔法使いが攻略対象であるかどうかも確定してないのに、しかもそのルートもわからないのに、彼を攻略するなんて無謀に決まっている。


 だが、もしかすると情報を引き出すことはできるかもしれない。今こうしてかごの中の鳥のようにここに留まっているよりかは、いくらかはマシなはずだ。私は震える声で魔法使いの名前を呟いた。


「……ユリウス……」


 だが、名前を呼んだだけで来てくれるなんて、そんなことがあるのだろうか。

 ふと、窓枠のきしむ音がした。驚いて目を向けると、いつのまにか窓が開いている。そよそよと揺れる薄いカーテン越しに見えるのは、黒い布。驚いて立ち上がると、そこには海にいたはずの黒髪の美少年が座っていた。


「遅かったじゃん、姫さん」


 彼は不満そうに口を尖らせている。


「いや……だって、あの……なんで?」

「あんたが俺の名前を呼んだんでしょ。ご用は?」


 サポートキャラでゲームのシステムをわかっている……とかだったら、心おきなく相談できるのに。攻略対象という可能性も捨てきれないため、何を聞くべきかもわからずもどかしい。


「用っていうか……心が折れそうなのよ。誰でもいいから、話したい気分だったの。それだけよ」

「ふーん」


 ユリウスは笑顔を崩さない。


「心が折れそう、か。いい響きだね」

「…………」


 前言撤回しよう。こいつに相談しようと思ったのが間違いだった。


「あのねえ。――こっちは命かかってるのよ!」

「だから、いつでも人魚に戻せるって言っているじゃん。まあ俺の実験道具にはなるけど」


 さらりと怖いことを言う。やはり、こいつも危険人物のようだ。


「まっぴらごめんよ。……もう、自分の思い通りに進まないし、なんかルートがぐちゃぐちゃになってきてるし、カイは怖いし、セアンは遠いし、私もう無理かも……」


 それでも、私は弱音を吐かずにはいられなかった。この世界のどこにも自分の味方はいないのだ。彼がただ事情を知っているというだけで、仲間のような気分になってしまうのだから不思議なものだ。

 魔法使いは静かに私を見つめていた。夜の闇に溶けそうな黒い瞳は、何を考えているのかもわからない。


「そのルート、っていうのはよくわからないけれど」


 彼は落ち着きはらったまま続ける。


「王子とまだ何も始まっていないのに、自分の偏見だけで決めつけるのは間違っていると思うよ。ここは、何が起こるかわからないんだから」


 その言葉に、はっとした。そうだ。この世界は決まっているようで、決まっていない。先ほどのカイとのやり取りを思い返す。大まかな流れは変えられなくても、細部なら私の行動で変わっていくことが分かった。それだけでも、収穫は大きい。ただ……。


「その始め方がわからないのよ。障害物が多すぎて……」


 ユリウスはそれを聞くと窓枠に頬杖をついて、つまらなさそうにあくびをした。


「俺に言えるのは、やれるところまでやってみて、っていうだけ。あんたはまだ本当の意味であきらめてないし、絶望しちゃいない」


 魔法使いは丈の長いローブを持て余しながら、いたずらを思いついた猫のように、丸い目を三日月のように細める。その様子は、さながら獲物を見付けたかのように楽しそうだ。


「まあ、俺も魔法を使ってやってもいいんだけどさ。姫さんにはまだ他に差し出せるものがあるの?」


 うっ、と言葉に詰まった。確かに、たとえ魔法に頼ろうにも残すところ寿命100年の身以外は何も残っていない。それこそ、声を差し出せなければいけなくなる。だが、声があってもこのありさまでは、たとえ好きになってもらう魔法をかけられたとしても、ますますハードモードになりそうだ。

 私の考えを読んだのか、彼は腕を組んで思案顔になっている。


「まあ、魔法じゃ人の心は動かせないよ。動かせたとしても、それは一時的なものだ。俺はそれもありだとは思うけどね」

「……どういうこと?」

「そういう道もあるっていう話だよ。じゃあね」


 けむに巻かれた。そう直感した時には、魔法使いはいなくなっていた。


「はあ。……もう、なんなのよ」


 結局のところ、翻弄されてばかりでヒントらしいものは何も得られなかった。


 だけど、少しだけわかってきたことはある。魔法で人間になり、この王宮に来るようになることは、何かの力が働いているかのように強制的だった。それに対して、カイの監視は明らかにルートを覚えていなかった自分のミスだった。ともすれば、先ほどの人魚の絵でカイの話を聞いたのは、それが何らかの影響を及ぼしたからとも言える。


(私が選択肢を間違えた、というより勝手に作ってしまったから、おかしなことになっているの……?)


 もう一度整理してみよう。もしそうだとしたら、選べる道は三つある。


 一つは、完全にカイのルートに切り替えること。はっきり言ってこれは自殺行為なのでご遠慮願いたい。見たところ先ほどの人魚の絵のイベントは、彼のルートに入った時のそれではなかった(少なくともあんな風に脅されはしなかった)。ともすれば、私がゲーム通りの動きをしなかったゆえに引き起こされたもので、好感度とは何の関係もないもの、としておくのがいいだろう。


 二つ目は、カイの監視の目を抜けつつ、セアンのルートに戻ること。本来のセアンのルートでは、カイの監視はない。どのように目を抜けるのか……今の私には思いつかない。


 三つめは、カイ以外のルートに切り替えること。魔法使いは攻略対象であったかどうかも定かではないので、パスする。残るは二人。


「誰だったっけ……?」


 必死に名前まで思い出そうとするが、喉まで出かかっているのに出てこないのだ。本当に不便な記憶である。


 一人は、一定の条件+城で誰とも仲良くならずに舞踏会を迎えると、出てきたキャラだ。特殊とも言うべきルートで、攻略サイトを見なければ登場させられないような隠しキャラ的立ち位置だった覚えがある。こちらは現実的ではない。


 もう一人は、城にいた気がする。確か、選択肢を間違えて一回死んだことは覚えているのだが、はっきり言って前世の「私」にもさほど思い入れがないのか、いまいち思い出せないのだ。


「もう……使えないじゃない!」


 前世の記憶と言ってもおぼろげなもので、まったくと言っていいほど役に立たない。それどころかそれに引っ張られて、痛恨のミスも犯してしまった。セアン以外の人物を選んだら、前世の私は悔恨をまた残すことになるだろうが、こればかりは生きるためだ。仕方ない。


 これから、どうなってしまうのだろうか……。

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