第4話

「本当に? でもさっきまですごく嫌そうに見えたから……」


――分かってるじゃん。その通りだよ。


イライラする。彼女じゃなく、自分に。


落ち着かなくて、足を速めて数歩前に出た。


いつも濁って茶色い川が、今は夕日のオレンジ色でまだらに染まっている。


――子供の頃はキレイな川だったのに、いつからこんなに汚くなったんだろう。


ぼんやりそんなことを考えながら、彼女の疑問に答える。


「別に。就活が気になってただけ」


「ふーん。ならいいんだけど……。今日はいつもとちょっと違ってたけど、宏一さん、いつも笠井くんのこと心配してたよ。東京で一人暮らししてて単位は大丈夫なのかな、とか、ファストフードばかりじゃないかとか、就職大丈夫かなとか。Uターンは考えていないの?」


「どうかな」


 本当は、Uターンもちらっと考えた。一人暮らしは思っていたより金がかかるし、就職後は家族からの援助はない。でも涼子が兄さんと結婚して同居を始めたら、俺は毎日みじめな思いを抱えることになる。


「試しに宏一さんの会社も検討してみたら? わたしは寿退社するから同僚にはなれないけど」


「やだよ。なんで兄さんと同じ会社に――」


変な提案ばかりする涼子にも腹が立ってきて、勢いよく振り向いた。ふいをつかれた彼女が、ドンと俺の胸元に追突する。


「あ――」


支えるつもりが、思わず彼女を抱き寄せていた。コロンだろうか。きつすぎない柚子を思わせる甘酸っぱい香りが、鼻孔をくすぐる。


「あー、今さら酒が回ってきたかも」


酔ったふりをして、彼女の肩に顔をうずめる。彼女が身体をこわばらせた。


「笠井くん、ちゃんと立って。こういうの困る」


口調も固い。


あーあ。


「悪い。急な方向転換で目が回っちゃってさ。……駅も見えてきたし、じゃあ、この辺でいいかな。次に会うのは結婚式?」


「そうなるのかな。その時はよろしくね」


俺の言い訳に納得していない様子で、涼子の笑顔がこわばっている。軽く手を振って、あっさり背を向けた。


――やっぱり、俺はまったく可能性なしか。兄さんのどこがいいのかさっぱり分からないけど。


酔いを醒ますふりをして、ガードレールに腰かけた。駅へ向かう彼女の後姿を、横目で見送る。


ほぼ初恋の相手を、やっぱり義姉さんなんて呼べない。それに気まずくて、今後はなかなか帰省できそうもないし。


茜色と青が混ざる空を見上げて、大きく息を吐く。だけど胸に居座るやるせない思いは、消えてくれない。


――いつか俺も、本当に好きな相手ができるかな。涼子のことなんて、気にならなくなるくらいに。


そしたら涼子のこと、義姉さんって呼んでやってもいいかも。



たぶん。


いつか。


きっと。



――うーん……。無理かもしれないな。







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たぶん、いつか 八柳 梨子 @yanagin

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