◇イベント? 人魚の絵 その1
後ろからメイドが付いてくるかと思ったが、みな忙しいのか珍しく後から誰もついてこなかった。カイも先に出て行ってしまったし、部屋に戻るまでに少し探索していこう。初めての自由時間だ。
ふと、テラスの手前にある部屋のドアが開いているのに気付いた。周囲に誰もいないのを確認して、おそるおそる中をのぞく。
「うわあ……」
部屋の中には、私の背丈をゆうに超えるかと思われる絵画が飾られていた。それは、岩に座った一人の人魚が、月を見上げている絵だった。月の写っている水面も、夜空も、幾重にも重なった様々な色合いの青で表現されており、幻想的な雰囲気を醸し出している。金色の髪の人魚の肌は白く、淡い光を身にまとっているかのように神々しかった。
「きれい……」
思わずため息をつく。
と、記憶の片隅から思い起こされてきたのは、人魚の絵のイベント。主人公がこの部屋に行くと、攻略対象がやってきて、人魚について自分はどう考えているのか、という話をしてもらうものだ。確か舞踏会の直前くらいに起こるイベントで、そろそろ誰が一番好感度が高いのか、をはかるのに最適だった。
「まあ、こんなに早く決まるわけもないわよね」
ここまで生き延びて、好感度が特に誰も上がっていなければ、一人でその絵を見て終わり、だった気がする。今の私には思い当たる人物もいないし、第一まだ序盤で早すぎる。この部屋に来るのは、もう少し先になるのだろう。
そう思って踵を返そうとした時だった。どん、と明らかに自分より背の高い誰かの身体に頭をぶつけた。いつの間にか、背後に人が立っていたらしい。驚いて顔を上げると、目に飛び込んできたのは赤毛の精悍な顔立ち。……すでに出て行ったはずのカイだった。
「なっ……?!」
心臓がうるさいくらいにバクバクと早鐘を打っている。どういう、こと? 確かに監視が入ったので、彼のルートに傾いたかもしれないと思ったが、好感度が上がった覚えはない。しかも、まだこんな序盤だ。
私が驚きのあまり、ものも言えずに口をパクパクさせていると、彼が凄んだ。
「一人で出歩くなと言っただろう。殺されてえのか」
「…………」
もしかすると、と思い当たる。ゲームの流れではない、現実的に考えて、彼は私をあえて泳がすために、わざと一人にしたのだろうか?
「こんな部屋に何の用だ」
「いえ……偶然開いていたので、覗いてみたら綺麗な絵が……」
嘘はないはずだ。
カイは舌打ちすると、何を思ったのか部屋の中に入っていった。腕を組んで、正面から人魚の絵を一瞥すると、吐き捨てるように言った。
「ったく、こんな絵のどこがいいんだか」
「……? カイ殿下は、絵がお嫌いなのですか?」
彼のルートを攻略したなら、その理由もわかるはずなのだが、あいにく今の私には考えもつかないので、慎重に言葉を選ぶ。
「嫌いじゃねえよ。ただ、この絵は……嫌いだ。この国の人間はやたらと人魚をありがたがっているが……そんなもんじゃねえ。あんなのは、ただの化け物だ」
どこかで聞いたような、初めて聞いたような……記憶が朧げなあまり、どちらとも判断がつかない。よくわからないイベント? にそこはかとなく疑問と不安が残るが、収穫もあった。人魚についての考え方だ。どうやらこの国での人魚は肯定的だが、カイは否定的に考えているらしい。
「……殿下は、この国の方ではないのですか?」
確か、カイの母親がこの国の人ではなかったような気がする。が、初対面も同然の私がそこまで知っていることを知られるわけにはいかないので、わざと尋ねてみたのだけれども、これほど間抜けな質問はなかったようだ。口を開いた後で気付いてしまったが、もう遅い。
「俺のことは関係ねえだろ」
ばっさりとはねつけられた。赤毛の青年は初めて出会った時と同じように、誰も寄せ付けようとしない鋭い目をしていた。
「お前が何を企んでいるのかは知らねえが、気を付けた方がいいぞ」
「……?」
カイはすっと私の横を通り過ぎていこうとする。監視に来たのではなかったのだろうか。そのまますれ違いざまに、ふっと身をかがめると私の耳元で囁いた。
「俺は、人魚が大嫌いだ」
「――?!」
耳に明確な殺意を感じた。ぞわり、と思わず全身の毛が逆立つ。剥き出しの腕には鳥肌が立っていた。ぎゅっと自らを抱きしめて振り返った時には、彼の姿はもうどこにもなかった。
(もしかして……バレてる?!)
脈打つ鼓動が早い。どくどくと鎖骨を抜けて、喉元まで飛び出してきそうなくらいだ。逸る胸を押さえて、私も部屋を後にした。慣れないヒールの靴に何度も転びそうになりながら、足を引きずるようにして自室へと戻る。
(なんで……? もしそうだとしたら、どうして私が人魚だとバレたの?)
思い当たる節はないようでたくさんある。カイは初めから私を疑っていたのだ。私のどの行動が……疑われてしまったのだろうか。でも、こんな早くに? あのイベントは何なの? 次々と疑念がわいてきて、頭の中がぐちゃぐちゃに混乱してくる。
息が、苦しい。彼に疑われたままでは、いずれ殺されてしまう。だからと言って、セアンに頼ることもできない。
化粧台の前に座り、ぼうっと自分の姿を眺めた。
子供向けの人魚姫の話は、ハッピーエンドだった。原作の童話と同じように、人魚姫は歩けもしないし、話せもしない。それなのに王子の心をつかんだのは、その美貌ゆえになのだろうか。
美しさなら目の前にある。大きなバイオレットの双眸は艶やかな宝石のように濡れ、長いまつげで鮮やかに縁どられている。とりわけ私には、足も声もある。それなのに、王子の心をつかむのは容易ではない。それは、人魚姫が「私」だからだろうか。それとも、このゲームだから……?
いっそ、投げ出してしまいたかった。王子の心を射止めるのはやっぱり無理なのだと、前世の「私」も思うのなら、もうあきらめてさせてはもらえないのだろうか。
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