第249話 激闘を終えて-美女の風味
「シャロンの研究、率直に言って興味があった。あの仮面の下に何を隠しているのかも気になった。だから……」
総隊長の視線が真っ直ぐに俺を射抜く。
瞬間、無邪気と残酷が同居したかのような混沌を感じたのは気のせいだろうか。
「実験体の君に会いたかったんだ」
腹蔵なき言葉だった。
不躾とも無遠慮ともとれる言葉。
しかし真実だ。
そう、俺は実験体だ。
シャロンの魔の研究の実験体。
そこには俺の意思などない。人権すらも。
視線の端で捉えた兄貴の蟀谷が微かに動いた。
そのまま兄貴は何も言わず空の酒瓶を掌の上でクルクルと器用に回し始める。まるで己の怒りを発散しているかのようだ。
ただ俺の中に怒りはない。一切湧いてこない。
実験体。
その通りなのだから。怒るはずもない。
「丁度、メープル山に雑魚魔獣が出現した報告が上がってきていた。これを利用しようと思ったんだ」
総隊長は俺や兄貴の感情の機微には気付いていないのか、朗らかな表情だった。
自らの発案が名案だと言わんばかりに自慢げに語っている。
「魔獣討伐という名目で無理矢理シャロンに君を出陣するよう圧力をかけた。勿論、王都護衛部隊総隊長という権限を惜しげもなく使ってね」
総隊長は、至極嬉しそうだ。
そうか、俺はやっとこの人の特徴がわかってきた。
この人は子供なんだ。
筋肉の鎧を纏った巨躯。圧倒的な魔法のセンスと類まれない実力。誰もが平伏す王都護衛部隊総隊長という肩書き。
それらを持っていても尚、子供なんだ。
無邪気で天真爛漫に、己の我を貫き通す。
残酷で冷酷無比に、己の我を圧しつける。
そのためにこの人は、ありとあらゆる力を行使するんだ。
凄絶なる己の武力も、総隊長という地位による権力もこの人にとっては手段でしかない。
全ては己の我を貫き、圧し通すため。
そこに己以外の意思や気持ちなどは一切気にしない。省みることもない。
良く言えば、子供のように無邪気。
悪く言えば、悪魔のように残酷。
それは幼稚で傲慢にも見える。
だが、強い。
只管に強いんだ。
それらの評価を覆すほど、他者から憚れないほど、我を通せるほど強いんだ。
「流石のシャロンも最初は渋ったみたいだけど、拒否できないと踏んだようだね。重い腰を上げさせた時は『よっしゃ!』って叫んじゃったよ」
総隊長はその時の情景を思い出したのか、天を仰いで笑い出す。
それを聞きながら俺の中で合点がいった。
成程、そういう絡繰りだったのか。
シャロンがこの任務を俺に宛がったとき、いつもと違う雰囲気だと感じたのは勘違いじゃなかった。
シャロンは取捨選択を迫られていたんだ。
総隊長の性格からして魔獣退治だけ終わるわけがない。きっと俺にちょっかいをかける。即ち戦闘が起きるはずだと予期したんだ。
無論、戦闘が起きなかった可能性もあるがそれは低いはず。
最悪、シャロンの研究成果である俺が死ぬこともあった。
そうなればシャロンにとっては最悪の痛手だ。俺はまだアイツの中では価値があるはずだからな。
できることならこの依頼は拒否したかったはず。
だが、総隊長の命令は断れない。
そうした状況だったため、あのような態度だったのか。
俺は心の中でほくそ笑む。
例え、自分が命の危機に瀕しようとも、あの女が苦痛に塗れるなら溜飲が下がるというものだ。
「まぁ、その代わりアンディを帯同させることが条件だと言われたけどね。そこはまぁ、妥協点だと思って受け入れたよ」
総隊長は話を続ける。
そうか、だから兄貴がいたのか。
兄貴がシャロンの苦肉の策だったんだな。
「いや、俺がいなかったら危なかったでしょ」
兄貴は総隊長にツッコミを入れた。
その言葉に怒りはない。どうやら既に怒りの火は鎮火しているらしい。
「確かに。アンディを連れてきたのは正解だったね」
まるで他人事のように総隊長はあっけらかんと笑う。
兄貴は呆れたように溜息を吐いた。
そんな時。
「ただいま、戻りました~」
イーブンさんの声が店中に響き渡る。
後ろにはオッドさんもいた。
二人が戻ってきたのだ。
オッドさんは静かに総隊長の横に座る。
テーブルは四人掛けだったので、イーブンさんは隣の空いている椅子をスッと持ってきて俺の隣に座った。
「お疲れさん」
総隊長が二人を労う。
「ほんっと、疲れましたよ。事務作業苦手なのに~」
イーブンさんは勢いよく背伸びをした。
スーツなのに胸が強調されて俺はつい視線を逸らす。
そこへ店員が最後の力を振り絞って水を持ってきた。顔はまだ蒼褪めている。
オッドさんとイーブンさんは飲み物だけを注文した。
料理を頼まれたことにホッとしたのか、店員は少しだけ表情が明るくなった。
「あれ? 料理残っているの珍しいですね。いつもなら嵐の後みたいになくなっているのに」
店員が戻ったあと、イーブンさんが俺の前にアクアパッツアを指さす。
「それはアイガの分だよ。どうやらまだ身体が本調子じゃなくて食べないらしい。あとでテイクアウトして貰うつもりだったんだ。折角の美味しい料理だからね、持って帰ってから食べてもらおうと思ったのさ」
どうやら総隊長は俺の身体のことをわかっていたらしい。
兄貴と違って最低限の気遣いはできる人のようだ。
まぁ、この身体がここまでダメージを負っているのはその総隊長が原因なのだが。
「それって総隊長の所為ってことでしょ。もう可哀想に」
イーブンさんはアクアパッツアをひょいっと持ち上げる。
フォークで器用に一切れ解した。
イーブンさん、お腹でも減っているのか?
別に食べてもらっても構わないが。
そう思っていたらフォークの先の切り身が俺の口に近づく。
「はい、あーん」
「へ?」
頭が一瞬で真っ白になった。
「いや、身体が痛くて食べれないんでしょ。じゃあ食べさせてあげるわよ。はい、あーん」
「いや、でも……」
「いいから、いいから。はい、あーん」
俺はイーブンさんに屈して口をだらしなく開く。
そこへ冷めたアクアパッツアが入ってきた。
「どう美味しい?」
「は……はい、美味しいです」
いや、味なんかわからない。
イーブンさんみたいな美女に食べさせてもらって、脳味噌がオーバーヒートしそうになっている。
味を感じるなんてこと、今は不可能だ。
「あ! いいな! アイガ! イーブンちゃん! 俺も! あーん」
兄貴が間抜け面で口を開いた。
「ご自分でどうぞ」
イーブンさんは素っ気ない態度だった。
「えぇ! アイガだけなのかよ。羨ましい! じゃあオッドちゃん! お願い! あーん!」
兄貴は懲りずにオッドさんに向けて口を開く。
オッドさんは静かに睨むだけだった。
「えぇ! ずるいぞ! アイガだけとかず~る~い!」
可哀想な兄貴の無様な叫びが店の中に木霊した。
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