第四章

第226話 フェザー・ウォーバー-その一

 灼熱の太陽が大地を焦がす。猛火のような風が吹く。

 空は高く、青は濃く、眩い。その中で雲がゆったりと流れていた。

 完全なる夏の訪れだ。


 異世界とはいえ、夏は容赦がない。

 昔の俺ならこの暑さに屈服していただろう。

 だが、全てを打ち明け心からの親友を得た今の俺には、この暑さすら祝福に感じている。


 前期試験の終わり、俺はゴードン、ロビン、サリー、ジュリアにこの世界に来た経緯とそこから魔法の力を持っていないことを伝えた。

 

 全員が驚愕していた。泣いてくれた。そして黙っていてくれた。

 きっと皆、聞きたいことがあったはずだろう。

 魔法の無い存在の俺に。


 しかし、俺のことを慮ってか誰一人、一切何も聞かなかった。また周りに秘密にしていてくれるとも約束してくれた。

 その優しさが本当に心地よかった。


 その日から三日ほど経過している。

 休日を挟み今日から通常授業となっていた。


 現在は放課後だ。

 俺はロビン、ゴードンと共に帰宅する……はずだった。


 だったのだが、帰り際デイジーに捕まってしまったのだ。



『あ! アイガ、丁度いいところに!』


 後ろから声を掛けられる。

 振り向くと何やら大きな箱を持ったデイジーがいた。


『何ですか? デイジー教諭』

『すまんがこれを研究棟に持って行ってくれ』


 そう言って有無を言わさず、彼女が持っていた箱をいきなり渡される。

 両手でやっと持てるほどの大きさで段ボールのような箱だった。重量もかなりあり、その重さに俺は驚く。


『何ですか? これ?』


 俺は苛立ちながら問うた。


『研究科の生徒に頼まれていた魔法具の一式だ。本当は私が持っていく予定だったのだが、今日は職員会議があったことをすっかり失念していてな』


 デイジーは悪戯っぽく笑う。

 俺の怒りのゲージはさらに進んだ。


『え? それを俺が持っていくんですか?』

 

 不満が顔に出ていたと思うが隠すのも面倒だった。


『いや~どうしようかと思っていたところにアイガがいたのは僥倖だったよ』


 デイジーはもう俺に任せるつもりでいる。

 こんな面倒事絶対に嫌だ。

 そう思って反論しようとしたが、それを制するようにデイジーが話し始めた。


『頼む。私は今から会議に出ないといけないが、あっちの生徒には今日持っていくと言っていたんだ』

『じゃあ、他の人に頼んで……』


 そこまで言いかけるとデイジーが耳元に近づいてくる。

 不意に良い匂いがした。


『お前の座学のテスト、赤点だったのを修正したのは私だぞ』


 ん?

 これは……


『シャロン先生からの密命でお前の答案に細工して合格点になるよう修正したんだぞ』


 脅迫か。流石、シャロンの駒だ。

 囁くように伝えたのはロビンやゴードンに聞こえないように配慮したのだろうか。

 二人は俺の後ろで首を傾げている。

 これは優しさか、それに見せかけた厭らしさか。


『わかりましたよ』


 俺は折れた。致し方ない。

 

『そうか! すまない! じゃあ、頼んだぞ。研究棟の三階の奥の部屋に持っていてくれ。そこにいる生徒に渡してくれればいいから。その時にこの紙に署名をしてもらってくれよ』


 デイジーは箱の上に青い紙を置いた。なんだが宅配の伝票を想起する。


『それと……今回は修正で手を打ったが次からはちゃんと勉強をしておけよ。いくらなんでもあの点数は教師として看過できん』


 また、デイジーが耳元で呟いた。


 ん?

 そんなに酷かったのか?


 一応白紙はなかったはずだが。


 デイジーは不敵な笑みを残してそそくさと職員室のほうへ走っていった。


 仕方なく、俺はゴードンとロビンに詫びを入れ研究棟に向かう。

 二人とも手伝うと言ってくれたが申し訳ないので先に帰ってもらった。


 彼らは真っ当に試験を受けたのだ。

 俺のような横紙破りの後始末を手伝わせるわけにはいかない。


 それにしても、デイジーが俺のテストを細工していたのか。

 そんな絡繰りとは露知らず、これはこれで驚いた。


 そうなってくるとまた何か面倒事を押し付けられるかもしれない。

 ちゃんと勉強するか……



 そんなこんなで俺は今、クソ重たい荷物を運んでいる最中だった。


 研究棟は食堂の上にある。

 そう俺がクレイジー・ミートを奪取したあの場所だ。

 余談だがあれ以来クレイジー・ミートは発売されていない。そのため今は、本当に希少なものなのだなと実感している。


 放課後の今も食堂は開いている。中を見ると十数人の生徒が食事をしていた。

 一応夜までやっているので寮の生徒たちは食堂に来れば晩飯にありつける。

 そういうわけもあって、ここは放課後でも生徒で賑わっているのだ。


 俺は食堂の横にある階段を上る。

 研究棟は食堂の上の二階と三階にあった。

 

 俺は言われた通り三階まで上がる。

 廊下を歩くと薬品の臭いが仄かに漂ってきた。


 俺は今、懐かしいと感じている。

 幼少期、勉強に全く関心がなく、外で遊び惚けていたはずなのだが……

 魔法の世界ではあまり馴染みのないカガクの残影が俺の心を刺激した。


 研究棟は魔法の研究のため、基本的に魔法の行使が禁止されている。

 食堂の周囲一帯に魔法禁止を表すオレンジ色のタイルが張られていた。無論研究棟の中も魔法は厳禁だ。


 まぁ魔法の使えない俺には関係のない話だが。


 廊下の左側には教室が幾つかある。

 前にロビンに聞いた話では、この研究棟で授業をしているのは一年生だけらしい。

 二年生からは別の場所でそれぞれのテーマに分かれて研究に没頭するとのことだ。


 その別の場所というのが、前に俺がジュリアと戦ったあの場所である。

 ジュリアの勘違いから戦闘に発展したが、本来あそこにあった正方形の建物こそがその施設らしい。

 あそこにあった建物全て研究科二年生以上が研究する施設とのことだ。


 三年生になるとさらに違う場所にある研究棟に行くことも在るらしい。

 

 普通科、特別科とは完全に別カリキュラム故に基本的に研究科とは交わることはない。

 そのため俺は滅多に来ないこの研究棟に少し興味が湧いていた。


 キョロキョロしているうちに目的の場所に就く。

 両手が塞がっているため行儀が悪いが、俺は足で引き戸を開けた。

 鍵は掛かっておらず、スムーズに開く。


「すんませーん。デイジー先生の代理で来たんですけど……」


 中は普通科の教室の二倍ほどの広さの部屋だった。

 本当にそれこそ理科室のような造りである。


 俺は固まる。

 無人だったからだ。

 誰もいない。


 おいおい……

 それは想定外だ。


 入れ違いになったか?

 それとも頼んだ奴が忘れて帰ったか?


 困ったぞ、これは……


 俺は溜息を吐きながら部屋に入る。


 部屋の中は大きな鉄板の机が六つ。そこに椅子が六脚ずつ置かれていた。

 壁には棚が設置されていて多種多様な薬品がある。

 また、ビーカーやフラスコといった元いた世界にあったものもあり、懐かしさが込み上げてきた。


 入ってきた扉の反対側には木製の扉がある。どうやら奥にまだ部屋があるようだ。

 その扉があるほうには黒板があり、難しい化学式が書かれていた。

 どうやら前の授業の名残らしい。


 俺は持ってきた荷物を適当に机の上に置き、黒板に書かれている式を眺める。

 成程、全くわからん。

 ただ、魔法の世界なのにこうした式を見るのは変な感覚になるものだ。


 俺は改めて部屋を見渡す。

 そして反対の壁、俺が入ってきた扉のある方の上部に元素の周期表があるのを見つけた。


 この魔法の世界にも周期表があるとは……と、感慨に耽ってしまう。

 水素がH、酸素がO……くらいしかわからないが、兎にも角にも懐かしいものだ。


 その時。


「あ~すみません……デイジー先生……」


 突然、木製の扉が開いた。

 俺は目が釘付けになる。


 そこから出てきたのは白衣を着た女性だ。


 ただ……

 何故か……


 白衣の下は下着姿だったのだ。

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