攻略対象③ 人間の王子Ⅱ

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 目を覚ますと、上品な花柄模様の天井が目に入った。どうやら王子の言葉通り、私は王宮の一室に運び込まれたらしい。自身を見下ろすと、あの質素なワンピースではなく、ゆったりとした淡いモスリンのドレスに着替えさせられていた。どれくらい時間がたったのかはわからないが、足の痛みも心持ち引いていた。ふかふかのベッドから起き上がり、そろりと足の裏を付けてみる。まだ痛みはあるが、歩けないほどではない。できるだけ体重をかけないようつま先立ちで二、三歩歩いてみる。身体自体が人魚だったのでまだ慣れないが、気持ちとしてはすぐにでも走れそうなくらいだった。続いて、発声練習。


「ぁ……ぁー。あー。」


 まだ蚊の鳴くような枯れた声で本来の声とは程遠いが、それでも耳を澄ませてもらえば聞き取れるくらいの声は出せそうだ。ほっと胸をなでおろした。


 その時、見計らったかのようにこんこんとノックの音が聞こえた。どうぞ、と小さい声で答えると、黒のシンプルなワンピースドレスに、白いエプロンを付けたふくよかな中年女性が顔を出した。


「お嬢様、お目覚めですか?」


 こくんと頷くと、人のよさそうな女性は微笑んで手を合わせた。


「まあ、お元気そうでよかったわ。あれから丸一日も眠っていらしたのよ。殿下にも知らせてまいりますね。」


 そしてうきうきと出ていく。

 よかった。思っていたよりも早く、セアン王子とは接点を持てそうだ。

 ほっと安堵して部屋のソファーに腰掛ける。まだ外を出歩くような元気はないが、そのうち許可をもらって王宮を見て回ろうか。


 ほどなくして、再び足音が近づいてきた。さきほどのメイドだと思い、一応髪を手櫛で整えて、ドレスの皺を伸ばしておく。


 と、ノックもなしにドアを開けてきて飛び込んできたのは、赤毛のカイ王子だった。思わず言葉を失う。


「――おい、女。どういうつもりだ?」


 そのままソファーの背もたれに両手をつかれて退路を塞がれた。ああ、これが壁ドンならぬソファードンかあ、などと危機的状況にも関わらず現実味がないせいで、のんきなことを考えてしまう。……私はまだ寝ぼけているのだろうか。


「どこの刺客だ? 言え」


 琥珀の鋭利な瞳が間近に迫る。意志の強さを感じさせる精悍な顔立ちが、すぐ近くにあった。低い声で脅されると、さすがに心臓に悪い。そして、この場面は思い当たるスチルがある。これは、共通ルートで見られる、カイ個人の初スチルだ。


「あの、落ち着いてください」


 あわてて蚊の鳴くような声で諫める。


「ふん、やっぱり喋れるじゃねえか。大方、歩けもするんだろ。」

「あの時は、気が動転しておりまして……無礼を働き申し訳ありませんでした、殿下」


 とりあえずこんな感じで話せばいいのだろうか。王族相手に話したことは無いので、緊張で小刻みに膝が笑っている。


「お前の目的は何だ? 俺は今この場でお前を殺すことだってできるんだが」

「私は……」


 あの時、主人公はどのようにごまかしていただろうか。考えろ、考えるのだ。


「……気付いたらあの場所におりました。」


 我ながら意味不明な言い訳だ。


「そんな言い訳が通用すると思うか?」


 初めから疑われているのはわかっている。が、後からぼろが出てきそうで、それ以上に上手い言い訳が今は思いつかない。


「その辺にしておくんだ、カイ」


 開いた扉の向こうから、慌てた様子の金髪王子――セアンが顔を出した。優し気な空色の目が困ったように私を見つめている。彼の顔を見付けると、ほっと安堵すると共に、なんだか泣きたいような緊張でどうにかなりそうだった。カイは兄の姿を認めると、「運が良かったな」と舌打ちして私から離れた。


「すまない。怪我はないか? 弟がまた失礼した。見ての通り気性が荒くて……根は悪い奴じゃないんだが。どうか、許してもらえないだろうか? もちろん簡単に許されるとは思っていないが……私の方からもこの通り謝罪しよう」


 そう言って申し訳なさそうに頭を下げようとする。王族に頭を下げさせてしまった……。


「で、殿下……お顔を上げてください! 私は大丈夫ですから」


 それよりも、先にお礼を言わねばならない。


「ここまでご親切にしていただきありがとうございます。」

「構わない。それより、君は靴を履いていなかったけれど、どうして? ご家族は?」


 うっ、と言葉に詰まる。いったいどのように答えたものだろうかと考えあぐねた。ここで主人公は流れるように雑な嘘をついていたはずだ。先ほどよりはましな言い訳をしておこう。


「自分が何者か、あまりよく思い出せないのです……。ローネという名前以外は、何も……。靴は漂流していた時に脱げたのでしょうか……? 身を投げたとも、船から落ちたとも、わからないのです」


 うーん、こんな感じだっただろうか。雑すぎるなあ。


「そうだったのか……。何か訳ありなら、これも何かの縁だ。君は客人として気のすむまでここに滞在してもらっていい」


 王子の口からは、願ってもやまないお言葉が飛び出した。どうやらこの世界の王宮は、いろいろとザルらしい。


「――兄上! いくらなんでも警戒心がなさすぎです」


 私も、そう思う。なぜかとんとん拍子に事が進んでいくのだが、いくら何でも都合がよすぎる。まあゲームの都合ということで、序盤は……こんな感じだったと思う。


「私には彼女から敵意のようなものは感じられない。」

「兄上。それなら、一つお願いがあります」


 カイは私を睨みつけたままだ。これでもう少し見てくれが悪かったら、先ほどの場面ですでに切られていたのだろうか。


「この女が少しでも怪しい動きをしたら、その場で殺す許可をいただきたい」


 うっ……。やっぱりそうなるわよね。


 カイからはいつまで疑われていただろうか。彼からある程度の信頼を勝ち得なければ、セアンを攻略するのもままならなくなりそうだ。しかしあまりカイに注力しすぎると、二兎を追う者は一兎をも得ず、となる。ゲームでは……どうしていた?そう、あえてカイを近づけて身の潔白を証明して……警戒心を解いていた、ような、気もする。


「それなら、私はどうなろうとかまいません。」


 慎重に、言葉を紡ぐ。自分の命がかかっている。


「それほどまでに私が疑わしいのでしたら、カイ殿下に私の監視をしていただいても結構です」


 言った後で、疑問符が浮かんできた。……あれ? セアンのルートでは、こんなこと言ってたっけ?


 額を脂汗がにじみ出てくる。自分は今、とてもまずいことを言った気がする。


 カイに監視される……というのは、たしかカイのルートに入るときの流れだった。それも、カイからの方からの提案だったような気がしてきた。自ら口を滑らせるという失態である。


 しかし自分から言い出したことをすぐに撤回するわけにもいかない。肩が小刻みに震えだすのが分かった。カイのルートは致死率が高いので、あまり選びたくない。今の発言がどう影響するのか……考えたくもない。


「痛くない腹だから、探られても構わないってところか。面白い。いいだろう」


 カイは鼻で笑っている。この人は、乗り気だ。

 それに対して、セアンは困ったように表情が曇った。


「……そうか。だが、殺すというのには賛成できないな。カイは疑い深すぎる。万が一そんな状況になった場合は、証拠とともに報告してくれ。」


 慎重で正しい判断。彼は良い王様になるだろう。


 そして二人は公務があるから、と出ていく。カイに至っては、部屋を出る場合は自分を呼ぶようにというお達し付きだ。(もちろん従わなければ切り殺されるのだろう)


 これで、一気にカイのルートに傾いてしまった。ここから、軌道修正は……可能なんだろうか? ……あれ? ちょっと待ってほしい。これから先、いったいどういう展開になるんだ?


 これがゲームというならセーブ&ロード機能が欲しい。そこまでの贅沢は言わなくても、せめて好感度が上がった時に「ピロリン♪」とかいう効果音が鳴るとか、現在の好感度ステータスが確認できるとか、そういった機能はないのだろうか。これではちょっと顔面偏差値が上がっただけで、おぼろげな記憶だけを頼りに攻略しろなどと……無理がすぎる。美形に囲まれるのは二次元だけでいい。命の危険と隣り合わせになるくらいなら、今すぐ前世に戻してほしい。


 攻略一日目。すでに、前途多難だ。

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