第245話 モープル山の激闘-その六
「そこまでだ!!」
突然、砲弾が炸裂したかのような怒声が響き渡る。その凄まじさに俺の身体は硬直した。
気が付けば、繰り出したはずの右腕をがっしりと掴まれる。
それは、暖かい、温もりのある手だった。
「あ、兄貴……」
眼前に現れたのは兄貴……ことアンドリュー・スタンフィールドだ。
その貌はいつものふざけた表情ではない。
慈愛に満ち溢れていて、それでいて悲哀に塗れた、何とも言えない寂しい貌だった。
そんな兄貴の声を聞いて、その貌を見て、戦闘欲求に飲まれていた意識が消える。
我に返ったのだ。
どうしてここに兄貴が?
いや……待て……
そこで気付く。己の失態に。
しまった……
俺は、この姿で、獣王武人の姿で、化け物の姿で『兄貴』と呟いてしまった。
一生の不覚。
漏れた声は確実に兄貴に届いたはずだ。
もう弁解の余地もない。
いつかは白日の下に晒されるであろうこの姿。
しかし、ばれたくなかった。
尊敬する兄貴に、こんな姿見られたくなかった。
怖れと羞恥が俺の身体を駆け巡る。文字通り醜態を晒しているのだ。
消えてしまいたい。
徐に込み上げる涙。
あぁ、俺は泣きそうなんだ。
兄貴と視線があった。
途端に恐怖が爆発する。
いっそ獣のふりをし続けるべきだった。
怯懦な精神から俺は
「え?」
不意に兄貴は俺を優しく抱きしめてくれた。
穢れたこの身体を。
自分自身が汚れることも厭わず。
「ゲンブさんから全部聞いている。俺はお前の味方だ。アイガ。だから……安心しろ」
『安心しろ』
これほど心強い言葉はない。
涙が、自然と溢れる。止めることなどできるはずもない。
久しぶりに味わった大人の優しさに、張り詰めていた心が解けた。
「あ、あ、あぁ……」
止めどなく涙は溢れるのに、絞り出したい言葉は一つも出てくれない。
羞恥は消え、恐怖も小さくなった。謝意と謝罪。懺悔と後悔。色んな感情が波濤の如く、押し寄せる。
それでも言葉は紡げなかった。
兄貴はそれ以上、何も言わない。
ただ、優しく、優しく俺を抱きしめてくれていた。
その温もりがこの身体と精神に安らぎを与えてくれる。
やがて俺は力が抜け、その場に跪いた。
兄貴はそんな俺をゆっくり支えてくれている。休めるときに休めと言わんばかりに。
地面に落ちた途端に忘れていた疲弊と激痛が襲ってきた。それらがまるで泥の鎧のようでこの身に重く圧し掛かる。
限界を超えた肉体の訴えに最早抗うことはできない。
張り続けた意地も、獣の本能ももうない。氣すらも消失している。
敗残者。
その言葉が今の俺にはよく似合う。
その時。
闘いに全てを割いていた脳がやっと動き出した。
そこで再び湧きあがるあの疑問。
なんで、ここに兄貴が?
「それにしても……やりすぎですよ、総隊長」
混乱する俺を尻目に兄貴の言葉が静寂の竹林に木霊する。その声は怒りに滲んでいた。
兄貴は白ローブの男を睨みつけている。
先程とは違う空気がモープル山の領域を侵していった。
一触即発。
そんな中、未だ混乱している俺の脳内で兄貴の言葉がリフレインし続けている。
総隊長?
そう……たいちょう?
そう? たい? ちょう?
「総隊長?」
つい口から言葉が漏れた。
無意識に放たれた言葉は殺意溢れる竹林に深く、深く響き渡る。
「あぁ、この人は……」
兄貴から殺意が消えた。
同時に白ローブの男が微かに笑う。
「王都護衛部隊の頂点……いや、この大陸にいる魔法使いの中で最強の男……王都護衛部隊総隊長、アードラ・B・カノーネンフォーゲルだ」
はぁ!?
俺は今まで闘っていた相手を瞠った。
静観な顔つきで無邪気な笑顔で俺を見下ろす男。
一見してもとてもじゃないが、総隊長などには見えない。
だが拳を交えた今ならはっきりとわかる。
この男が……
王都護衛部隊の頂点。
この大陸で一番強い男……
俺でも知っているくらいの地位と強さを持つ男……
余りにも遠い存在。
それはもう御伽噺にでてくる『鬼』と相違ない存在だ。
「おいおい……この大陸で一番じゃなくて、この世界で一番強いって言ってくれよ。こう見えても世界最強を自負しているんだからさ」
そう言って、男は高らかに笑う。
さっきまであった威圧感はとうに消えていた。
しかし、この男が総隊長ならば俺はとんでもない人間と闘っていたことになる。
勝てる、勝てないの次元じゃない。
挑むことすら烏滸がましい。
それほどの相手だ。
そもそも一介の学徒が、異邦人が、会える相手じゃない。
そんな人が何故?
俺の頭はさらにパニックへと陥っていった。
「それはそうとしてやりすぎですよ。学生相手に殺し合いとは……俺がいなきゃアンタ……本当にアイガを殺していたでしょ」
また兄貴から殺意が放たれる。
その目は怒りに満ちていた。
それは久しぶりに見る兄貴の貌だ。
「それは申し訳ない。つい、本気になってしまった。その点は謝るが同時に彼は……アイガ君は誇るべきだね。
総隊長はあっけらかんと嗤う。
兄貴の身体からさらに殺意が迸った。
「総隊長。俺は今……怒っていますよ」
兄貴の怒りは俺にも感じる。
本物だ。
マズい。なんとか止めないと。
この二人が戦えば間違いないなく、周囲一帯荒れ地と化す。
それだけは防がなければ。
俺は兄貴たちを止めようと立ち上がろうとした。
その時。
「お辞めください、総隊長。アンドリュー隊長」
不意に後ろから女性の声が響く。
俺は驚きながら振り返った。
そこには竹林に似つかわしくないスーツの女性が二人立っている。
一人は黒いスーツ。一人は白いスーツだった。
髪型も目の色も肌の色も違うのに顔の形はそっくりだ。
美しい。それにスーツの上からでもわかるほど妖艶な雰囲気を放っている。
それは兎も角……
いつの間に?
そう思うほど二人は、いつの間にかその場にいたのだ。まるでテレポートでもしてきたかのように。
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