第247話 激闘を終えて-左腕を添えて
あの激闘の後。
涼しげな竹林。
そこには不釣り合いな闘争の残り香が仄かに漂っていた。
俺はまだ獣王武人のまま跪き、兄貴と総隊長は睨み合っている。
そんな場所に突如として現れた二人の女性。
その女性の一声で殺伐とした空気が一変した。
鋭い空気は柔らかなものとなり、殺意は雲散霧消する。
兄貴と総隊長は戦闘態勢を解き、お互いに軽く息を吐いた。
黒いスーツの女性がオッドさん、白いスーツの女性がイーブンさんという名前で総隊長専属の秘書官だと後で兄貴が教えてくれた。
「喧嘩は終わり! さぁ仕事、仕事」
白いスーツの女性イーブンさんはフランクな物言いだった。
「そういうことです。よろしいですか?」
黒いスーツの女性オッドさんは対照的に慇懃だ。
オッドさんは徐に兄貴と総隊長の間に入る。
既に二人から殺気は消えているが、もしものことを考えての行動だったのかもしれない。
オッドさんは懐から白いタオルを取り出し、総隊長に渡した。
総隊長はそのタオルを受け取ると全身を拭う。シャワーを浴びた後のように。タオルは忽ち赤と黒に汚れていった。
「あんた、大丈夫なのか? 左腕、凄いことになっているぞ。ていうか……この姿も魔法なのか?」
不意に俺の真後ろにイーブンさんが立つ。
その状態で俺の身体をマジマジと眺めた。不意に甘い匂いが鼻孔を擽る。
「イーブン、例のあれ、持ってきているかい?」
総隊長はオッドさんから黒いゴムを受け取り、その長い髪を止めながら問うた。
「ありますけど……
イーブンさんは自信に満ち溢れた表情だった。余程、己の魔法に自信があるのだろう。
「イーブン、その子に再生魔法は効かないんですよ。報告書読んでないんですか?」
オッドさんは無表情のままそう言い放った。が、その言葉尻からは呆れの感情が見え隠れする。
「あんな分厚い紙束、私が読むわけないじゃん」
イーブンさんは悪びれもせずにそう答えた。
オッドさんは微かに溜息を吐く。
二人は対照的な性格のようだ。
それにしても……
報告書?
どうやら俺のことは二人とも知っているらしい。
いや、口ぶりから察するに総隊長も、か。
その報告書とやらに書いてあるのか?
気になる。
「全く……まぁいいでしょう。では、総隊長の御命令通り『アムリタ』の準備をお願いします」
オッドさんに命じられ、イーブンさんは懐から一枚の紙を取り出した。
黄色い紙に赤い文字で魔法陣と俺が読めない文字が書きこまれた不思議な紙だった。
イーブンさんは俺に視線を合わせ、ニッコリと笑うとその紙を一気に破る。
その途端、紙は木端となって消失し、代わりに手錠のような輪が二つ現れた。
黒い輪は手錠を彷彿とさせる。ただ、手錠と違い鎖で繋がれてはいないのだが。
「ちょいと失礼。我慢してくれよ」
「痛!」
イーブンさんは手錠のような輪の一つを俺の千切れかけた左腕の手首にくっ付ける。
「我慢しろって。男の子だろ」
痛がる俺を無視してもう一つの輪を肘より少し手前の二の腕の部分にくっ付けた。
「よし、じゃあ起動して……」
「待って! まだ発動しちゃダメよ」
オッドさんが勢いよく制止する。声は荒げたがそれでも表情はそこまで変化していない。
一方でイーブンさんは首を傾げている。
「その状態だと、魔法具の通りが頗る悪いわ。一旦、その子にはその状態を解除してもらわないと」
その状態とは即ち獣王武人のことか。
確かにこの状態だと医療魔法具ですら聞きにくい。というか、もしかしたら効かないかもしれない。
獣王武人は全身に氣を巡らす。それは死に掛けの今でも同じだ。最低限の氣が体内を駆け巡っている。
故に今、医療魔法具を使えば、その魔力を氣が喰らってしまい、効果が齎せないはずだ。
しかし……解除するのか?
獣王武人を……
「アイガ、大丈夫だ。とりあえず、それを解除しろ」
逡巡する俺に兄貴の言葉が優しく響く。
俺は少しだけ笑った。
兄貴の言葉を信じたのだ。
「丹田……閉塞」
静かに祝詞を唱え、獣王武人を解いた。
「がぁ!」
瞬間、脳を裂くような激痛が襲う。獣王武人によって緩和されていた痛みが猛襲した。あまりの激痛に脳が潰れそうだ。
同時に左腕が完全に地に落ちる。獣王武人の屈強な皮膚によって繋がっていた左腕が、人間の脆弱な皮膚に戻ったことでついに千切れたのだ。
果てしない痛みと左腕を喪失した現実に俺の脳は真っ白になる。
「イーブン!」
「オッケー!」
無様にも卒倒しそうになる俺をイーブンさが後ろから支えてくれた。
そのまま、優しく俺を抱え血みどろの左手に魔力を込める。
そんな左腕に接続されたアムリタが起動した。
あっという間に手首の輪と肘の輪の間にガラスのような物が生成され、千切れて落ちた左腕を包み込む。
否、『包み込む』というよりかは『キャッチする』といった表現が近いかもしれない。
そこに緑の液体が一瞬で満たされた。温度は感じない。ただ、ブクブクと炭酸のような気泡の感触だけは伝わった。
次第に痛みは和らいでいく。お陰で気絶せずに済んだ。
「それは『アムリタ』と言って、どんなに身体が裂断されようとも再生してくれる最高の医療魔法具だよ。安心しな、アイガ。君の腕はちゃんとくっつくから」
総隊長はそう言いながらいつの間にか用意されたアロハシャツに着替えていた。
汚れた白いローブはオッドさんが小脇に抱えている。
俺は己の左腕を望んだ。
筒の中でゾンビ映画のようにグロテスクな骨と肉が剥き出しの左腕がある。
本当にくっつくのか?
この死んだ左腕が?
俺はまだ半信半疑だった。
だったのだが、微かに指先が動いた。
「あ……」
拳を握れるわけではない。
まだ温度もわからない。
感覚など以ての外。
しかし……
動くのだ。
微細ながら、動かせる。
その感動の衝撃たるや俺の心を破砕するほどだった。
歓喜が爆発する。
涙がまた一筋零れた。
俺はそれをすぐに拭う。
もし、兄貴たちがいなければ号泣していたことだろう。
「ふふふ」
後ろでずっと俺を支えてくれていたイーブンさんは含みのある笑みを残して立ち上がった。
「ほら、アイガ」
兄貴が俺の制服を頭の上に放り投げた。
そうか、俺、今まで全裸だ。
すっかり忘れていた。
獣王武人によって敗れた服を兄貴が魔力を使って再生してくれたようだ。
ん?
ということは、オッドさんやイーブンさんみたいな美人の前でずっと全裸だったのか……
急に恥ずかしくなった俺は急いで着替える。
「痛!」
左腕に気を付けながら服を着ようとしたが、腕を上げただけで悲鳴を上げるほどの激痛が走った。
そうか、まだ激闘のダメージ全てが抜けきっていないのか。
悲惨なのが左腕というだけで、それ以外の部位も大きなダメージを負っているようだ。
恐らく、肋骨辺りは折れているはず。
獣王武人を解くとある程度のダメージは回復するはずだが、回復して尚これほどのダメージとは……
それでも俺は、全裸でいるよりはましだと痛みに耐え着替えを済ませる。
左腕の袖は無かったので、その点は楽だった。
どうやら兄貴が気を利かせて服の再生を調整してくれたようだ。
俺の氣替えが終わると総隊長はパンと柏手を打つ。
その音は竹林に大きく響き渡った。
「さて、アイガの治療も終わったことだし、最早ここにいる理由はない。と、するならば、やることは一つ!」
総隊長は満面の笑みを見せる。
俺はその真意がわからず首を傾げるだけだった。
「旨い飯を喰いに行くか!」
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