第252話 災厄の襲来-suddenly

 それは突然だった。


 不意に左手に装着された『アムリタ』からけたたましい音が鳴り響いたのだ。


 俺は驚いて固まってしまう。

 そんな俺を他所に『アムリタ』の中の液体が急にブクブクと沸騰し始めた。

 熱さは感じない。

 液体はみるみる消えていく。蒸発していくかのように。


 そうして全ての液体が消えると腕を覆っていたガラスが一瞬で砕け散った。


「あ!」


 つい声が漏れるが、そのガラスの破片は地面に辿り着く前に溶けて消えてしまう。それは宛ら氷の如く。


 役目を終え、鉄の輪に戻った『アムリタ』はカチっと音を立てて外れた。

 こちらは地面に落ちて甲高い金属音を奏でる。


 俺は恐る恐る左腕を望んだ。

 千切れた痕はうっすら残っているがそれ以外は完全に元通りだ。

 

 昨日あたりから指は完全に曲がるようになっていた。

 熱い、冷たいといった感覚も概ねわかるようになっていた。


 そのため、そろそろ治療が終わると思っていたが……

 よもやこのような形で終わるとは微塵も想像していなかった。


 右腕で左腕を触る。

 その感触が俺の脳に伝わった。


 抓る。

 痛い。

 叩く。

 痛い。

 擽る。

 むず痒い。


 俺はその場で左の正拳突きを撃つ。


 風切音と共に放たれる一撃。

 

 二度、三度とそれを続ける。

 その都度、喜びが込み上げてきた。


「しゃあ!」


 無意識に快哉を上げる。


 左腕は完全に治癒していた。

 違和感もない。


 指は動く。感覚もある。


 掌を握る、開くを繰り返し、俺はその回復の具合を噛み締めた。


「よし!」


 よくぞ、蘇ってくれた。


 俺は自慢の左腕を擦る。

 万感の思いがあったのだ。


 現在は金曜日の午後だ。


 本当に一週間で千切れた左腕が戻るとは。

 しかも後遺症もない。リハビリの必要もない。

 多少筋肉が落ちてはいるだろうが、それは後々鍛錬で戻せばいい。


 火曜日辺りから暇すぎて寮の周りをランニングしていたし、並行して筋トレも行っていたので身体そのものはそこまで鈍っていないはずだ。


 ん?

 火曜日?


 何故か、火曜日の記憶だけ曖昧だ。

 なにかあったはずなのだが。


「痛……」


 火曜日のことを考えると急に左腕が痛み出した。

 うん、きっと思い出さないほうがいいんだろうな。


 俺は気持ちを切り替え、窓から外の景色を眺める。


 とりあえず治療は終わった。

 これなら来週から授業に出ても問題ないはずだ。


 もう一人で筋トレをするのも飽きていた。

 まぁ、放課後になったらロビン、ゴードンが見舞いがてらこの部屋に来てくれていたので寂しくはなかったが。


 だが、学校に行かず一人でずっと休みというのは、これはこれでしんどいものだ。


 やっとその鬱蒼とした日々が終わる。

 その嬉しさも込み上げてきていた。


 ニヤニヤとした笑みが止まらない。

 翌週が待ち遠しい。


 俺は窓辺から離れ、ベッドに座ろうとした。

 その時だった。


 ドーン。

 と、耳をつんざくような突如として爆音が響き渡る。


 衝撃で窓は割れ、壁は震えた。


「なんだ!?」


 俺は床に伏せ衝撃が収まるのを待つ。

 その後すぐに割れた窓を蹴り破り、外の状況を確認した。


 青い空を覆う黒煙と火薬の臭い。

 いまだ大気が震えていた。


 黒煙の根本。そこにあるのは……

 学園だ!


 俺の脳裏にまほろばの四文字が浮かぶ。


 獣化液をポケットに入れ、俺は寮を飛び出した。

 勿論、学園に行くためだ。


 俺は肺がちぎれんばかりに走る。

 焦燥が蛇のように鎌首をもたげて心を舐った。


「ちぃ……」


 それを掻き消そうにも不快と共に纏わりつく。

 なぶるように、侵すように、腐らせるように身体と心を蝕んだ。

 それでも俺は一心不乱に走る。


「あれは……」


 そんな心情の中、やっとの思いで学園に辿り着いた。

 見慣れた門前。

 なんと、そこには王都護衛部隊がいるではないか。


 しかし考えれば当たり前か。

 元々、まほろばの襲撃に合わせて常駐部隊として派遣されてきたのが、兄貴率いる王都護衛部隊五番小隊なのだから。

 だからこそ、現場に彼らがいるのは至極当然。


 それでもこの到着は速い。速すぎる。

 恐らく魔法の類によるものなのだろうけれど。

 流石だ。


 部隊の一番前にいるのはアマンダさんだった。


「アマンダさん!」


 俺は疲労を忘れ、アマンダさんの元へ走る。


「ん? アイガか!」


 アマンダさんの隣にはロベルトさんもいた。

 軽く会釈をして二人に近づく。

 他の隊員が俺を止めようとしたが、アマンダさんが「構わん」と命じてくれたおかげで俺はアマンダの隣に立つことができた。


「そうか、君は休養中だったな。怪我はもういいのか?」


 アマンダさんの視線が俺の左腕に向く。どうやら俺の休養の件を知っていたようだ。


「はい、もう大丈夫です。それより……何があったんですか? 突然爆発音がしたと思ったら、校舎から黒い煙が……」

「わからん。私たちも爆発音を聞いて駆け付けたんだ。最悪なことにこの先の研究棟でも爆破が起きているらしい。兄貴はそっちに行っているよ」


 アマンダさんの説明を受けて、俺は研究棟の方角を瞠目した。嘗てジュリアと勘違いから闘いに発展したあの場所だ。


 確かにあそこからも黒い煙が上がっている。

 気が付かなかった。

 校舎にばかりに気をとられてしまっていた所為だ。


 兄貴はそっちに向かっているのか。


「最悪なことはまだある」


 アマンダさんは校舎を指さす。


「最悪って?」


 焦燥が広がる。汗が止まらない。心臓の音が五月蠅いほどに響く。


「学園内に入れんのだ。特殊な結界魔法が発動している」

「そんな!」


 だから五番小隊がここで手をこまねいていたのか。

 焦燥は恐怖へと変わった。

 喉が……痛いほどに渇く。


「なんとか……ならないんですか!?」


 懇願するように発した言葉にアマンダさんは暗い表情のまま首を横に振った。


「今、この魔法を解除している最中だ。時間を掛ければ突破はできる。今は私たちを信じて待っていてくれ」


 そんな……


 俺は力なく、校舎の壁に触れた。

 瞬間、静電気のような電気の魔法が発動し、右手が弾かれる。

 これが結界魔法か。


 忌々しい魔法だ。


 ん?

 待てよ……

 

 結界……魔法……


 そうか! 魔法なら!


 俺はすぐに構える。

 挫けている暇なんてないのだ。


「丹田解放!」


 相手が魔法なら、俺の氣で破壊できるかもしれない。

 

「丹田覚醒!」


 背中に群青色の氣が宿った。


「アイガ!?」


 アマンダさんの声を他所に俺は拳を強く握る。


 そして乾坤一擲の正拳突きを放った。

 バチバチと電気がぶつかるような音と衝撃が轟く。

 

 だが、手応えはあった。


「は!」


 俺はその手応えを信じて何度も拳を叩きつけ続ける。

 やがて、結界魔法に罅が走りだした。


「アイガ! いけるぞ!」


 ロベルトさんの応援が背を押す。

 奥歯を噛み締め、魔法の壁に氣の拳を撃ち続けた。


 想いの力か、火事場のクソ力か、俺の拳はとうとう結界魔法を破砕する。


「しゃあ!」


 ガラスのように砕ける結界魔法の一部。どうやら完全破壊まではいかなかった。が、右の拳が結界内に入る。


 次の瞬間。


「うわ!」


 パーン!

 と、大きな音が木霊し、俺は吹き飛ばされてしまった。


「アイガ、大丈夫か!?」


 咄嗟にアマンダさんが俺を庇ってくれる。

 温もりのある大きな筋肉によって俺は地面に叩きつけられずに済んだ。

 少し右手に火傷を負った程度である。


「なんとか大丈夫です……」

「それならよかった。どうやら敵は結界魔法のほかにトラップ系の魔法も仕込んでいたようだな」


 あぁ……

 なんとういうことだ。

 つまり無理矢理、結界魔法を突破することはできないということか。


 焦燥が再び俺の心を埋め尽くす。

 空を覆うこの黒い煙のように。

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