◇イベント 晩餐 その2
***
それから一時間もたたないうちにメイドが入ってきて、夜用のドレスに着替えさせてもらった。明け方の海のようなブルーグレーに、腕と肩の出た襟ぐりの深いデザインだ。腰回りはゆったりとしたシルクでふんわりと覆われ、髪をアップに結ってもらうと、なんだか深窓の令嬢のように見えてきた。
謁見は緊張していたせいもあるが、あっというまに終わってしまった。陛下は威厳のある方だった。白髪の目立つブロンドに鋭い目で、セアンとカイどちらにもよく似ておられた。自分は公務に向かうと仰せになったので、簡単な挨拶をするとすぐに退席させられた。
そのまま正餐室で、王子たちと食事を共にすることになる。
細長いテーブルの端同士で、二人の王子と向かい合って食事をする。この世界のテーブルマナーのことはよくわからないが、外側からカトラリーを使うことはなんとなく知っていたので、音を立てないように注力しながら、スープや魚料理を口に運んだ。王室御用達の料理なのだから、頬が落ちるほどの絶品かと思ったが、意外とあっさりとした淡泊な味だった。海が近いせいか魚介類が多い。二人の方は、と視線をやると公務の話をしながら淡々と食事をしている。
「ローネ。食事は口に合うかい?」
セアンが微笑んで私に向って話しかけてくれた。彼がふわりと微笑むだけで辺り一面に花が咲いたようになるのは、前世の片想いフィルターがかかっている「私」の錯覚だけではないはずだ。今こうして彼と話しているだけでも、緊張でまるで味がしなくなってくるのだが、ここは「とてもおいしいです」と取り繕っておく。
「少しずつ、覚えていることだけでもいい。君のことを教えてくれないか。」
「えっと……」
私は何を言うべきか迷った。人魚であるということは間違っても言わない方がいい。何を頭のおかしいことを言っているのか、とドン引きされるのがオチだ。さらに、この国での人魚への考え方が明瞭に思い出せていないのなら、なおさらのこと。私が言いよどんでいるのを目の当たりにして、それ見たことかとでも言わんばかりに、勝ち誇った様子のカイが言い放つ。
「スパイがそんな簡単に口を割るわけないだろ。」
うう……これではますます疑われてしまう。
「カイ! ……すまない。君のことを教えてもらう前に、私たちのことを話すべきだったね。私はこの国――ロステレド国の第一王子だ。あの日浜辺に居たのは……人を探していたからだ。」
――来た。あのイベントだ。
思わず固唾を飲んで彼の端正な顔をまじまじと見つめてしまった。
「三か月ほど前のことだったろうか……。私は海軍の訓練に参加中だったのだが、急にひどい嵐が来たんだ。情けないことに、私は船酔いのせいで、甲板に出た時に足を滑らせて海に落ちてしまった。そして、気づいたら君と出会ったあの浜辺の近くに打ち上げられていたんだ。朦朧とした意識の中、女性が私を介抱してくれたのはわかった。容貌ははっきりとした記憶にはないが……とても美しかったのは覚えている」
それ、私です。そう言っても決して信じてはもらえないし、今は「その時」ではないから言うべきではないという気がする。
「あの日から、彼女のことが胸に焼き付いて離れないんだ。……私は一国の王子だ。こんなことに心をとらわれていい立場にはいないのだが……おかしければ笑ってくれ。」
「いいえ。そんな風には思いません」
私は必死に否定した。彼の心に、それほどまでに自分――とはわかっていないだろうけれども――が残っていたのは、純粋に嬉しい。
「セアン殿下は、こんな私にも親切にしてくださる寛大なお方ですから……その女性もきっと殿下のことを探しておられるはずです。」
「ありがとう。ローネは優しいんだな」
そんな風に言われて微笑まれると……なんと言えばいいのかわからなくなる。
私は恥ずかしくなって手元のティーカップを持ち上げて口を付けた。少し冷めた紅茶を流し込む。かぐわしい薔薇の香りがした。
「それより、君の記憶を取り戻す手助けをしなくてはね。今日の食事の中で何か好みのものや、あまり好まなかったものなど……なんでもいいんだ。何かあるかい?」
セアンが優しく尋ねてくれる。今、彼とこうして会話できているだけで、私の胸はいっぱいだった。これ以上、何を望むというのだろう。
「全部美味しかったです。好き嫌いもまだよくわからなくて……。すみません……」
私はか細い声でうつむいた。彼の手を煩わせてしまうことが、申し訳なかった。
セアンは構わないよ、と手を振ると、ふいに傍らの従者から書類を受け取り、二、三枚軽くページをめくりだした。
「ちょうど、あの日の前後に渡航した船について調べさせたのだが、ここひと月くらいは難破や遭難者などは出ていないようでね。わが国は、南以外すべて海と面しているから、もう一度洗い直した方がいいのだろうが……。行方不明者リストなどからも探させてみよう。」
つう、と背中を冷や汗が流れていく。私は必死に笑顔を浮かべた。たぶん、引きつっている。
「ご親切に、ありがとうございます。ですが、ひと月以内には出ていくようにしますので、そんなにご心配はなさらず……」
どうせ一か月後には泡になって消滅するのだ。
「いや、遠慮する必要はない。一国の民を保護するのは、王に連なる者たる役目だ。」
カイはここまで黙って聞いていたが、急に不満げな口を開いた。
「兄上は、お人よしが過ぎます。国内のリストにいないのなら、国外から来たと考えるのが自然でしょう」
つまりスパイである、とでも言いたいのだろうか。彼はセアンのやり方が気に入らないのか、険しい眉を寄せている。セアンも空色の瞳を細めると、すっと口の端に浮かべていた笑みを消した。
「……カイはどうしてそんなに彼女に冷徹なんだ?」
「兄上こそ、もう少し危険意識を持つべきです。俺たちは、いつ寝首をかかれてもおかしくないんですから」
二人の間に緊張した空気が走る。いけない。こんなことで兄弟げんかになってしまっては。ここは「私のために争わないで―」と言うべきなのだろうか。
ふと、二人の背後にかけてある絵画が目に留まった。海と城の絵……ちょうどいい。話題をそらせよう。
「あの! あの絵……綺麗ですね。」
私が大きな声を出すと、二人は不思議そうに背後を振り返った。見るからにこの城によく似ている。
「ああ……そうだな。」
だが、それがどうしたと言わんばかりに、カイは音を立てて立ち上がった。体格の良い彼が態度に表すと、それだけで迫力がある。彼は私には一瞥もくれずに、そのまま部屋を出て行ってしまった。護衛の兵士が慌ててその後に続いた。
「あの……私、また何かしてしまったのでしょうか?」
おそるおそるセアンに問いかけると、彼は困ったように空色の瞳を曇らせた。
「すまない。私は兄なのに諫めきれなかった。彼に思うところはいろいろあるようだけれど、なかなかすべてを私には話してもらえないんだ」
半分は血がつながっているんだけどね、と金髪の王子は寂しそうに笑う。その顔を見るだけで切なくなり、胸がぎゅうっと締め付けられるように痛んだ。
このイベントは、確かセアンが主人公を探している、という話を聞くだけで終わったはずだ。とりあえず、肩の力が抜ける。そうだ、別にカイがどうなろうと知ったことではない。
「もう少しゆっくりしていたいところだったが、私もまだ公務があるので失礼するよ。おやすみ、ローネ」
「おやすみなさい、セアン殿下」
立ち上がったセアンに合わせて、あわてて席を立って一礼する。名残惜しいが、仕方ない。私もナプキンを置くと、そそくさと部屋を後にした。
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