第265話 災厄を迎え撃てーwailing
テレサは己の身体を瞠る。
腹を食い破るように飛び出す鉄の塊。それは背中からテレサの身体を貫いていた。
認識した途端、遅れてやってくる激痛と悪寒。
「ぐふ!」
テレサの口から夥しい血が溢れる。黒い、血だった。
それでも膝をつかないのがテレサの戦士たる所以なのだろうか。
契約武器の仕込み傘を杖代わりにして、その場で堪えるテレサ。
霞む景色で背後を望むがそこには何もない。
テレサはジル以外の敵に撃たれたと思ったがそうではなかったらしい。
何故?
激痛と混乱が
あの場所……
薄らと見覚えがある場所だった。
だが何もない。
いや……あそこは……
テレサは気付く。
そこは戦闘の開始直後、ジルが放った鉄の魔法と自分自身が防御のために使った氷の魔法がぶつかり合った場所だ。
そして、そこには数分前までお互いの魔法の残骸があった場所。
炎や水といった現象の魔法は消滅する時間が速い。
一方で鉄や氷といった物体の魔法は消滅する時間が遅いのが特徴だ。
それでもこれほど時間が経てば消えているはず。何より、テレサは鉄の魔法が氷の防御によって破砕され消えていくのを確認していた。
それなのに何故? あの魔法はもう消えていたはず……まさか……そんな……
歴戦の猛者たるテレサの脳はとある答えに辿り着く。
悪寒とは違う畏怖が彼女の背中を舐めるように這った。
「創成魔法は貴様の専売特許ではない」
先ほどまで憤怒と憎悪に塗れていたジルがニタニタと嗤いながら呟く。
その言葉はテレサの心を削ぐように撫でた。
「まさか……」
ジルはゆっくりと立ち上がる。
その貌はこの上なく嬉しそうだった。
「貴様の身体を貫いたソレは吾輩の創成魔法、『
ジルは左手でテレサを穿つ鉄を指さす。
挑発するような物言いで。
「その魔法は、一度目は普通の魔法として起動する。が、攻撃が決まろうと、失敗しようと構わず消滅する瞬間に一旦小康状態をキープするのだ」
魔法学校の教師たるテレサに魔法の講演を行うとはこれほど皮肉なことはない。
ジルもテレサも理解している。理解しているからこそ、ジルは愉しそうに口を歪め、テレサは悔しくて顔を歪めせていた。
「この状態は『魔法』とは言えないし、『魔素』でもないという曖昧な状態である。その状態をキープしておき、吾輩の合図で周囲の魔素を吸収し再び魔法として発動するのだよ」
ジルは己の青い髭を指で拭う。血で汚れた髭が再び青く輝き出した。
「周囲の魔素とは即ち、貴公が防御に使用した魔法の残滓だ。どうだ? 己の魔法を、魔素を奪われた感想は?」
ジルは満面の笑みで両手を広げた。最早痛みは彼の中にない。あるのは純然たる愉悦だけだ。
「う……」
テレサは膝をついた。
今まで耐えてきた痛みに負けたからではない。
最初からこの男に弄ばれていたという屈辱が彼女の心を折ったのだ。
魔力を奪っていたテレサ自身が最初の段階で魔力を奪われていた。剰え、それが罠となって最高のタイミングでテレサを貫いた。
タイミング。
そうタイミングだ。
どのタイミングでも発動できたのに、ジルはテレサが一番油断したときを狙った。勝利を確信したほんの一瞬を。
昔の自分なら……
テレサの中に渦巻く悔恨が彼女の残った気力を削いでいく。
生徒たちを守るため、戦いの決着を急いだ。
否、言い訳である。
あの瞬間、完全にテレサは周囲に目を配ることを辞めてしまったのだ。
それが最悪の結果を齎した。
「『
ジルの言葉にテレサは無言だった。
それでもジルの愉悦は止まらない。
契約がない時代ならば、素晴らしい創成魔法を一つ生み出し発表すれば名声が手に入った。
それは素晴らしい魔法を作ったという功績からではない。
素晴らしい魔法のレシピを公に公開するその潔さからだ。
魔法の世界でおけるリガイアにおいて新しい魔法、創成魔法はいずれ解析魔法でその特性と効果が調べられてしまう。
だが、調べられていない内はその秘匿性こそが最大の武器となるのだ。
わからない。
これこそが創成魔法最大のメリットである。
自分がどんな攻撃を受けたのか、どんな魔法の効果なのか、分からなければ正しい対処はできない。
こと、戦闘においてはその秘匿性は生死を分ける要因となる。
今のテレサとジルのように。
ジルはゆっくりとテレサを見つめた。ドロリと腐ったような瞳で。
テレサは初めてジルから視線を逸らす。
その貌には屈辱と後悔が浮かんでいた。
「あぁ、溜まらない。その貌が好きなのだ。尊厳を踏みにじられ、敗北を突き付けられ、死を待つだけの悲壮感に満ちたその貌。あぁ、だから蹂躙はやめられない」
ジルの笑みは最早形容し難いほど醜かった。
テレサは最後の力を振り絞る。
まだ、負けていない。
勝てないのならば、せめて道連れに!
テレサは懇親の一撃をジルに向かって放つ。
立ち上がり、仕込み傘の剣を煌めかせてその刃先をジルに向けて撃った。
「悪あがきだよ、テレサ・パーヴォライネン。項垂れろ、『ペリュントン』」
ジルの持つ銀色の剣が突如、戦慄く。まるで音叉のように震えだし、その振動は周囲一帯を瞬く間に包んでいった。
「が!」
突然、テレサが血を吐く。それだけではない。眼、耳、鼻、さらには全身から大量の血が爆ぜるように飛び散った。
テレサは地面に臥す。
エンプーサの仕込み傘は虚しく地面を転がった。
地面には彼女の血が、命がどんどんと流れていく。
虫の息のテレサはジルを見上げた。
その背後に翼の生えた鹿がいる。体毛は鈍色で緑青の翼を持ち、気高い漆黒の角を携えた雄々しき鹿だった。
しかし、無表情に、無機質に、テレサを見つめているその貌は只管に虚無だ。
「この剣、『ペリュントン』は寝坊助でな。刀身に衝撃を溜めて漸く目覚めるのだよ。そして目覚めた時に魔力を籠めれば今のように周囲一帯に破壊の衝撃波を放つ。どうだ? その味は? 旨かったか?」
ジルはテレサの髪を掴み無理矢理起こした。
「う……」
そのまま彼女を仰向けに転がした。
「その向きのほうが視やすかろう。これからの惨劇を。いや、喜劇か」
ジルは銀色の剣、『ペリュントン』を消す。
そうして、悠々とエンプーサを拾った。
「や……やめろ……」
テレサの声を聞いて、ジルはまた嗤う。
「エンプーサ、奪わせてもらうぞ!」
高らかに宣言したジルはエンプーサの剣を天に翳した。
同時にテレサの背後にいた幻獣エンプーサが消える。
「エンプーサ……」
ジルがエンプーサの剣を振るった。
「あ……」
テレサに絶望の光景が広がる。
ジルの背後にエンプーサが現れたのだ。
その顔に生気はなく、今までの幻獣のように項垂れている。
ただそこにいるだけだ。
虚無のように。
「エンプーサ……」
テレサは無意識に腕を伸ばす。
その瞳からは涙と血が混じった液体が流れていた。
「ハハハハハ!」
ジルは嗤いながら、エンプーサの剣でテレサを斬る。
テレサはまた倒れた。自身の血の中に落ち、血の飛沫が辺り一面に飛び散る。
テレサの身体を痛みとは違う違和感が駆け巡った。
そして理解する。
今、魔力と血液を奪われたことを。
それはエンプーサが完全にテレサの手を離れ、ジルのものになってしまったことを意味していた。
奪われたのだ。
口から吐く血よりも、全身から流れて出る血よりもテレサは滂沱の涙を流した。
声にならない声で叫んだ。
それでも結果は覆らない。
テレサの心は完全に砕かれた。
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