第232話 フェザー・ウォーバー-その七
「しゃあ!」
気合と共に俺は構える。
眼前に現れた魔獣はトライデント・ボアが三体。
どうやらここはトライデント・ボアの縄張りらしい。
元々、トライデント・ボアはこの大陸に広く分布している下級魔獣だ。
どこにいてもおかしくはない。
三体か……
トライデント・ボア如きなら獣王武人は必要ない。できることならこの姿のままこの危機を脱したい。
俺は半歩足を前に出した。
「ちぃ……」
右足首に電気が走った。
どうやら先に仕留めた個体に放った蹴りで痛めたようだ。
動揺と焦燥の中、己を忘れた結果、俺は学んだ武を失った。
その代償がこの右足だ。
猛省しかない。
だが、それも後にしなくてはならない。
今は何としてもここから脱出しなくてはならないのだから。
状況を整理する。
現状、敵はトライデント・ボア三体。
周囲には他の魔獣の気配もするが、どうやらこいつらは襲ってくる気配がない。様子見に徹しているのだろう。
問題は後ろの人食い沼だ。
二度と戻るわけにはいかない。
押し込まれないよう気を付けなくては。
ん?
人食い沼……
俺の中で、とある推論が生まれた。
試してみるか……
俺は呼吸を整える。
「イザベラさん、できるだけ動かないでいてください」
言いながら腰に巻いていたロープを解いた。
「はい……」
状況を把握しているのか、彼女の言葉尻が少し震えている。
俺は解いたロープを地面に下し、重心を前に掛けた。
「それと……」
その体勢のまま、イザベラに指示を出す。
彼女はポカンとしたまま聞いていた。
「大丈夫ですか?」
心配になり、彼女に問いかける。上手く伝わっているのだろうか。
「は……はい! 大丈夫です! 任せてください!」
イザベラの顔にはまだ一抹の不安があるように見えたが、己を奮い立たせるように力強く答えてくれた。
俺はそれに応えるように全身に力を漲らせる。
「では……お願いします」
俺の視線はもうトライデント・ボアに向いていた。
「はい!」
イザベラはそそくさとリュックに荷物を纏めていく。
俺が取ってきた鉱石が彼女のバカでかいリュックに収納されていった。
準備が整う。
俺は短く息を吸った。
「は!!」
そのまま一気に走り出す。
右足に伝わる痛み。
だが、耐えられた。
トライデント・ボアが唸りながら走り出す。
三体纏めて走り出したが、速度に個体差が出ていた。
最初に向かってきた個体に俺は照準を合わせる。
彼我の距離がどんどんと狭まった。
「せいや!」
俺は飛ぶ。
そしてトライデント・ボアの一本角を空中で掴んだ。
そのまま一気にその角を伝って下降する。
「おりゃあ!」
勢いを殺さず、トライデント・ボアの眉間に膝蹴りをお見舞いした。
「ぶひぃぃいい!!」
鋭い角と牙に守られた顔面。特に眉間。
そこはトライデント・ボアの急所だ。
強化魔法によって膂力が上がっているトライデント・ボアだが、単純な強化魔法しか使えない。
加えて、硬い角さえ防いでしまえばただのデカい猪に過ぎない。
俺は地面に着地すると同時にトライデント・ボアの腹に目掛けて氣の籠った正拳突きを放った。
「しゃあ!」
氣が流れる。
先の膝蹴りにも勿論、氣は入っていた。
眉間と腹から流れる氣によってトライデント・ボアは黒い血を吐く。
痙攣しながらその場に蹲った。
俺は即座に二体目を睨む。
そいつはもう目と鼻の先にいた。
「はぁ!」
俺は迫るトライデント・ボアの突進を躱す。
同時にその前右足を思い切り蹴り上げた。
「ぎぃぃいいい!」
バランスを崩し、倒れるトライデント・ボア。
突進の勢いも合わさって事故車のように地面を転がった。
俺は三体目のトライデント・ボアに視線を移す。
三体目も変わらず突進をしてきていた。
俺は一体目のトライデント・ボアの後ろ脚を掴み、思い切り地面を滑らせる。
三体目が驚き、速度が弱まった。
俺はその隙に一体目の個体のどてっぱらを思い切り蹴り飛ばす。
氣の入った蹴りによって一体目の個体と三体目の個体がぶつかった。
その鋭い角が仲間の身体に突き刺さる。
「ぎゅいぃぃぃいいい!!」
長い角が邪魔して動けなくなっていた。
一体目の個体は蹴られた衝撃でまた黒い血を撒き散らし、仲間の角に串刺しにされて断末魔を上げている。
俺はそれを背に走った。
狙いは地面に転がる二体目だ。
「宵月流! 月齢環歩! 二日月!」
後ろ回し蹴りの二日月でその個体を思い切り蹴り飛ばす。
「ぶひぃぃぃいい!」
再び地面を転びながら黒い血を撒き散らした。
俺はさらに追撃の掌打を撃つ。
確かな手応え。
「ぐふぅぅぅううう!」
黒い血反吐が舞った。
次いで、俺はそのトライデント・ボアの足を掴んで走る。
「え?」
不思議そうなイザベラの横を通り過ぎた。
目標はあの魔の沼だ。
トライデント・ボアは氣のダメージに瀕死だったが、沼が近づくとパニックになって暴れ出す。
「は!」
俺はトライデント・ボアの腹に氣の入った蹴りを放った。
「ぶひぃ!」
氣の衝撃がトライデント・ボアを黙らせる。
俺は駆けた勢いを利用して、トライデント・ボアを思い切り沼に放り投げた。
「ぎぃぃいいい!!」
悲壮にも近い悲鳴を上げて、トライデント・ボアが沼に落ちる。
瞬間。
あの泡が発生した。
人喰い沼の本性を見せた時の泡がトライデント・ボアの周りに生まれたのだ。
「ぶひぃぃぃいいい!!」
暴れるトライデント・ボア。
助けを求めるように足掻く。
角と牙を振り回し、筋肉に覆われた足をジタバタとさせた。
だが、その身体は抵抗虚しくどんどん沈んでいく。
沼の泥が、あっという間にトライデント・ボアの身体を包んでいった。
「ぶひぃぃぃいいい!」
傍から見れば沼の泥で戯れているようにしか見えない。
しかし、さっきまであそこにいた俺にはわかる。
あの泥は喰らっているのだ。
残酷に、冷酷に、無慈悲に、喰らっているんだ。
獲物を、ムシャムシャと……
そして……あの下には……
もう断末魔も聞こえない。
トライデント・ボアは数秒で沼に喰われた。
その光景を目の当たりにして俺は気付く。
俺はイザベラの巻石の効果で助かっていたのだ。
彼女の魔法具は効いていた。
効いていたからこそ、人食い沼の喰らう速度が落ちていたのだ。
それでも膝まで沈んでいたことを思い出すと、再び恐怖が己の背を這う。
もし、イザベラの巻石なる魔法具が無ければ、俺は今頃あのトライデント・ボアと同じように、この沼に喰われていただろう。
身震いしながら俺は踵を返す。
「イザベラさん! 走ります!」
「え? あ……はい!」
イザベラを伴って一気に走った。
眼前にいるトライデント・ボアは漸く仲間から己の角を引き抜いたところだ。
「イザベラさん! あれの準備を!」
「わかりました!」
後方を走るイザベラに指示を出し、俺は倒れるトライデント・ボアを踏み台にして跳んだ。
「宵月流! 『弾月断刀』!」
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