マーメイド・バブル ~人魚姫モチーフの乙女ゲーに転生(※攻略しないと死亡します)~
桜井苑香
攻略対象?① 海の魔法使い その1
ここは、何かに似ている。
そう思いながら海の中を泳いでいたが、やっとわかった。
ここは、海の底。目前には、真っ黒なフジツボとイソギンチャクで彩られた、難破船の端切れで作られた小屋。何かおどろおどろしい文字が書かれた板切れが看板のように掛けられているが、読めない。中には、タコ足のご婦人がいるのだろうか……。なぜかそう思い、はたと私は自身を見下ろした。上半身は貝殻の胸当て。下半身は足ではなく魚のヒレ。鱗をなでるとぬめっとしている……信じられないけど、これが現実だ。
つまり、にわかには信じがたい話ではあるが、私は人魚なのだ。しかも、と水に浮かぶ長髪を手に取ってみる。赤みがかった金髪……ストロベリーブロンドとでも言うのだろうか、かなり珍しい色だ。頭頂部に挿し込んであるのは、どうやらサンゴ礁で作られたティアラ。私は、おそらく人魚の姫だ。
「人魚姫」というと、人間になる代わりに声を奪われ、王子と結ばれなければ泡になって消えてしまうというあの「人魚姫」、か。
この話をなぜ人魚の私が知っているのか。それはおそらく、私の前世が人間だったからだ。名前はわからない。たぶん17歳の自分よりは少し年上の女性。ただ、鮮明に詳細を覚えているわけでもなく、断片的に読んだ本の内容のように、彼女の記憶が知識として思い浮かんでくるだけだ。
そして、私がなぜ今それに気づいたのかというと、小屋から出てきた人物(?)が原因だ。
「これはこれは、王女殿下。ごきげんよう。人間になりたいんだよね?」
そう言ってにっこりとほほ笑むのは、まだ16くらいの少年だ。重たげな黒いローブが水に逆らって広がり、浅く被ったフードからのぞく顔には、子供のあどけなさが残る。項まで覆うくらいの長めの黒髪に、いたずらっぽく輝く黒い瞳の……少年? 魔女じゃなかったっけ。
いや、まあいいわ。私はぶんぶんと首を振った。
「違うわ」
「まあまあ、そう言わずに。あんたのことならなんでもわかってるんだ。早く中においでよ」
「仮にあったとしても、今ここで取り消すわ。」
王子なんて興味ないし、泡になんてなりたくないのよ!!!!
しかし彼はそんなことはいざ知らず、おもむろに杖を振って私の背後の水の勢いをつけると、小屋の中へと引き込んだ。強引すぎる。きっとにらみつけると、「かわいい顔が台無しだよ?」とけらけらと笑った。
警戒心を緩めずに辺りを見回せば、壺やガラスのビーカーのような器、薬草の類や色とりどりの液体がきちんと整頓されてぷかぷかと漂っている。中央には、水晶玉のような大きな球体の水泡が浮かんでいた。家具らしきものはない。そりゃそうか。海の中ではそんなものは必要ない。
「あんたのこと、俺が当ててあげるよ、ローネ姫。人魚の国グレーネの、第六王女殿下。17歳の誕生日に難破船の王子を助けて、そいつに恋をしたから人間になりたくなった。」
「……あなたは?」
詳しく伺う義理もないが、とりあえず訊くだけ訊いておこう。
「俺は、ユリウス。海の魔法使い。」
「……魔女はどこに行ったの?」
「魔女? ああ、ババアのことか。とっくの昔にくたばったから、仕方なく後を継いだ俺が人魚たちのお願いをかなえてやっているのさ」
まじまじと、彼の足元を見る。人間…なのだろうか? 人魚らしいヒレも、タコのような触手もない。まあ、魔法使いは魔法でどうにでもなるということかな。うんうん、と自分を納得させておく。
「……あんだよ、人の足をじろじろ見て。あっ、やっぱりうらやましいんだな?」
話が、勝手に思わぬ方向へと進みそうになる。
「だから、違うのよ。前は……その、そうだったかもしれないけど、気が変わったの。魔女にも魔法使いにも関わるつもりはないわ。私は平穏無事に生きたいのよ。」
「ふーん。じゃあ、これを見てもそんなこと言える?」
やめろという前に、部屋の中央の水晶のような水泡がまっすぐ目の前にずいと進んできた。目を瞑る間もなく、一人の人間の姿が映し出される。宮殿のような豪奢な建物の前で、誰かと話している青年。すらりとした体躯は白を基調にした礼服に包まれ、金色のボタンと肩章が眩しいばかりで、一目見ただけで、高貴な身分だとわかった。燦然と輝く金髪に、澄み渡った空のように涼しげな水色の瞳。優しげで切なげで、端正な面立ちをしている。
その瞬間、胸がドクンと高鳴ったのがわかった。彼の顔を見るだけで、ぎゅうっと締め付けられるように苦しくなる。この目で、直接彼の顔を見たいという思いに駆られる。それこそ、たとえ泡になって消えることになっても構わない、とまで思うほどに。
「……なに、これ」
「どう? 気が変わった?」
ドクドクと早鐘を打つ鼓動を落ち着けようと、すうっと深呼吸する。水中なのにこうして息ができて声も出せるのは、人魚の身体のおかげなのだろう。
「……変わらない、わよ。興味ない」
「その割に顔が真っ赤だよ、姫さん。大丈夫?」
かつての恋人と偶然再会したような。懐かしいようで、どこか泣きたいような。身体中の血が、勝手に会いたいと叫んで暴れまわっているかのように、名状しがたい感情が心の奥底からどんどん湧き上がってくる。
もしかして…これが、物語を本来の通りに進めようとする「強制力」とかいうやつ…なの?
だとしたら、とても残酷だ。死ぬのがわかっていて、高所から飛び込みに行くようなものだ。
「私、知っているわ。この人を、知ってる。……でも、この人に会いに行くことはできない。叶わないものだし、死にに行くようなものだから」
「ふーん。それでいいんだ。…後悔、しない?」
童顔の少年が畳みかけるように笑って杖を振る。すると、先ほどの王子と思わしき人物が私の目前に浮かび上があり、彼の杖に合わせるかのようにゆらゆらと揺れた。
「王子が別の女性と付き合ってもいいの? それで本当にあんたは幸せ? 1パーセントでも望みがあるなら、それに賭けてみたいという気持ちはないの?」
それはまるで誘惑する悪魔のささやきのように、私の耳に甘くまとわりつく。
もしかしてこのイベント…回避不可なの?
ん……“イベント”?
“イベント”?
私は目をつむった。その瞬間、パッとフラッシュバックする場面がある。
液晶の中に広がる、こことよく似た怪しげな背景。イヤホンの先から流れる、甘い少年ボイス。並んだ選択肢を一つずつ選んでも消えていき、最終的に一つしか残らない。液晶……ゲーム?
もしかして、これって……。
「乙女ゲーム……?」
そう、何かおかしいと思っていた。魔女ではなく、少年魔法使い。しかもやけに美少年。おまけにイケメンの王子さま。偶然とは思えない。
もしかしなくても、ここって……乙女ゲームの世界?
ああ、そうか。私は、前世で乙女ゲームをやっていたのか……。
イケメンを攻略してあれやこれやのキャッキャウフフを楽しんでいたのか……。
少し、落ち込む。
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