第236話 フェザー・ウォーバー-その十一

 何!?

 服が……

 これは?

 拘束具!?


 俺の脳は驚きの余り、ショート寸前だった。


 着ていた服が突然破れ、両腕を前方がっちりと固定される。そのまま身体が折りたたまれ、机に突っ伏した形になった。

 どうやら上着だけでなく、下のズボンも固まっているようで、この状態から動けない。


 何が起こった?

 何故?


 疑問符で埋め尽くされていく脳を必死に働かせながら俺はイザベラを望む。


 彼女は妖しく艶やかに嗤っていた。


「これは? イザベラ?」


 俺の問いにイザベラがさらに嗤う。


「アイガ君、背中にあるの、『魔人の証明』だよね?」


『魔人の証明』……

 それはイザベラが言う通り、俺の背中にある刺青のことだ。


 契約魔法の台頭によって魔法の世界から忘れ去られた旧時代の遺産。

 まさか、彼女がそれを知っていたとは……


 いや、知っていたから何だというのだ。

 それでは答えになっていない。


「えぇ、まぁ、そうだけど……それはそうと、この状況を説明してくれるか?」


 刺激してはいけないと思い、できるだけ丁寧に問いかける。

 一目見ただけで本能的にわかるほど、彼女の笑みには危険だったのだ。


「私、『魔人の証明』って初めて見たの。文献とかでは知っていたんだけどね。まさかアイガ君がそれを彫っているなんて思いもしなかったわ」


 イザベラの目がキラキラと輝く。

 だが、それはどちらかというと鈍く淡く光る感じでとても普通の目付きとは思えなかった。


 この目……どこかで……

 既視感がある。


「フェザー・ウォーバーでアイガ君の背中を見て、研究者魂を刺激されちゃったの。お願い! ちょっとでいいの! ちょっとでいいから調べさせて! 研究させて!」


 そうか、わかった。

 あの目はロビンが魔法陣を語っているときの目だ。


 こちらの世界の所謂オタク魂に火が点いた時の目。


 やっと理解できた。

 彼女が魔獣の群れが蠢くフェザー・ウォーバーという危険地帯でも恐れていなかった理由はこれだ。


 この研究欲とも言える欲望が彼女の倫理観や恐怖心をぶっ壊していたんだ。

 だから、魔獣たちを恐れず己の欲望を貫き通せたのだろう。

 

 そして、それは常識にも当てはまる。

 彼女の研究欲がマックスになったとき、常識という檻すらも壊して突き進んでしまうのか。

 

 現に今、俺が拘束されているのがいい例だ。

 他者への思いやりや気遣いすらも差し置いて、己の研究したいという欲望に忠実になる。


 彼女は……

 マッドサイエンティストだ。


 全く……

 

「丹田……解放……」


 呆れつつ俺は背中に力を入れる。『魔人の証明』を発動した。


「それだよ! それ!」


 傘連判状に青く輝く文字を見て、一層興奮するイザベラ。


「丹田……覚醒……」


 俺はさらに氣を発動する。


 この服は魔素によってサイズが変動するらしい。つまり魔素を含む素材だ。

 ならば、氣が通るはず。


「え!?」


 イザベラの驚く声が響く。

 案の定、着ていた服が一瞬で破れる。


 氣が通ったのだ。

 同時に拘束が解ける。

 布切れと化した服にもはや何の力もない。


 俺は一気に立ち上がる。


「流石にオイタが過ぎるぞ、イザベラ!」


 憤りはあった。

 せっかく友好関係を結べたのにこのような仕打ちとは。

 ただそれよりも呆気のほうが強い。


 彼女の性質を理解してみると不思議とそこまで怒りは湧かなかったのだ。どちらかというと悪戯をした幼児を叱る、といった具合が強い。


 今回の調査を通じてイザベラという一人の魔導士のことを知れたためなのだろうか。

 悪い人間ではない。

 ただタガが外れるとタチが悪いだけだ。 

 

 それは兎も角として、一応は落とし前をつけないといけないだろう。流石に一言強く訴えるくらいは有りか。


 ふと彼女の視線が気になった。一か所をマジマジと視ている。

 あとなんか、スースーするな……


 あ……


 待てよ……


 俺は上着だけを吹っ飛ばした気でいたが、よく考えれば下に履いていたボトムスもサイズが変わった。

 それに下着も……

 そうだ……下着も魔素が含まれているはずだ……


 恐る恐る彼女の視線を追って、下を向くと……


「わ!」


 情けない声が出てしまう。

 最悪だ……


 氣で吹き飛ばしたのは上着だけじゃない。ボトムスも下着も全部弾け飛ばしてしまったのだ。


 それ故に……

 俺は……

 全裸になっていた。


「きゃああああ!!」


 イザベラの悲鳴が遅れて木霊する。

 俺は急いでシャワー室に駆け込んだ。


 まさかこのようなことになるとは……


 シャワー室でタオルを巻き、とりあえず落ち着く。


 さっきまであの服が欲しいと思っていたが、こんな圧倒的デメリットがあっては着られたものじゃない。

 前言撤回だ。

 俺は絶対に着ちゃいけない。氣を発動する度、全裸になっていたんじゃあ、笑い話にもならない。


 少し時間をおいて俺はシャワー室から出た。

 赤面している顔の色が落ち着くのを待ったのもある。ただ、それ以上にイザベラに顔を合わせるのが恥ずかしかった。


 まさか彼女と初めて対面したときと逆の結末になるなんて……

 悪い冗談だ。


 しかも何なら俺の方がダメージはデカい。

 いや……それは彼女も同じか。


 徐に教室に戻るとイザベラが土下座していた。


「まことにすみませんでした。つい、あつくなって……ぼうそうしてしまいました」


 どこか他人行儀で棒読な謝罪だった。どうやら冷静さは取り戻してくれたようだ。

 原因は……まぁ……アレだが……


「この格好でいうのもなんだけど、今後こういうことはやめてくれ」

「はい、ほんとうにもうしわけありませんでした」


 彼女は新しい服を差し出してきた。

 土下座したままで一向に顔を挙げない。


 あぁ、俺が裸からか。一応タオルを巻いているが。

 得心がいった。


「まだ、せんたくはおわってないので、こちらのふくをきてください。もうさきほどのようなことはおきないふつうのふくです」


 機械的な説明に少し懐疑的になったが、信用するほかない。

 今、俺には着られる服がないのだから。


 服を受け取り、またシャワー室にこもった。一体何度この部屋を経由するのか。

 そこで着替え、改めて教室に戻る。


 イザベラは椅子に腰かけ顔を隠しながらココアを呑んでいた。


「今度の服は本当に大丈夫なんだよな?」


 一応聞いてみる。


「うん……大丈夫。もうしないから」


 彼女の顔は火が出そうなくらい真っ赤だった。多分、俺もそれくらい顔が赤いと思う。


 よもや、全裸になるなんて。剰え見せてしまうなんて。

 痛恨の極みだ。


「その……忘れたほうがいいよね」

「そうだな、俺も忘れるから、イザベラも忘れてくれ」

「うん……わかった」


 気まずい空気が、冷たい空気が、教室内に張り詰めていく。

 

 俺は残っていた自分のココアを呑んだ。

 温くなったココアの甘さだけが身に染みていく。

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