第246話 激闘を終えて-潮風と共に

 ガイザード王国南西部にある『ハーギー・タウン』。

 ここは海に面した村で、常に潮風が吹き、また全体的に活気のある村だった。


 俺は今、その村のレストランにいた。

 店名は忘れたが、カウンターが八席、テーブルが二席と比較的こぢんまりとした印象を受ける店だ。


 汚れのない白を基調としたタイルに青一色の壁と天井は空や海を彷彿とさせる。

 店内には微かに雰囲気のいい音楽が流れていた。こちらの世界の魔法具で流しているのかもしれないし、どこかで本当に楽器をひいているのかもしれない。

 音楽の知識など皆無だがそれはとても聞き心地は良いものだ。

 

 窓から見えるオーシャンビューは絶景で、遠くの方ではウミネコのような鳥が囀りながら飛んでいる。


 ゆったりとした時間が流れていた。

 そんな折、赤いエプロンをした女性が俺たちのテーブルに料理を置く。

 二席しかないテーブル席の一つに俺は座っていた。

 そのテーブルの上には沢山の豪華な料理が並べられている。


 流石、海辺の村。

 どれも旨そうで自然と涎が口内で溢れた。

 潮の香に負けない馨しい匂いは空腹を刺激し、食欲をそそらせる。


 手前にあるのはアクアパッツァ。

 白身魚と美しいトマト、それに俺の知らない貝がふんだんに使われていた。

 微かに香るはオリーブか。匂いだけ上質とわかる。

 魚の焼き加減、野菜の彩り、どれも美しく、見た目から楽しませてくれる逸品だ。

 

 その奥には四角形のピザがある。

 形としては珍しいが、見た目だけでいえば非常にオーソドックスなピザだ。

 乗っているのはトマトとチーズとバジルのみ。シンプルイズベストとはこのことだろう。

 余計なものが一切ない。

 匂いから察するにチーズはモッツァレラのようだ。

 窯から出されたばかりなのか湯気が香りと共に揺蕩う。


 ピザの横にはエビとトマトのパスタがあった。

 恐らくメイン。

 一見してわかる旨味の爆弾だ。

 見て、嗅いでわかるのならば、口に入れてしまえば如何ほどなのだろうか。

 是非食べてみたい。

 トマトの赤に負けないエビの赤さがパスタと絡まり、甲殻類特有の匂いが空腹に拍車をかける。

 上には鷹の爪のようなものがあり、辛味もあるようだ。

 

 俺はいよいよ我慢できず、右手を伸ばした。

 

 途端に激痛が走る。

 差し出した手を引っ込め、痛みに耐える。


 未だ、この身体はボロボロだ。それを思い出す。

 

 まぁ、動けているだけ奇跡か。

 本来なら、くたばっていてもおかしくないほどのダメージだったのだから。

 特に左腕は……


 一度は死んだと思った。

 いや、死んだはずだったのだが……


 その左腕には今、奇妙奇天烈な物体が装着されている。

 手首の下、肘からさきの前腕部をすっぽりと覆っていた。

 手首側、肘側の部分に五センチ程度の手錠のようなリングがあり、その間を透明の筒が包んでいるのだ。


 筒の中は緑色の液体で満たされていて、常にゴポゴポと小さな音を立てながら炭酸のような気泡が循環していた。

 

 目を凝らしてみればその中で俺の千切れた腕が再生を始めている。

 爆砕した骨と肉はまだ治癒しておらず中身は見えていたが、皮膚は繋がり始めておりどうやら既に血管と神経の再生も始めているようだ。

 そのお陰か指先に僅かながら感覚がある。

 

 この感覚が戻ったとき、泣きそうになったのは秘密だ。


 一度は失ったと思った左腕。

 それに関して覚悟も決めたはずなのに。後悔もしていなかったはずなのに。


 元に戻る。

 そう知ったとき、歓喜に震えた自分がいた。

 

 本当に自分でもバカだと思う。

 それでも俺は嬉しかったんだ。

 

 ただ、再生を始める左腕は如何せんグロテスクなので今は襤褸の布で筒を覆っている。

 流石に衆目に見せていいものではないだろう。特にこのような食事処では。

 その状態で布切れで三角巾のようにして、首から吊り下げていた。


 この装置は医療魔法具の一種で『アムリタ』というものらしい。

 こいつ一つで王都のど真ん中に豪邸が三つほど買えるという想像もできないくらい高価な医療魔法具だそうだ。


 俺がいた世界で例えるなら東京……いや下手をすればアメリカの首都……ん? アメリカの首都ってどこだっけ?

 まぁ、いいか。とりあえずそういった場所で豪邸を買えるくらいというのだから、もう想像もできないほど馬鹿高い代物ということだろう。


 代金を請求されたらきっと臓器を売ったとしても足りないはずだ。

 そんなことを想像するのも怖いが、これを使わせてくれたのはあの激闘を繰り広げ、俺にこれだけの大怪我を負わせた張本人。

 王都護衛部隊総隊長その人である。


 総隊長曰く、この医療魔法具はお詫びとのこと。

 つまり無償でこの高額な魔法具を使わせてもらったのだ。


 そんな総隊長は、俺の前でテーブルの上に並んだ豪華な食事を幼子のように我武者羅に食べていた。

 否、『平らげていた』と表現した方がいいかもしれない。


『行儀』という言葉を知らないのか、鷲掴みで一気に口に入れ、硬い貝殻も気にせずバリバリと噛み砕いている。

 よく言えばワイルド。悪く言えば下品だが、何故か総隊長はその食べ方が似合っていた。

 

 総隊長は今、俺と闘っていた時とは違いアロハシャツに短パン、サンダルというラフな格好だった。

 この世界にもアロハシャツなどあったのかと思ったが、それ以上にこの巨躯に合うサイズがあったことのほうが驚きだ。


 因みに兄貴もいる。

 俺の横で総隊長と同じように勢いよく食べていた。

 総隊長と違ってまだフォークとナイフを使っているが、お世辞にも綺麗な食べ方とは言い難い。『がっつく』といった表現がよく似合う。

 さらに横には酒瓶があり、もう二本も開いている。余談だが、総隊長は飲んでいない。どうやら下戸らしい。


 兄貴はタンクトップにデニムのジーパンという姿。

 丸見えの太い腕に彫られたタトゥー、厳ついコーンロウという髪型、浅黒い肌に強面の顔面。見た目は完全にギャングだ。

 もし知り合いで無ければ絶対にお近づきになりたくない外見をしている。


 そんな二人がいるテーブルにはどんどん空いた皿が積み上がっていった。

 二人とも食うスピードが速いのだ。それも圧倒的なほどに。

 しかも、両方ともに食べ終わると同時に新しいメニューを追加で三人前ほど頼んでいた。

 それがもう十数回目だ。


 先程、赤いエプロンの店員が持ってきたものも後々注文したものである。その時の店員の顔はすっかり蒼褪めていた。

 気持ちはわかる。


 二人とも二メートル近い。

 そんなガタイのデカい筋骨隆々の男たちが、左手に大怪我を負った学生と一緒にバカみたいに食事している様は、傍から見れば異様でしかないだろう。


 俺は二人に気圧され、溜息しか出ない。

 痛みも相まってまだ碌に食事ができていないのだ。


 痛みに耐えながら俺は左手の『アムリタ』に触れる。無機質で冷たい感触だった。

 

 俺は今一度、思い出す。

 あの激闘の終わりを。

 蘇りつつある左手を擦りながら。

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