第241話 モープル山の死闘-その二

 モープル山。

 ガイザード王国が治めるボルティア大陸西部にある山の名前である。

 標高は二千メートル程度。少し前までは観光地として栄えていたらしいが現在は魔獣の出現により閉鎖されている、とのことだった。


 数日前、シャロンより渡された依頼により俺は討伐のため、この山に来たのだ。

 

 ただ、俺が住んでいるレクック・シティからはかなり遠い。

 モープル山自体にワープ魔法陣が設置されていないため、最寄りの村にワープして、そこから更に徒歩で移動しなくてはならないのだ。

 その村もワープを三回繰り返して、やっと辿り着くというほど遠い。


 久しぶりに辺鄙という言葉を感じていた。


 俺は現在、その村を出て砂礫の道を歩いている。

 先には目指すべきモープル山が見えていた。深緑彩る見事な山だ。


 道は整備されているが荒れている。周囲には岩や瓦礫が虚しく打ち捨てられていた。

 ここら一帯はまだ人が住んでいるが、モープル山より向こう側は人が住めない非居住地区アネクメーネである。

 モープル山は通称、『境界を知らせる山』と呼ばれていた。

 あの山より西はまだ人が住めるが、それより東側は人が住めない。その境界線がモープル山だった。


 では、それは何故か?


 ボルティア大陸の中央には南北に跨る巨大な山脈がある。

 そこには大陸で一番高い山、ファントム・フェニックスが鎮座していた。


 仰々しい名前だが由来としては、嘗てその山は火山だったらしく、その火山に不死鳥が舞い降りたことに起因するらしい。

 そうした伝説から信仰の対象にもなっている山で神聖視されているのだ。


 そのファントム・フェニックスを要する山脈の名はフェニックス・ウィング山脈。

 不死鳥の両翼のように、ファントム・フェニックスを中心に険阻な山々が聳立しょうりつしている。


 神聖な山脈だが、実はこの山脈の所為で人が住めないのだ。

 ボルティア大陸西部は、海から激しい海風が入ってくるのだが、その風がこの山脈にぶつかって強烈な颪を生み出す。

 それが山脈の西側に猛り狂うように吹き荒ぶため、大陸中央から西部に向かっては人が住めないのだ。

 それどころか魔獣すら生息していない。


 発展はおろか、生活を営むことさえ叶わない。


 余談だが、俺が師匠と暮らしていたオルヴェーの森もこのアネクメーネに区分されていた。

 今思えばよく暮らしていたよ。


 モープル山周囲はまだそこまで酷い環境ではないが、それでも住みにくいことには変わりない。実際にこの辺りは発展していないのだから。

 

 これらの知識は全て昨日頭に叩き込んだ付け焼刃だ。

 そんなことを思い返している内にモープル山の入り口に着く。

 辺りを見渡すが魔獣の気配はない。人の気配も勿論なかった。


 工事が始まる予定と聞いていたが、その器具すら見当たらない。


 魔獣が出現するから避難しているとも考えられるが、何ら形跡らしいものが見当たらないのが不思議だ。


 訝しい点はあるが、依頼を熟さないわけにはいかない。

 俺はモープル山に踏み入った。


「ほう……」


 一応調べていたので、知っていたが改めて見ると壮観だ。


 モープル山は竹林が有名だった。

 それが眼前に広がる。

 見事としか言えない万緑の竹林。


 既に外からは見えていたが小径こみちに入って壮大な竹を見上げるとその絶景に心を奪われる。


 外界を隔離するような結界の如き緑の直線は気高く美しい。

 空から零れる青空がそのコントラストをより際立たせる。


 俺が前にいた世界でも確か、京都に有名な竹林があったはずだ。まぁ行ったことはないのでどういうものなのかはよく知らないが、きっとこれに近い美しさがあったに違いない。


 群生した竹によって日の光は遮られているからか、レクック・シティよりも涼しい。

 灼熱の猛火もこの山までには届いていないようだ。

 

 先にも述べたが、元々は観光地だったので山道は整備されている。

 ただ、ところどころ廃竹のような割れた竹が落ちているのは残念だ。

 機会があれば完全な状態のモープル山も見てみたい。


 竹の小径は続く。

 幻想的な緑が折り重なる景色で心が洗われた。


 そんな中、不意に殺気を感じる。


 俺は観光気分を抑え、気付かぬふりをして進み続けた。

 ガサガサと竹が撓る音がする。


 どんどん、それが近づいて来た。

 剥き出しの殺意も徐に強くなる。


 そして……


「ぎしゃあ!!」


 汚い咆哮と共にそいつは現れた。

 背後より迫る爪の一撃を俺は容易く躱す。


 スクラッチ・ラクーン。

 筋骨隆々のアライグマだ。

 はち切れんばかりの前脚に獲物を簡単に裂く爪。

 肉を喰う牙を見せつけ、だらしなく涎を撒き散らす。

 目は血走り、狂気に満ち満ちていた。


 入山規制が発令されたため餌となる人間はいなくなっている。

 人を喰えていなかったため飢餓状態がマックスだ。


 殺意と狂気がミックスされ、久しぶりのおれに心が躍っているようだった。


 身長は二メートル半くらい。体重は恐らく四百キロ程度のはず。

 平均的なスクラッチ・ラクーンのデータと合致する。

 いや、もしかしたら飢餓のため痩せているかもしれないが、想定の範囲内だ。


「ぎしゃああ!」


 魔獣は勇ましく吠え、一気に走る。

 俺はすぐに構えた。


「丹田解放!」


 背中が群青色に燃える。

 全身に力が漲った。

 魔人の証明によって膂力が向上する。


 スクラッチ・ラクーンはお構いなしで迫った。

 その鈍く光る爪を高らかに振り上げて。


「丹田覚醒!」


 俺は努めて冷静だ。


 丹田より生成された氣が全身に奔る。

 貝紫色の氣が右手に宿った。


「しゃああ!」


 俺は魔獣の攻撃を躱し、カウンターの右ストレートをその土手腹に叩きこむ。


「ぐふぅ!」

 

 スクラッチ・ラクーンの身体がくの字に曲がった。

 急所の頭部が文字通り、手の届く場所に降りてくる。 

 俺は全身全霊の上段右回し蹴りをその頭部に見舞った。


「せいや!」


 風を切り裂く音の後、鉄槌で岩を砕くような音が響く。

 俺の蹴りが見事にスクラッチ・ラクーンの頭部を穿ったのだ。


「ぎしゃ!」


 遅れて氣が入る。

 黒い血がアライグマの目から零れた。それは宛ら涙のようだ。


「あがぁぁぁあああ!」


 氣が脳に到達したのか、スクラッチ・ラクーンは断末魔をあげながら胸部を剥き出しにする。


 それは悪手だぜ、化け物。

 それとも痛みから解放してほしいのか?


 俺は即座に構える。

 右手に氣を込めて。


「祈れ! 己の神に! せめて安らかに逝けるようにと! 宵月流奥義!」


 俺はミサイルの如く、右拳を放った。

 乾いた音とともにその一撃がスクラッチ・ラクーンの胸部中央に減り込む。


「ぎゅふぅ!」


 スクラッチ・ラクーンが天に向かって黒い血を吐いた。

 動きが止まる。


「裏の型! 『堕獄双月』!」


 俺が撃ったのは宵月流奥義『心月震砲』。正拳突きを相手の心臓に叩きこむことで動きを止める技だ。

 そして確実に対象を殺す裏の型の前段階。


 俺は即座に踏み込んだ足を引き、引手だった左手を同じ場所目掛けて撃つ。


 再び渇いた音が鳴り響いた。

 俺の左手と脳天に衝撃が伝わる。

 完璧な手応えだ。


「ぎ……」


 スクラッチ・ラクーンの顔面から爆ぜるように溢れ出る黒い血。

 勝利の瞬間だった。


 スクラッチ・ラクーンは完全に心臓を破壊されその場に臥す。

 

「ふぅ……」


 暫し、残心で構えていたが、スクラッチ・ラクーンは二度と起き上がることはなかった。


 討伐完了だ。

 

 明らかに弱い個体だったが己の成長を確かめるにはもってこいの相手だった。

 ただ、贅沢を言えば少し物足りないが。


 俺は討伐の証拠として持ってきていたナイフで魔獣の首を狩る。まぁ、他の部位でも構わないのだが首級しるしのほうが確実なのだ。


 さて、終わった。村へ戻ろうか。

 そう思った時だった。


 不意に感じる圧倒的殺意。

 竹林から何十羽という鳥が悲鳴に近い騒めきと共に飛び立つ。

 

 俺はその場から距離を取り、構えた。持っていた荷物も折角獲った首も捨てて。

 

 汗がしたたり落ちる。身の毛が、鳥肌が一気に立つ。喉と目が渇く。全身が震える。

 これほど……純然たる殺意を浴びたのは久しぶりだ。


 それは竹林の中からゆっくりと現れた。


 はっきりとわかる。目の前にいるそれこそが……

 死の化身だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る