第229話 フェザー・ウォーバー-その四
遠くの方で不気味な鳥の囀る声が聞こえてきた。
生暖かい風が頬を撫でる。
フェザー・ウォーバーという底無し沼が醸し出す独特の匂いが周囲を満たしていく。
薄ら寒い。
久しぶりの感覚だ。
畏怖に近い。が、微妙に異なるような気がする。
形容し難いこの感情を心に止め、俺はイザベラと共に湿地帯を突き進んだ。
泥濘を歩く感触が嫌悪感となってこびりつく。亡者の手の如く絡みつくようだ。
俺たちは沼の周囲をぐるりと回る。弧を描くように。
夏場ということも在って日が暮れるまではまだ時間があった。
しかし、特殊指定領域ということもありなるだけ早く任務を終わらせたいというのが本音だ。
先程から湿地帯特有の滑りのある空気とは別にひり付く空気を感じる。
近くに魔獣がいるのだろう。
視線もある。
殺意も感じる。
機を狙っているのがわかる。
だが、そこまで脅威には感じない。
力を隠しているのかもしれないが、俺の持つ知識ではこの場所にそこまで危険な魔獣はいないはずだ。
師匠の下で修業した際に超級含めて、危険な魔獣の知識を叩きこまれている。
それは生息する場所に関しても、だ。
そのためこの場所を知らなかった俺からすれば危険な魔獣の生息地ではないということになる。が、これまでその知識を覆らせることが多々あったため確実ではない。
だからこそ警戒は怠らない。
俺は黙したまま前を歩くイザベラの殿を務めた。何かあればすぐ対処できるように。
一方でイザベラは満面の笑みで歩いている。
念願の鉱石が手に入るかもしれないということで浮足立っているようだ。
危険極まりない。
一応、魔獣の危険性は説いたし、彼女もこの世界の住人なのだから魔獣に対する知見は持っているはず。
それなのに、彼女は俺の心配を他所にひたすら進む。
今は常識としてある魔獣の危険性よりも好奇心のほうが勝っているようだ。
暫くして、イザベラが立ち止まる。
目の前にはフェザー・ウォーバーの沼が広がっていた。
匂いも少しキツくなる。
これは……腐臭か?
それに近い、饐えた臭いが俺の鼻孔を貫く。
獣王武人の影響で嗅覚が人より優れているため、この臭いは堪らなく不快だ。
「ここが目的の場所ですか?」
酷い臭いに耐えながら俺は問う。
「いえ、正確にはもう少し先です」
イザベラはそう言いながらバカでかいリュックを下ろし中からロープと丸い石を取り出した。
ロープは何ら変哲のない普通のものだ。長さは十メートルくらいか。
一方で丸い石は漬物石くらいの大きさだが、黒曜石のように煌めいている。
表面には魔法文字が刻まれ、中央には赤い宝石のようなものがあった。
「これは?」
イザベラはロープの先端をその丸い石に取り付けた。
よく見れば、石の下側にカラビナのような輪がある。そこにロープを括ったのだ。
「これは、私が作ったオリジナルの魔法具で、『
全く知らないワードが出てくる。
とどのつまり、掃除機のコードを巻き取るあれみたいなものか。
多分、その理解で合っているはずだ。
まだイザベラは説明を続けてくれているが、わかったのはそれくらいである。
「つまり、この石で危なくなったら引き上げる……ということですか?」
まだ喋り続けているイザベラに俺はやや強引に質問した。
一瞬、彼女はポカンとしたがすぐに首肯する。
「そうです、そうです。いくら底無し沼でもこの装備さえあれば大丈夫だと思います」
自信満々のイザベラに俺は一抹の不安を覚えた。
まぁ、それはいいが……
俺は周囲を見渡す。
まだ魔獣の気配は消えていない。
だがいるのは間違いない。
「ん?」
俺が警戒している中、イザベラがロープを自分の腰に巻き始めた。
「え? イザベラさんが沼に入るんですか?」
「そうですよ」
イザベラはさも当然といった顔だった。
俺はてっきり自分が行くものだと思っていたので当惑してしまう。
「だって、アイガさんが外にいないと魔獣と戦える人がいないじゃないですか。沼に入っている間に魔獣が来たらアイガさんが対処してください。私はその間に鉱石を採取するので」
そういうつもりだったのか……
「危なくなったら合図を出すので巻石を発動してくださいね。魔獣が出た場合もその手筈でお願いします。そうすれば私はすぐにアイガさんの近くに戻れますので、逃げるなり、一緒に戦うなりできるはずですから。まぁ私は戦力になりませんからその辺はお願いしますね」
あっけらかんと笑うイザベラ。
マズい。この作戦だと最悪だ。
俺は恐らく、この巻石とやらを発動できない。
一応、
これはイザベラのオリジナル魔法具だ。
俺の魔法石では発動できないはずだ。
何故そう思うのか……
実は、全てを打ち明けた日の夜、俺はロビンから聞いていたことがある。
それがこの魔法石の数珠に関してのことだ。
魔法が使えない俺がどうしてワープ魔法陣を発動させられたのか気になった。
そうした理由で寮の部屋に来たロビンに俺は魔法石の数珠のことを話した。
その際、ロビンが魔法石のことを説明してくれたのである。
曰く、この魔法石の正式名称は『
対象の魔法具、或いは魔法陣を術者の代わりに魔力を消費して発動させるというもの。
発動できる魔法具、魔法陣は俺のこれまでの行動から学校内の魔法具、ワープ魔法陣、そしてワープ・ステーションのワープ魔法陣が対象になっているらしい。
それ以外は発動できないだろう、とのことだった。
そこまで万能に魔力を肩代わりしてくれる魔法具なんて存在しないとロビンは言っていた。
それでもここまで効果範囲が広いのは凄いらしい。
また、この『代替の宝珠』自体高価なものらしく、使い終わって石が白くなったら一つ欲しいとも言われた。
研究に使いたいらしい。
全くロビンらしいと笑ったことを思い出す。
本題に戻るが、つまり俺は学園内及びワープ・ステーションでしか魔力の行使が行えない。
故に俺はこの魔法具を使えない……はずだ。
無論、確かめようと思えば確かめられるが、そうなると俺のことをイザベラに説明する必要が出てくる。
イザベラが沼に入ってから試すのは悪手だ。発動しなかったらお終いなのだから。
ロビンに感謝だな。
この説明を受けて居なかったら俺はイザベラを沼に向かわせていたのかもしれないから。
俺は即座に彼女からロープを取り上げる。
「へ?」
戸惑うイザベラ。
「俺が沼に行きます」
俺は制服のローブを脱ぎ、腰にロープを巻いた。
「え? でも! それじゃあ、戦える人が……」
「俺が沼に入った方がいいでしょ。沼の中で魔獣が来たならそのまま戦闘します。沼の外に魔獣が来たらイザベラさんがこれを使って俺を引き上げてください。そのまま戦闘に移れます」
俺の言葉にイザベラが逡巡する。
その間に俺の準備は終わった。
「さぁ、さっさと終わらせて帰りましょう!」
俺の言葉にイザベラは諦めたのか溜息を吐く。
「わかりました……ではお願いします。ウォーバライトは沼の中にあるはずです。硬い石のようなものがあったら取り出してください。柔らかい汚泥の中にあるので比較的分かり易いと思いますから。見つけたら、この中に入れてください」
まだ不満そうな顔のイザベラから布製の袋を手渡された。俺はそれを腰のロープに引っ掛ける。
準備万端だ。
鉱石の探し方もわかった。
「了解です。それじゃあ」
俺は沼に一歩踏み入れり。
瞬間、ゾクリと悪寒が奔った。
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