第242話 モープル山の死闘-その三

 突如、鬱蒼とした竹林より這いずるように現出したそれは明らかに異質だった。


『死』が服を纏っている。

 そう思えるほどに異彩を放っていたのだ。


 不気味などと言う言葉では収まらない異質な恐怖を感じる。


 無機質なマスクで顔を隠していた。目や鼻、口の穴もない。白一色の不気味なマスクだ。

 身体もゆったりとした布のような服、白いローブのようなものをまとっているため肌の色すらわからない。

 

 人だということだけがわかる。

 それだけだ。

 しかし、そこから漏れる気配に俺は圧倒されていた。

 

 次元が違う。


 対峙しただけでわかった。

 相手は俺よりも遥かに高い場所にいるのだ。

 比べることすら烏滸がましい。


 強い。

 吐きそうになるほど……


 象と蟻。月と鼈。いや、それ以上。

 一体何と例えたらこの力量差を表せるのか。


 俺は生唾を呑み込む。

 その行為すらこの相手の前では憚れた。


 何かをすれば、それが合図となって容易く殺されるだろうと思えてしまうのだ。


 全身が総毛立ち、鳥肌がとまらない。

 喉が急激に乾いていく。


「お前……何者だ?」


 掠れた声で問うた。

 こんな声でもよく出てくれたと、自分を褒めたい。


 俺の言葉に眼前の白いローブはゆっくりと動く。

 瞬間、脳裏に焦燥と恐怖が押し寄せた。


オッフン


 短く放たれた言葉と同時にそいつの右手から紅蓮の炎の塊が打ち出される。煌々と燃え、赤く、黒く燃える火の玉だった。


「ちぃ!」

 

 俺は辛うじて躱す。

 本当にギリギリだった。


 炎の塊が俺の後ろで爆ぜ、幾つもの竹林を爆砕する。

 焦げた臭いと焼け落ちる音が遅れてやってきた。


 竹が燃え、熱が俺の身を焦がす。全身から汗が噴き出すが、熱の所為じゃない。

 俺は今寒さを感じているのだ。この圧倒的な魔法に。


 この攻撃でわかったことは三つ。


 声は隠していない。明らかに男だった。

 次いでやはり強い。軽く放った火球は容易く俺を殺せる一撃だった。

 最後に……

 こいつは明確に敵だ!


 俺は後ろのポケットから獣化液を取り出す。


 出し惜しみをしている場面じゃない。

 逡巡する暇もない。

 そんなことをしている間に死ぬ。


 俺は一瞬で覚悟を決めた。

 この『死』と闘う覚悟を。


「獣王武人!」


 獣化液を首筋に打ちこんだ。

 忽ち、この身体は化け物へ変貌する。


 その時、敵の男が……白ローブと呼称するか、そいつが微かに笑った気がした。


「しゃあ!」


 変身して尚、焦燥に駆られたのは初めてだ。

 まるで勝てるイメージが湧かない。

 

 俺はそのイメージを払拭するかのように走った。

 右手に氣を宿して。


 既にこの拳に集約された氣は、先の戦いで屠ったスクラッチ・ラクーン戦以上の濃度だ。


「開……ラップン


 再び白ローブから炎の塊が放たれる。

 先ほど以上に濃いあかくろだった。


 それが轟音と共に撃ち放たれる。


「せいや!」


 俺は左手でそれを弾いた……つもりだった。

 だが、弾けないのだ。


 轟音と共に俺は押し返される。

 火球の威力、速度、全てがさっきの魔法と桁違いだった。


 俺の身体ごと押し返すその魔法に驚くことしかできない。

 これはただの炎魔法じゃない。


 俺の左腕には氣が満たされている。

 多少の魔法攻撃ならこれで防げるし、払うだけなら如何に強い魔法でも可能だ。


 それなのに、この炎は弾けない。押し返すことも跳ね返すこともできない。


 重い。

 圧倒的質量の魔法は宛ら大砲の砲弾を彷彿とさせた。


 氣は確かに浸食している。

 俺は唖然としながらその魔法を瞠った。

 

 そうか……やっと理解する。


 この炎の塊の外側に違う濃度の炎魔法がコーティングされているのだ。

 つまり、炎魔法Aを炎魔法Bが包んでいる。


 それがどれほど高度なことかわからない。が、きっと恐ろしいまでの練度だろう。

 また、氣に対してこれほど完璧な正解もない。


 氣は外側の魔法には浸食するが、その中にまでは届いていない。

 強い魔素に反応する氣の性質が邪魔をして中に入っていかないのだ。


 氣は外側の魔法にしか反応していなかった。


 恐らく、時間を掛ければ、中の魔法まで辿り着くだろう。

 しかし、戦いの場でそんな悠長な時間が与えられるわけもない。


 俺は右手でその炎魔法を切り裂くことにした。

 こちらから攻撃によって氣を与えれば如何に凄い魔法と言えど破壊できる。


 俺の意識が右手に移ったその刹那。

 突然炎の魔法が爆ぜた。


「ぐぅ!」


 俺は後ろに弾き飛ばされる。

 強烈な痛みが左手に走った。


 地面を無様に転がりながら俺は何とか立ち上がる。

 一瞬、喪失を考えたが、俺の左腕はまだあった。

 だが、激しい熱傷でボロボロだ。


 氣のガードを通り越し、鋼の如き獣毛も鉄の如き筋肉も破砕されていた。


 肉が爛れ、骨が見え、血が焦げる。

 視認してからまた痛みが脳を駆け巡った。


「マジか……」


 そう言いながら俺は笑っている。

 左腕から伝わる痛みが、やっと俺を目覚めさせたのだ。


 何を恐れる?

 格上相手に?

 死に物狂いで戦え、そうだろう、アイガ。

 出なければ、死ぬだけだ。


 俺は今一度気合を入れ直した。


「は!」


 再び駆ける。


 白ローブはまた構えた。


「開……重!」


 再度放たれる魔の火炎を俺は躱す。

 最早、この技相手に『受ける』はあり得ない。

 俺は速度を殺さず、一目散で彼我の距離を潰す。


 そして、間合いに入った。

 既に右腕の爪は鋭く伸び、日本刀の如き煌めきを反射させている。


「しゃああ!!」


 下段から上段にむかって振り上げる爪の一撃。

 白ローブはそれをバックステップで躱す。


 俺は即座に体を回転させ、左足で後ろ回し蹴りを撃った。


「宵月流! 月齢環歩! 『二日月』!」


 白ローブはそれを両腕でガードする。

 肉と肉がぶつかった。


 その攻防の最中、俺の足から伝わったのは強靭な肉体の感触だ。

 限界以上に鍛え上げられた筋肉の鼓動を感じる。


 こいつ、魔法だけじゃない。

 武術家としても一流だ。


 それでも俺はもう気後れなどしない。


 二日月で繰り出した足をすぐに戻し、次の一撃のモーションに入った。


「宵月流……」


 俺は慄く。

 相手の右足から凄まじい雷が迸っていたのだ。


 まさか……


「開!」


 男はその右足で思い切り廻し蹴りを繰り出す。同時にその蹴足から刃のような雷が激しい音と共に迫った。


 予想外すぎる。

 こいつは、足で魔法を撃ってきたのだ。


 咄嗟に右に避ける。雷は辛うじて回避できたが、そこには白ローブの拳があった。


「ぐふ!」


 強烈な左ストレートが俺の下顎を穿つ。


 こいつ……技術も完璧じゃないか。

 的確に人を殺せる個所を狙った一撃だ。


 このままなら脳が揺れ、昏倒するだろう。

 それが普通の人間なら、な。


 俺は今、化け物。頭部は獣だ。

 だからこそダメージはあっても脳震盪などは起きない。


 さらに相手の物理攻撃が届くここは……俺の間合いでもある。


 俺は攻撃を受けたときから既にカウンターのモーションに入っていた。

 相手の拳が下がった瞬間、身体を捩じり、右の貫き手を突き出す。

 狙いは白ローブの腹だ。


「な!?」


 右手は虚しく空を切った。

 この状態で相手は俺の攻撃を呼んで回避していたのだ。


 右でも左でもない。

 上……空中へと。


「ちぃ……」


 俺は見上げる。


「開……ビバー……『斬雨ニーズレーゲン』!」


 白ローブの両腕から鈍色の液体が幾つも浮き出していた。それは矢庭に金属の刃と化す。

 一秒と掛からず、無数の刃が完成した。


 それが俺に向かって無常に降り注ぐ。

 正に万死の雨だった。

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