攻略対象?① 海の魔法使い その2
「姫さん、あんたは本当は心の中で人間になりたいと思ってる。そうなんだろ?」
にこりとほほ笑む黒髪の美少年の姿で確信する。間違いなく、普通の人魚姫の話ではなさそうだ。
「だから、さっきから結構だって言ってるでしょ。この気持ちは……苦しい、かもしれないけれど。でも、自分の命を捨てに行く勇気はあいにく無くってよ。」
「そんな風には見えなかったけどなあ。」
少年は水に浮かんだ王子の顔を楽しそうに杖でつついた。やめろ。
「いい? 私はこれから起きることには予想がつくのよ。あなたが考えていそうなこともね。」
はったりかもしれないが、ぎゅっともう一度目を閉じて思い出す。
タイトルは、確か…『マーメイド・バブル』。私はこの王子に一目ぼれして買った気がする。王子が…髪や目の色こそ違えど、好きな人にそっくりだったからだ。それは、声優の声が似ていたからか、それとも王子の髪型、性格、雰囲気……? いや、今はそんなことはどうでもいい。話しながら、頭の中を整理していこう。
「あなたは、私の声と引き換えに私を人間にする。その代わり、足は激痛で歩けないし、王子と結ばれなければ泡になって消えてしまうという条件付きでね。違う?」
原作の人魚姫も思い出しつつ、予想してみる。
「おおー! すごいねえ。大体合ってるかな?」
黒髪の少年は笑みを崩さずに、パチパチと手を叩いた。実際は水の抵抗を受けて、ごぼごぼと水泡が立っただけだが。
「そうだよ。俺は、あんたの夢を叶えてあげたい。17歳の誕生日の日、海に落ちた王子を泳いで助けて、砂浜に運んだ。そして、岩場の陰から見守っていたよね。誰か助けに来てくれるように」
「……」
そうだったのか。以前のことがまるで夢も見ていたように、おぼろげにしか思い出せない。不便な頭だ。
「でも、あんたの言った条件は少し違うよ。どちらかといえば、もっと自由が利くんだ」
「……は?」
思いがけない言葉に、油断して間抜けな声が出た。どういうこと?
「あんたは別に声を差し出す必要はないよ。その代わり、300年ある寿命を100年に縮める方法を選ぶこともできる」
そういえば、ゲームでもそんなことを言っていた気がする。何しろ前世の、画面の向こうのことで、しかも序盤の出来事だったので、あまり詳しくは覚えていないのだ。
「あなたはそれでいいの?」
「まあ、どっちがいいかはあんた次第ってことだね。それに」
少年魔法使い――ユリウスが杖を振ると、水に映し出されていた王子の姿が消えた。
「あんたは誰に恋してもいい。例えば他の王子でも、隣国の王子でも、望むなら庶民でも。もちろん俺でもいいよ。」
「……遠慮しておくわ」
こいつを攻略した記憶がないので何とも言えないが、一筋縄でいかないのは確かだろう。それに彼を攻略したところで、かけた魔法を解いてくれる保証はどこにもない。
「まあそう言うなって。別に、この王子じゃなくても良いってことだよ。その代わり」
魔法使いが口を切る。その薄い唇の端に浮かんでいた笑みが消えた。
「――ひと月以内だ。次の満月の夜までに男の心を奪い、愛の告白をされなければ、あんたは海の泡になって消える」
「――っ?!」
やっぱり。わかってはいたが、いざ耳にすると言葉を失った。いやだ。そんなに早く死にたくはない。だんだんと鼓動が早くなる。
「やっぱりやめておくわ」
寿命が100年になるのは元人間の私からすれば痛くも痒くもないし、むしろ丁度良くなるので好都合だが(そんなに長生きしたくないし)、泡になって消えるのは想像もつかない。とにかくごめんだ。
「やだね。あんたの深層心理にある願いを叶えないと、俺の気が済まないんだよ」
「意味わかんないわよ」
人魚として生きなければならないことは少々不便だが、まあ今まで何とかやってきたのだからどうとでもなるだろう。だが、自分の命を繋ぐという身勝手な理由のために人間を誘惑しに行くのは、何というか悪女のようで性に合わない。
「やめたくなったらいつでも帰ってきていいんだよ? 俺なら、あんたをいつでも人魚に戻してあげられる。その代わり、一生ここに監禁させてもらうけどね」
「……そんなのまっぴらよ」
途中リタイアは、魔法使いの人体実験モルモットになる、というペナルティー付きか。ますますごめんだ。
「とにかく、私は人間になる気なんてないから。その、王子様のことは……仕方ないけど、あきらめるわ」
「――あきらめる?」
ユリウスが突然、低い声で訊き返した。丸く大きな瞳に吸い込まれそうで、一瞬びくりと身がすくむ。彼の目的が分からない。どうしてこんなにこだわるのだろう。やはり、物語を進めようとする「強制力」なのだろうか。それとも、他に何か理由があるのだろうか?
「あんたは心の奥底ではあきらめきれていないよ。俺にはわかる。これから一生、ふとした瞬間に王子のことを思い出して胸が締め付けられ続ける。そんな風に生きていくくらいなら、いっそ力づくで勝ち取ってみろよ。王子の心を」
それを聞いて、何かが研ぎ澄まされたかのように、私ははっとした。とたんにある光景が浮かぶ。
これは、たぶん「前世の私」の記憶だ。
黒い制服に身を包んだ少年。あの王子のような端正な顔立ちと、優し気な眼差し。ふとしたきっかけで話すようになった、ただの同級生。そして、ずっと、ずっと好きだった人。ある時、かける言葉も、態度も間違えてしまい、それ以来言葉を交わすこともなくなった。最後は想いを告げることもないまま、はなればなれになった。彼はどうしただろう。あの時こんなことを言わなければ。もっと私が優しくて美しかったら。自分が選択肢を間違えていなければ、今頃はそばに居られただろうか、と何度も何度も「過去の私」がとらわれている人。
「これはチャンスなんだよ、あんたが自分で選べる。それを無下にして一生後悔したいなら、すればいいよ」
魔法使いはわざとらしいため息をつくと、最後は投げやりになった。ユリウスの意図が私への親切のつもりなのか、ただの野次馬としてけしかけているのか、それとも他の思惑があるのかはわからない。が、気づけば、私は彼に向って手を伸ばしていた。心のどこかでこれは罠だ、失敗すれば死んでしまうと叫んでいる。人間になりたいと願うのは、「過去の私」なのだろうか。それとも、「人魚である私」なのだろうか。
「やってやるわよ」
まずい、と思った時にはすでに遅かった。自然と言ってはいけない、と思っていたはずの言葉が口から出てくる。
「人間になればいいんでしょ」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに、ユリウスは満面の笑みを浮かべた。
「わかった。対価は、200年の寿命だね?」
気付けば、私はうなずいていた。魔法使いは、それを確認するや否や、なにやら呪文を唱え始めた。私を取り巻く水が太陽の光を受けた水面のようにキラキラと輝き始める。そしてその光は下半身の青い鱗に移り、まばゆいばかりの光で包み始めた。
「ヒレが足に代わる前に、これを着ておいて」
ふわりと頭から黒いワンピースをかぶせられる。飾り気のない、質素なものだ。
「しばらくは魔法の副作用で足と喉が不自由になるけど、まあしばらくすればよくなるよ。とりあえず、頑張ってね。困ったら俺の名前を呼んで。いつでも飛んでいくからね」
こんな得体のしれない魔法使いにすがるくらいなら、と言いかけたところで口が止まる。だんだん口の呼吸が苦しくなってくる。同時に頭がぼうっとしてきて、眠りに落ちる寸前のように、意識が遠のく感覚がした。
ふわり、と身体が水力以外の何か得体のしれない力で浮いたかと思うと、全身が熱くなり溶けていくような気がした。そして、目の前が真っ白になる。
私の記憶は、そこで途切れた。
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